Maxの日記: 裏庭の整理をしながら考えたこと
風雨にさらされて半ばぼろぼろになってしまったスチールラック
を解体。その横には鍵のかかるスチール製の物置もあるが、これは
かなり塗装がしっかりしていたのもあって無事だった。
それから、知人からもらった90cmほどの幅のベンチは板の部分が
かなり汚くなっていた程度だが、もらい手がつかなかったので、
これも解体。
さび付いたボルトやねじのたぐいはCRCを吹いてしばらく放置した
あとに回す。それでも動かない奴があったが、ネジの材質が悪く、
力を掛けると人力でねじ切れてしまった。
物置やらラックの陰にはツチグモのたぐいがたくさん居た。
ちょっと申し訳ないけど別のところで巣を作ってくれ。
未熟な有機物を極力庭に入れないようにしたせいか、一時期
あれほどいたワラジ虫やダンゴ虫のたぐいは少なくなっていた。
ヤスデと若いムカデが若干。水場がないので蛙は居着かない。
ナメクジが多いのはそのせいか。
骨粉やら草木灰やら石灰やら油粕が出てくる。
コンポスタから出して雑草に余分な窒素分を吸い取らせている
区画についでにまいて鋤込み。
化成肥料とか若干の農薬も出てくる。最近の家庭園芸用の農薬は
低毒とはいえ、どうしたものか処分に困るな。前のの連れ合いが
遙か以前に買ったものだが、こいつらをどうするか・・・
スプレー剤が多いのも困ったものだ。有機転換した農家の納屋に
こういうものがたくさん貯蔵されている実状をしばし考える。
処分に多大なコストがかかったりするものを作ってはならないね。
二度と買わないよ。
イレクターパイプの残骸もいくつか束ねてあったが、持ち込みの
ゴミには大きすぎるので専用カッターで切りつめる。その後、
隣人が通りがかった。「畑に獣よけのネットを張る」とかで、
狸除けに使える幅50cm、長さ10mほどの防獣ネットを差し
上げる。このあたりでは狸の害が多いのだ。
イレクターパイプもあげれば良かったけど、遅かった。
物置からは左官道具がいくつか出てくる。鏝4種。補修用の
ホームセメントは奇跡的に固まらないままで50cm四方を1cm厚
で塗れるくらい残っていたのでこれは捨てずにとっておく。
外回りの柵の足場がぐらついているところがあるので、そこを
固めるのに使うかな。
鎌やら鍬でさびたのがあったので、砥石で研いだ後CRCを吹いて
おく。刃物研ぎも慣れたなぁ。鋸鎌は本来目立てをすべきだが、
ファイルがないのでさび落としだけをしておく。
3本歯鍬、1本歯鍬がそれぞれ1丁。平鍬2丁。立鎌1丁。
今日でしばらく出番なしだ。なに、また遊休地を借りるさ。
今日は天気がいい。30分も作業していると暑い。
向かいが食品店で良かったよ。ビールがすぐ買える(^^;
一通り解体すると裏庭の風通しがさらに良くなった感じがする。
風の渡る裏庭でビールをやりながら一息つきながら、昨日読んだ
ナウシカの余韻をしばらく味わう。
この庭にもろくでもないものがあるのだ。土の中にも、周囲の
大気にも。ここから1kmも離れていない処分場の噴煙に混じって
空から降るものにも。その中でいくつかの作物は芽生え、殖え、
そして食われる。その一部を私も収穫と称して食卓に出す。
人間も畑仕事の合間に血を吸われたり、黴菌のせいで膿んだりして
部分的に食われながら生き続ける。人間だけが例外ではあり得ない。
たまたま他の生き物より優れたところがあったに過ぎない。
私が死んだら、燃やさずにどこか山の中にうち捨ててほしいと
いつも思っている。昆虫でもいい。節足動物でもいい。得体の知れぬ
微生物でも獣でもいい。彼らの命に取り込まれたいと思っている。
彼らもまた誰かにいずれ食われる。あるいは命つきて、自らの
存在を最後に他に分け与える。
火葬だけは辞めてほしいのだが、せめて灰はちゃんと生き物に
恵んでほしい。骨は蒸製骨粉にでもしてくれ。自分の亡骸から
とびきりうまい果樹ができるなんて楽しいと思わないかい?それを
うまいと食べてくれる存在があることは忌むべきことかい?
有機認証?そんなものは要らないのだよ。他の誰でもなく、自分で
認めたものを食べ続けていけばいいのだよ。残すべきものを壊して
得たお金でお墨付きの認証野菜を食いたくはない。
何があるか分からないけれど、自分の生活の中にある庭で実った
果実を食べ、そこで芽吹いた命を刈り取って自分の中に取り込み
そのせいで短命や不妊になったとしても私はかまわない。
白い服を着て汚れから自分を遠ざけられると思っている連中など
私からみれば噴飯ものだ。自分が助かりたいというエゴが根底に
ある限り、彼らはきっと受け入れられない。他人に自分の思想を
押しつけることから始まった過ちを悟らない限り偽物だ。
体内に毒物を蓄積した近海魚を食って猫のように死ぬのも悪くない。
ただ、そうなった場合私は自分の姿をあけすけにさらすだろう。
自分でできないものはできるだけ知った人から手に入れる。
安全かどうか、ではなく人の血の通ったものを食べたいだけだ。
そうでないものを食べざるを得ないときは吟味し、目の前にある
ものの生き物としての姿をできるだけ考えたい。
肉の塊がかつて生きていた頃のことに思いをはせながら口に入れ
たい。私は動物が好きだが、それを食べながら生きてきた人間を
否定したくはない。商品ではない生き物を想える限り、それを
口に入れる人間が汚れた存在であるわけではないのだ。
あはは。ちょっとビールが過ぎたな。
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