Gonyの日記: 無い脳みそ使って三度考える。
まず最初に区別しておきますが、国旗掲揚、国歌斉唱は文部科学省の
学習指導要領に明記されています。「国家という宗教のためのルール」
だというkubotaさんの批判の矛先はつくる会ではなく、文部科学省に
向けるべきだと思います。ぼくもはっきりいってこれらは施政者の
論理だとは思うけど、施政者が施政者の論理を通すことに異議はありません。
ぼくは国旗国歌は国民の潜在的国家意識を高め、それは国家体制の
安定につながり、それは国民のためだと思うので、
これについては反対はしません。kubotaさんの主張は国家が土足で人の
潜在意識に入ってくるなってことでしょうから、学習指導要領への批判を
お続けになられればよいと思います。
>というか、「個」に対する「公」として「国」しか想定していない、
>というのも、かれらに対する批判のひとつです。
ちょっとこれは具体的にどの辺りを指しているのかわからないので、
返答に困ってしまうのですが、ぼくが歴史、公民の両教科書を読んだ
ところでは「国」以外の「公」の隠蔽というのは見受けられないです。
公同士の対立ってのも具体例がなかなか思いつかなくて
困ってしまうのですが、労働基準法無視の仕事量を会社から
あずかっているような例とかでしょうか(汗)。
個人的にはそんなのは自分で公同士のプライオリティを考えて
対処しろ、と思いますが。
>なんか矛盾してるような。 極限状態のなかで、そういうルールに
>なるのは自然なこと、 というのが Gony さんの主張じゃなかった
>のですか?
矛盾してないと思いますが。マスメディアがなければ、国民は国が
極限状態にあることを知ることすらできないわけで。
当時のマスメディアの論調は"苦しい戦いではあるが、必ず勝てる"
だったようですから、扇動といって問題ないでしょう。
それが国によるものか、メディア側が自発的にしていたことなのかは
分かりかねますが。
「核より怖い兵器はマスメディアである」といいたかったと思ってください。
もう、お互い「議論の為の議論」になってますね。結論としては
「ぼくとkubotaさんは違う意見を持っている」としかならないと思います。
とりあえずぼくはこの辺で終わりにしたいと思います。