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Ledの日記: difficult time

日記 by Led

こういうことを書くのは同情して欲しいからじゃない。
自分で自分がどういう奴か、鏡が必要だから書くんだ。
思い出すだけで辛い想い出って、
地震でなくても津波でなくてもあるもんだ。

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大学からは通学できない距離では全然無かったが、
父方の祖母を実家に呼ぶために、部屋を空けるってんで
親のスネで大学3,4年の間だけ一人暮らしできることになった。
一人暮らしで気儘な生活をしている奴らが羨ましかった自分にとっては、嬉しいことだった。
実のところもう家族と一緒の生活なんか真っ平だと思っていたところ、
病気の祖母には悪いが願ったり叶ったりだった。

だけども、当の祖母は自分の家が良いらしく、
また、親の兄弟間でも話がついていなかった。
結局2年間、自分が居た部屋は空き部屋になっていた。
大学の4年から修士に上がったときだったな。

父親の会社にも不景気の影響が現れ、希望退職って形で
会社を辞めることになった。年齢的に再就職はあり得ない。
どんな仕事してたんだか。まったく使えねー父親だ。
とまでは言わなかったが、幼少期、中学高校時代に
八つ当たりされた記憶から父親は嫌いだった。今でも嫌いだ。

父親は案の定ショボクレていたが、逆に母親が妙に活動的になった。
突然離婚するとか言い出し、はたまた車を買うとか言って
突然キャンセルする。夜中に突然叫びだした。
夜中に家族全員起こされた。
母親はわけのわからないことをわめき、病気で体の利かない父親を家の外へ蹴りだした。
この街は街全体が死に掛かってるなどと言い出した。
父親を殺すと言った。
夜が明けて、車で寝ていた父親に掴みかかった。

それが、少し時間が経つと嘘のように直った。
とりあえず本人もある程度自覚はあって、病院で診てもらおうと決めていた。
朝は母親は正常に戻ったように見えた。
昼飯の買い物に行くと言うので、行ってらっしゃいと送った。
これがまずかった。

昼の時間をとうにすぎても母親が買い物に行ったきりずっと帰って来ない。
このときばかりは本当に慌てた。おかしくなった母親が何をしでかすかわからない。
どこへ探しに行くにもあてが無い。

一人で泣きそうになりながら待っているところへ電話が鳴った。
以前母親が車を買おうとしてキャンセルした中古車屋だった。
「あの、奥さんがなぜか見えてるんですが・・・・」と
本当に弱った男の人の声だった。
「絶対にそこから出さないで下さい!今すぐ迎えに行きます!」
当時、家族の中で自分だけは携帯電話を持っていた。
家を留守にしても連絡はつくってことですぐに金を掴んで、
タクシーを呼んだ。

中古車屋に着いた。タクシーの運転手は「すぐに出るなら、待っとるよ」と言う。
果たして母親は、いた。一見正常に見えた。
タクシーに乗せた。
すると、突然母親の口から聞きなれない地名が出た。
タクシーの運転手にそこへ行けという。
実在する地名だったし、何か見せたいものでもあるのかと思い
とりあえず行ってみることにした。
どっちかというと、自分ももうまいっていた。
母親の言動がだんだんおかしくなってきたが、
それを抑えて病院へ連れて行く気力もなくなっていた。

着いたその場所は、母親は中学校の時の担任の家だと言う。
ここでまた意味がわからない。しかも留守だ。
押し入るわけにも行かない。帰宅するまで待ち、
中学の時のよしみで泊めてもらい、夜が明けてから物を考えようと思った。
担任の連絡先は母親が持っていた。
自分の持っていた携帯電話で連絡し、事情を説明したが、
生憎帰宅は遅くなるとのことだった。

近くの酒屋で軽く食べるものを買って待つことで母親と合意した。
歩いている間、危ない場面が何度もあった。
母親が自分から、走行している車の前に飛び出した。
それを歩道に引き戻すだけでクタクタになった。

菓子とコーヒーを買い、担任宅の庭に戻った。
そしてそこに二人して座り込んだ。
そして母親が延々と喋り始めた。意味の無い、同じ言葉の繰り返しだ。
父親が許せない、父親が憎い、言ってみればそんな意味の言葉を
ただただ壊れたテープレコーダーのように繰り返す。
何とか正気の部分はないかと言葉に対して返答をしてみたが、無駄だった。
日が暮れてきて、ようやく妹から電話があった。
状況を聞いている。何とか答えた。
早く帰れと母親に言った。父親が変わらなければ帰らないという。
頑固な父親もこのときばかりは何でもするといった。
料理だって掃除だってなんだってしてやるって言っていた。

タクシーで迎えに来ると父親が言った。
実際すぐにタクシーを呼んだらしい。
しかし、田舎の番地しかわかっていないようなところは
なかなかたどり着けない。
20分おきくらいに目印が無いかとたずねる電話が
公衆電話からかかってきたと思う。

