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FUTIKOMA2の日記: [添削求む]作文テーマ:インターネットと社会(1000字)

日記 by FUTIKOMA2

 インターネット利用者の間で『アバター』というサービスが流行の兆しを見せている。アバターは、言わばインターネットにおける自分の“分身”である。任意の顔や髪型、服装といったイラストを組み合わせて自分の姿をコーディネートし、Webで公開することができる。

 自分の写真を楽しく演出するツールとしては、既にプリクラや写メールなどが普及している。そうした中で、リアリティで劣るアバターを敢えて選ぶ利用者が多い点は興味深い。アバターを利用する動機には匿名性の確保があるが、むしろ「こうありたい」と思う自分を手軽に表現しコミュニケーションに利用できる点が魅力となっているようだ。

 現実社会の自分に100%満足している人は、ほとんどいないだろう。職場や学校、家族、地域などの社会における自分の位置付けは、性別や身体的特徴、年齢、氏名、社会的地位、家庭環境といった社会的要素によって制約される。とりわけ日本社会は、こうした理想と現実のギャップを自己主張ではなく自己抑制によって埋めることを要求する傾向が強い。これが日本人全般にとって強いストレスであることは想像に難くない。

 前述のアバターに代表されるインターネットのコミュニティは、現実社会における外的制約にとらわれない自己表現を可能とする。男性が女性として、女性が男性として振舞うケースは多々見受けられるし、老人が若者として振舞うこともあり得る。

 インターネットのコミュニティは、現実社会における自己抑制によって生じるストレスを緩和し、自分をより肯定的に受け入れる機会を提供する可能性を持っている。

 しかしインターネットは、人間をあらゆる制約から解き放つ“楽園”では決してない。インターネットに存在するのはもうひとつの“社会”であり、社会を維持するために、構成要員が社会的役割を果たす必要がある点は現実社会と何ら変わらない。そこでは、現実社会と多少形は違えど、自己実現への欲求と社会の要求との間で新たなコンフリクトが生じ、人々は再び自己抑制によって社会に適応することを余儀なくされる。

 最近アバターと並んで注目されるインターネット・サービスに『ソーシャル・ネットワーキング・サービス』がある。これは現実社会における自分のプロファイルをWebで開示するものであり、もうひとつの“社会”の限界に対する一つの解答を提案している。

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私はプログラマです。1040 formに私の職業としてそう書いています -- Ken Thompson

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