KAMUIの日記: 法王は神の御許へ。
いや,別に私はカソリックではないのだけどな。
ざっと調べてタレコミ風にまとめて見た。
ヨハネ・パウロ2世(Iohannes-Paulus II/Pope John Paul II)が死去した,84歳。(参考:バチカンの特集ページ)
本名 カロル・ユゼフ・ヴォイテワ(註:報道ではボイチワと表記。これが正解?)は1920年 5月 18日、ポーランドのクラクフ近郊のバドビツェに生まれた。スポーツを好み,大学時代には演劇活動もしていたという。第二次大戦中には鉱山などで働いていたが怪我で入院疎開した先が大司教の居留地だった事もきっかけとなって信仰の道を志した。1946年に司祭となり,カトリック大学で教鞭を執った後にクラクフの大司教を経て 1967年に枢機卿に任命された。
1978年,パウロ6世の後を引き継いだばかりの
法王ヨハネ・パウロ(1世)が在位 33日で急逝。
これによって行われた法王選挙で 1978年10月16日に第 264代ローマ法王に選出され,前法王の名を受け継いで「ヨハネ・パウロ2世」を名乗った。就任時,史上最年少の 58歳。また史上初めてのスラブ系出身の法王でもあった。
就任翌年にはまだ共産圏だった祖国ポーランドを訪問した事が民主化運動に影響を与え,これが後の「ベルリンの壁」崩壊へと向かう一因となった事は疑う余地が無い。
1981年 5月にバチカンのサンピエトロ広場で狙撃された後も世界各国を巡り,ソビエトやインドを歴訪。1986年にはローマ法王として初めてユダヤ教会を訪問し,1993年にはイスラエルとバチカンの国交を樹立。また 1989年には英国教会のカンタベリー大司教と会談し,キリスト教再統一を求める共同宣言を出すなどその非常に活発な外交活動から「Flying Pope (空飛ぶ法王)」とも呼ばれた。日本にも 1981年2月に来訪し,広島から平和アピールを行っている。
なお,日本はキリスト教徒が少ない(1999年調査で人口の 0.8%)なので今回の死去による社会的影響は少ないと思われる。
まぁ,こんなトコロか。流石にタレコミにはならん気がしたので,メモとして置いとく。
[9:30]
崩御と書いてたのを死去に修正。「法王」と「法皇」の語感が同じなんでつい書いちまってた。
法王は神の御許へ。 More ログイン