Ledの日記: 坂の上の雲 1
読了ーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
ながかった。とんでもなくながかった。
司馬遼太郎はこれを書くのに10年かかったというが、
ざっとナナメ読みするだけで2ヶ月かかってしまった。
著者の調査力というか、当時の事情を調べるその労力に感服である。
いったいそのエネルギーはどこから出てくるのか。
この作品は明治という時代の日本の奇妙なエネルギーを
日露戦争を通して描いていると説明されているが、
作者自身が小説の中のどの登場人物よりもエネルギーに満ち溢れて
書いた作品ではないか。
実際に日本という国が関わった戦争を、
しかも曲がりなりにも勝ったことになっている戦争を題材にした作品を読むにあたって、
多少の抵抗があった。
なんせ今の教育での戦争教育が染み付いてるからね。
(ただし、作品を読み終えたあとでも徹底的な平和憲法的な教育も悪くはないという考えは変わらない)
唐突だが、ドラエモンあたりが出てきてタイムマシンをくれるとして
明治時代に行きたいかといわれれば、断固拒否したいという考えはやはり以前と変わらない。
ただし、明治時代に新しくできた国家という組織の中で、
その重苦しい制度とは裏腹に人々は決して小さくはない希望をもっていたようであり、
またそれがその時代における実に奇妙なエネルギーを実現したのであろうということは
一人の個人の創作の範囲を超えるものように見え、
そんな時代が存在したということが明確な説得力を持っている。
うまくまとめようとしてもまとまらないが、
間違いなく言えるのはこの作品は名作だということ。
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で、2006年あたりの大河ドラマにこの「坂の上の雲」が選ばれたとどこかで見かけたが、
これはちょっとどうか。
司馬遼太郎はこの「勝ち戦」を描きながらも
その後の日本の方向性を絶え間なく批判することで作品の中立性を保っているが、
しかしながらそれが映像になるとどうだろう。
作品は小説であったから、作家の好きなように話を数十年単位で飛ばすことができたし、
それはどうも漫画や映画に翻訳することはとても困難で、
小説という表現方法のひとつの強みであるようだ。
翻って、大河ドラマという映像にした場合、
そこには苦戦を強いられながらも連戦連勝を重ねる日本陸海軍が描かれることになり、
作品中で司馬遼太郎が何度も批判したような、
その後の誤った日本の方向付けをテレビの映像でもって再現することにはならないだろか?
明治時代からはずいぶん時間がたっていて、明治の奇妙なエネルギーはもうないように思える。
当時はその奇妙なエネルギーをもてあましてさらに誤った方向へ進んだといえるかも知れないが、
現在にあってはそのような心配は杞憂というものだろう。
とはいっても、奇妙な愛国心もどきがブームになったりしないで欲しいものだ。
原作が名作であるためにそんな心配をしてしまう。
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微妙に小説の言葉遣いが感染ったかも(w
しばりょー (スコア:1)
最初に読んだときはラストに近づくほど読み終わるのが勿体なくて・・・。
でもそんなふうに感じる本って少ないですよね。
司馬遼太郎だったら次は『峠』がお勧めですよ。これは『坂の上の雲』よりは長くないから
サクっと読めるはずです。