NoGoodの日記: 上っ面だけが生命の揺り籠ではないな。
こんな断りをわざわざ入れるなんて、私の過ち(いや、真偽については AC ごときが間違ってると主張しても、彼等はより妥当性のある根拠となる情報源を一切示してないので、私をおもしろおかしく叩いてるだけで彼等の主張に正当性は全くないんですが)から AC な御方に叩かれて神経質になっているかも。
でもその程度で屈して日記までやめるのは有象無象の泡沫に過ぎない AC な臆病者ごときをのさばらせるみたいで癪なので、意地でもエントリしつづけようと、うつに入ってるヒマなんぞないのだった(苦笑
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そういえば、生物新種発見の可能性について、極域と深海が未探査、というか調査不足であると指摘したことがありましたが、高高度大気圏(aerosphere の上、troposphere、stratosphere、mesosphere、thermosphere、exosphere)や、ジオフロント以下の大深度地下も全く手つかず、と言って良いのでは。
そもそも、「生命とはなんぞや」という哲学的議論にまで遡れば、今、常識という名の偏見で非生命と看做している、例えば路傍の石にも命が宿っているかもしれない、という意見に誰も否定出来ないでしょう。
生物学者が「これは生命体ではない」とスルーしている存在に、生命が宿っていないとは誰も否定出来ないでしょう。
「生命」、それも「知性生命体」というのは、特に「知性生命体」という存在に人類が遭遇したことがないので、人類が手前ェの都合で決めた分類です。
自我があり、自律して自由意志で活動している(結果として微動だにしない場合も当然在り得る)、という存在を知性生命体と定義するならば、その存在を人類の観測・調査手段で判断する事は大変難しいと言わざるを得ません。
コレを読んで、そんなバカな、有り得ない、と思った貴方、可能性を否定する事は発展の余地を狭める事ですよ。
疑うことと否定する事は全く違います。
そういう柔軟性を欠く思考は、既に発見され報告された内容を埋もれさせ、悲劇的結末とともに「たら」「れば」という不毛な回顧とともに後悔するハメになるのです。
話を生命存在の可能性に戻しますが、高高度大気圏、それもオゾン層や電離層の外で生命が存在し得るとしたら、その生命体は、宇宙空間において生存しうる可能性を秘めた生態系を成していることでしょう。その構造から人類は多くの知識を得る事ができるはずです。
また、大深度地下において生命が存在し得るとしたら、もはや我々とは密度の概念が大幅に異なる生態系を為していると考えられ、地中が我々における大気圏を為しており、地表に出る、ということは我々が大気圏外で EVA を行うに等しいほどの違いがあると思われます。
そして上述のように、高高度大気圏において生命の存在が難しい、と考えているように、大深度地下に棲息する生命体が知性を持っているならば、地表に我々のような密度希薄な生命の存在を疑うことでしょう。
翻って高高度大気圏における生命を考えると、我々のように強固な密度を持つ必然性は無く、むしろ重力の影響よりも各種放射線・宇宙線などの電磁放射による影響から生態系を維持する為に、我々のような生化学による営みよりも、電磁力による生命活動を重視し、各種放射線・宇宙線を糧とし、イオンや分子間結合によって主構造が組成されるといったミクロな視点による生態系となるのではないでしょうか。
ここでようやく分子コンピューターが実現する「ミクロの決死圏」との接点が生まれる訳ですが、ナノテクノロジーによる μm オーダ、nm オーダの計算機がようやく実現の目処が立ちつつ在る現在、同様のスケールによる知性生命体の可能性について、真剣に考える時が到来したのではないでしょうか。
# 全部元ネタ SF のある(ただし記憶だけから記述している)妄言(by AC な御方)なので日記エントリ止まり。
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