L.Entisの日記: 議論の必要なし 1
2ちゃんねる型「正義感」のいやらしさ
自分たちは「社会正義」である、したがって、社会正義に反するものを叩くのは正しいし、世の中のためなのだ――それが彼らの「2ちゃんねる型正義感」の根底にある。
これはマスコミも全く同じ。
そもそも、「社会正義」かどうかはともかく、普通の人間は、例え誤ったことでも「自分は正しい」と思って行動しているはず。
そうで無い場合には、強い自覚(これでいいのだろうかとか、やりたくないけどやるしかないという不安感)があるはず。
そういう自覚が無い行動は、基本的に、その主体の主観の正義にそった(少なくとも誤りで無いと考える)行動である。
ところで、
mixi日記で飲酒運転をしたと書いている人たちの日記をさらし、そういう人を社会的に追いつめ、仕事を奪っていこうという流れもある。飲酒運転は許せない――それは確かに正論である。私も飲酒運転する奴はアホだと思う。しかし、だからといって、私が彼を裁く権利や義務があるのか? ない。ほんのかけらもない。その人の勤務先の会社や学校に通報すべきなのか? 否。(中略)問題があるなら、単に警察に連絡すれば、そこで終わりである。
この主張は明白におかしい。
例えば、こう問いたい。
「酒の社交の後、誰かが車を運転しようとしたのを見たら、警察に通報すればそれで終わりなのか?」
2ch でさらす事と比較するならまだしも、「その人の勤務先の会社や学校に通報すべきなのか? 否。」には全く同意できない。
例えば、万引きをしている学生を見つけたら、親や学校に連絡するのではなく、例外なく真っ先に警察に通報すべきなのか?
この段落の主張は、現在の社会において民衆の自治能力の喪失を象徴しているのか、筆の勢いが余りすぎたか、どちらかだろう。
(しかし、少なくともこの筆者は「裁判=正義を判定する場」という思想を持っているように思える)
(因みに、私は「裁判=法律に照合する場」という認識である。法律が悪なら、判決も正義を守れないかもしれない。社会の正義を論じるのは立法の場だ)
同意 (スコア:1)
たとえば、この文章(元記事分)は、「余計なもの」(スラドのモデではなく)である。感情に流されている。 事実を知って、それを伝えないことはそれに加担しているのではないのか?
それに「社会的に追いつめ」という、感情一杯で書いている。通報したのちに、裁くのは判事である。通報者ではない。
感情をぶちまけられる場所。それが2ちゃんねるである。という主張はわかる。
ここでやめておくのがいいかな?
2ちゃんねるが正義感か、悪意かについては、元記事の元記事の書き手がばらばらであるので、判断しようがない。たとえば、湘南ゴミ拾いだって、テレビ局を困らせてやろうという人と、純粋にゴミを拾って美しい海にしようという人がいた「のかもしれない」どっちなのか判断できるのは、参加した本人であるし、それはどちらか一方の意見しか持っていない。
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