matzさんにみてもらった記念(笑)で、コメントするときに考えたことを。
(しかし、どこをどう辿ったら僕のところにたどり着くんだろう…)
スタンスを明文化するのは難しいけど、オープンソースに魅力を感じる開発者のひとつのパターンとして、オープンソースの価値とはなにかという感じでだらだらと。
オープンソースであるというのは、ライセンスのように直接的な意味があるわけではなくて、結局のところ看板やブランドといったものじゃないだろうか。OSI Certifiedとか考えると、のれん分けとか段位とかそういう感じかも?
オープンソースを名乗る意味はブランド効果にある、と。
だって名乗らなくても直接的に失うものはないよね?
別にオープンソースと名乗らなくてもバザール開発はできるし、ライセンスだってGNU GPLでもBSDLでいいし。
いずれにせよ、そのブランドを持つ大元の人々が、どうみえるかを大切に考えて行動してくれないとブランドの価値は落ちる。
あと、同じ旗の元に集まるってのは、やっぱり力になるはず。(フランチャイズ?(笑))
(個人的には、GNU GPLとBSDLを同居させたってのはすごく大きいと思う)
LAMPとかいってないでオープンソースにしとけよ、とか。
もちろん、人が集まれば諍いが起きるもんだし、立場の違う人たちがひとつにまとめるのはすごく大変だろう。
でも、開発者にとって、特にマイノリティであることで受けていたデメリットを考えれば、魅力は大きいと思うんだけど。
力を合わせられれば。
さて、じゃあいま国内では実際にそういう雰囲気があるかっていうと、微妙だと思う。
定義から外れてはいても、オープンソースという表記が市民権を得たおかげで、ブランド的なメリットは随分ある気がする。オープンソースと名乗ると理解が得られやすいなんてのはその最たるもので。
でも、別に同じ旗の下にいる価値はあんまり出てない。だってみんな集まってないし。集まる場所もないし。イベントやる時くらい?
少なくともオープンソースの名の元に、効果的に組織力、政治力を使うという側面まではいってないような気がする。
ブランドに関しては、個々のプロダクトがオープンソースのブランド名をうまくつかっているおかげで相乗効果が出てるけど、どっかが汚したらそれまで、という危うさも感じる。
この間のみんなの考えた「オープンソース」の時に大きな反応が起きたのは、結局のところブランドの価値が落ちるという問題だったんじゃないだろうか。
実際、僕の周囲ではハッカーとして前途有望な複数の若者がオープンソースと名乗るのは怖いといって使わないようにしようと発言していたし、ある企業ではあるオープンソースプロダクトの進行がとまった。ブランドの評判が傷ついたわけだ。
なんか、このままだと「別にオープンソースと名乗らなくても困らないし」になりそうな気はする。
まあ、そもそもコードもろくにcontributeしない僕がいっても説得力ないんだけど。
あー、まとまらないけどこの辺で放棄。
要は、ブランドは「みんなで」大切にしていい印象を保つ状態になってないとよくないんじゃないかなあ、と。