真っ暗な中で、父親がようやく到着した。
母親をタクシーに乗せようとしたが、走って逃げ出そうとする始末だ。
演技をする。自分が拉致されようとしてるという設定で。
付近の住民が騒ぎを聞きつけてでてきた。
自分が母親を取り押さえている間、父親は住民たちになんでもないと言っていた。
あまり時間がかかるようだと、と、言ってタクシーは夜の闇に消えた。

どうにか。母親が落ち着いた。
担任宅ではなく、家に向けて歩いて帰ることになった。
気の動転した父親と、気のふれた母親と、疲れた息子の3人で
夜の闇を歩いた。

歩いているうちに、公民館が見えた。なんていう公民館だかは忘れた。
山の中では唯一目印になる建物だ。それに3人とも凍えていた。
「公民館に入ろう」って言った。
母親が落ち着いているうちに、タクシーを呼ぼうと思った。
タクシー会社の電話番号は、携帯には入ってなかったが、
昼にタクシーを呼ぼうと思ったときの電話番号が
不思議と思い出された。
その番号を迷わずかけた。間違いなかった。
タクシーは20分程度で公民館に着くと言う。
タクシーを待つ間、それからタクシーに乗ってからも、
母親は落ち着いていた。いや、どこからどう見ても正常には見えない。
首を前に突き出して、何かを凝視するような、そんな状態で固まっていた。
タクシーの中で、担任から電話がかかってきた。
騒がせたことを詫び、また連絡してくれたことの礼を言って電話を切った。

家に着くと、妹と叔母がいた。
買ってきた弁当と、父親の作った味噌汁があった。

「まだこれからが大変やけんね。」叔母にそういわれた。
その日はもうどうしていいかわからなかった。
母親は叔母と妹に任せて、眠った。

次の日、目が覚めて、着替えると母方の祖母も来てくれた。
母親は、祖母など目に入らない様子だった。
母親は、夜寝てないから昼から寝るという。
自分はそんな母親をたたき起こした。布団から追い出した。
平日なので、普通だったら大学へ行く時間だったが、
無断で休むことにした。

母親の様子を観察するにつれ、どうも喋らせると良くない。
喋らせると言葉が止まらなくなり、どんどんおかしくなる。
そんなことに気がついた。自分は母親相手に口を開くのをやめた。

かかりつけ医から大学病院の精神科を紹介してもらい、
そこへ行こうと妹が言った。
そんなのはイヤだと、と母親は言って、また寝ようとする。
それを自分が叩き出す。何度か繰り返した。

最終的には母親が根負けし、病院へ行くと言い出した。
タクシーを呼んだ。父親がタクシーの運転手に病院の名前を告げた。
ただ、最初に言っていた大学病院では無かった。
単純にそのとき容量一杯で入れないから別の病院にしただけだった。
が、それを聞いた途端に母親の様子が一変した。
タクシーのドアを、シートを、ものすごい力で蹴り、タクシーの外に出た。
逃すまいとして自分が母親を掴んだ。抱きしめるようにして引き止めた。
母親の顔が自分の左手に近づいたと思ったら、左手に
左手に噛み付かれた
タクシーは乗車拒否。走り去っていった。

それから、しばらく呆然としてしまい、
何があったか良く覚えていない。母親に噛み付かれたことは間違いなかった。
少し家の前に座らせて、落ち着かせることができた。
そして、もう一度、別のタクシーを呼んだ。

タクシーから病院まで、気が気でなかったが、
結局その間は前の夜に乗ったタクシーの時と同じような状態だった。
病院に着いた。
受付のところで7人くらいの看護婦・看護士がやってきた。
それを見た母親は逃げ出そうとしたが、取り押さえられた。
看護士たちは、最初は歩きで連れて行こうとしたが、
母親は病院の事務所のドアを開けて中に入ろうとし、
さらにはドアに張り付いた。
看護士のうち二人がさっと母親の足をすくい、他に二人が
頭の側を支え、母親を担ぎ上げた。
担ぎ上げられた母親は叫び声を上げ、
そのまま精神病棟の重い鉄の扉の向こうへつれて行かれた。

しばらく待たされたあと、院長が現れて、
精神科の入院形態について説明した。
こういう場合はまず脳の異常を疑うという。
検査をして、脳に異常がなければ
後はしばらく入院してればすっかり元通りになるという。

そのときはただ、心配で、悲しかった。

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更年期には鬱になる女性が多いというが、
母親の場合は逆の「躁」になった場合だ。
今は母親は元気になっている。いわゆる正気という奴だ。
パートで働いているし、毎日料理だって作っている。

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日本発のオープンソースソフトウェアは42件 -- ある官僚

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