Maxの日記: タバコ
以前「嫌煙」という言葉使うのを辞めよう、とかコメントを書いたことあるんだけど、古いアーティクルに対するコメントのせいかそのままになっている。ボク自身は禁煙を4度も試みた(最長で3ヶ月続いたけど)が、自分をヘミングウェイと同一視するつもりはさらさらない。
タバコで悩ましいのは、
・吸わない人にとっては害悪以上の何物でもない
・吸う人にとっては生活の中においてほぼ「必須」となってしまっている(習慣性がある)
という点にある。で、お互いが好き嫌いという観点で議論してもなにもはじまらない。喫煙を否定する人々が声高に(なかばヒステリックに)害悪を説くまでもなく、大多数の喫煙者はそのことを理解しているのではないかと思う。
なお、喫煙の歴史は嫌煙の歴史でもある。一部の人間が「もともとあった喫煙の習慣に対して、近年それを否定する動きが出てきた」と思っているようだけど、それは間違っている。喫煙の歴史は思いの外浅く、そして嫌煙の歴史は思いの外古い。そして喫煙・禁煙を巡る戦争(内紛だが)すらある。
ヒステリックな糾弾はご都合主義的な喫煙者にたいして絶好の反論のチャンスを与え、不条理な居直りを促す材料にしかならいと思う。大多数の喫煙者はそういう糾弾に対して「人格を否定された」かのような思いこみをするわけで(ボクは違うけれど)、「嫌煙」という言葉自体が感情論を誘起するのに一つの役割を果たしている。
他の話題では成熟した議論ができる人が喫煙を巡る議論になるととたんに感情的になるのをこれまで何度か見ている。が、喫煙者はタバコという習慣性の強い嗜好品の犠牲者でもあり、そして、それは明らかに有害な部分をもつ存在であるにも関わらず、それらの販売や使用は合法とされている。この事自体問題ではないか?
ことタバコに関してはおそらく冷静な議論がボク周囲でされたことがないという事自体が個人的に不思議なのだが、そういう側面で「喫煙者・非喫煙者双方が発する」タバコの害について考えた人があまりいないというのもまた不思議である。タバコというものは西欧文化に取り入れられて以来、災厄の原因となったことも多々ある存在なのである。
あるいは、タバコという絶好のスケープゴートが存在するが故に、他の類似の不条理に対するガス抜きをどこかで促されていないか。そしてその不条理は喫煙者の糾弾よりもっと重大ではないか。
超常現象の研究で知られた心理学者、宮城音弥氏がタバコについて嫌煙観点ではない観点で著作を著している。その論が正当かどうかはさておき、タバコ、アルコール、ドラッグといったものがこの世に何故存在し、その一部がなぜ合法とされているのかについて考える必要がある気がする。習慣性という観点では、お菓子とかアルコールとか炭酸飲料も同一の俎上にあげられても良さそうだし、タバコだけが感情的な議論で(しかも決着せず平行線)いいのだろうか。