Francisの日記: その悪意をヒトの目に触れるところに置く意味はあるのか 8
日記 by
Francis
ネット上において、パスワード要らずで読めるところに文章をおくことはそれを不特定多数しかも極めて多数の人間に読ませたいということを示している。
さて、たまに単なる悪意や嫌悪を示す文章を書く人たちを見かけることがあるのだが。
その悪意をヒトに見せてなにか良いことがあるのか?本当に気が晴れるのか?
読んだものに影響することで、目的を達成したりできるか?
ダメだろ。
悪意の表明では他人の思想に影響を与えるのは難しい。
感情を激発させるな。
感情は貴重な原動力だ。
深く溜め込んで、ただ一撃のためにとっておけ。
状況を一変させるための言葉の一撃のために。
根気良く情報を収集しろ。相手に都合の悪い客観的事実をつかめ。間合いを測れ。
そして揺さぶりをかけてバランスを崩し、カウンターの一撃を叩きこんだ後に言葉のナイフを90度えぐれ。
それができないのなら、イイヒトでいるしか方法はない。
ごめんなさいごめんなさい (スコア:1)
註:それでもやらなきゃならない時もある。
Re:ごめんなさいごめんなさい (スコア:1)
最後までやりとげる気がないのなら、最初からやりたくないということでもあります。
中途半端はイヤです。
#そういう自分自身の現状がかなり中途半端であることについては棚の上へ一本背負い。
その仮説には穴がある (スコア:0)
Re:その仮説には穴がある (スコア:1)
あと正しくガス抜きになって書くだけで満足、「本当に気が晴れる」場合も。
でももったいないなあ。もったいないもったいない。
うまく使えば何かを成せるかもしれないのに。
ガステレビ (スコア:0)
Re:ガステレビ (スコア:1)
恨み力発電とか憎しみ力発電とかができれば、かなりエネルギー問題が楽になるかもしれませんねえ。
発電所の要員に高度な呪術的素養と訓練が必要になりそうですが。
ふだんはいい人だからだいじょうぶです (スコア:0)
いつも心に刃を呑んで (スコア:1)