Futaroの日記: 人質3人
イラクで日本人も含めた多数の民間人がさらわれる。テロは戦争とは違うのか?きっと現代の戦争は「テロ」というかたちを取るものなのだろう。であれば、「テロに対してする戦争」は結局戦争そのもの。テロは戦術の1つ。日本の報道では日本人のことばかり言うけど、だれが犠牲でも犠牲は犠牲。最終的に米国人は兵士含め数千人の規模の犠牲を作るだろう。その数はきっとSeptember 11のあの犠牲者数を越えるかもしれない。戦場でやるものを戦争とはもう言わないんでしょうね。戦争はどこでも起きるもの。
銃の問題。戦争の問題。どれをとっても、米国という国の政府が考えている「人の命の重さ」は、世界のどこの国よりも軽いかもしれない。数値でははかりようのないものだから、「そうかもしれない」としか言えないけれど。ラムズフェルドのあの態度なんかは、まさに「不遜」「欺瞞」「思考停止」の状態をよく表している。BSEの牛肉、ナマで食ったんじゃないかな?それにしちゃ元気すぎるが。ああ、人は食ってるかもしれん。
テロが戦争の一部であるとしたら、(それが民間人であろうとそうでなかろうと)人質を取る、という戦術もまた、戦術の1つ。平和な日本、法治国家の日本で毎日を暮らす我々の感覚では「卑怯」「不法」となるが、「なんでもあり」の戦場ではそれは「卑怯」ではなく「戦術の1つ」でしかない。ひょっとすると「すばらしい戦術の1つ」かもしれない。あの戦場では「卑怯」とかいう単語は辞書にはない。あるわけがない。事実、ファルージャでは米国も国際条約で禁止されていた生物兵器、毒ガス兵器を使っている、という。それに、米国が支持していた頃のイラク・フセイン政権に、毒ガスを供給して、大量虐殺をさせたのも米国。
昔から「卑怯な」ことをする犯罪者、たとえば毒殺とか、そういうことをするのは、社会的に弱い立場の人間。犯罪を起こす必要が出てくるのもまた、「社会的に弱い立場の人間」。だから、卑怯なことをする必要も出てくるし、卑怯なことをしないと自分の主張ができない。それは「彼なりの」選択と実行の結果。
結局、米国だろうがなんだろうが、みんな言いたい放題、やりたい放題であって、どこにも「法」なんてものが入り込む余地がない。「正義」なんてものも、ほんとうは地球上にはどこにもない。だいたい、正義なんてインターネット使って比較検討できちゃうものになったからね。絶対でもなんでもない、ということがみんなよくわかっている。そういう古色蒼然とした単語なんだから。いま、「正義」という単語を言う人はうさんくさい。米国政府がその筆頭だけど。
3人は帰ってくるか?帰ってきたら、見物だ。日本政府はほんとうは帰ってきて「反米」なんか言ってほしくないに違いない。あそこで死んでくれたほうがいい、くらいに考えているんだろうな。日本だけじゃなくて役人なんてそういうもの。