NoHopeの日記: みんな違ってみんないい 2
より優れているのは理系か文系か、という論争を稀によく見る。受験時の難易度や生涯賃金、地位などを比較してカンカンガクガクするのは聡明な皆さんに任せるとして、私は別の角度からこれを考えたい。
人は死ぬ。これを読んでいるあなたもそうであるし、私もそうである。死を考えるか考えないかに関わらず、これだけは現時点ではどうにもなっていない。私はこれといった宗教に属しておらず、人は死んだ先のことは認知できないと思っている。つまり主観的には物心ついたときから死ぬ直前までの間しか世界が存在できないと考えることができる。文系であれ理系であれ、自分の幸せのためであれ他人の幸せのためであれ、ありとあらゆるものの効力はせいぜい80年かそこらで主観的には無くなってしまうのだ。結局、自分が幸せであれば主観的にはそれでよく、理系も文系も言ってしまえば価値は同じなのである、というのが私の主張だ。
しつこく「主観的には」と書いたのは、「主観的に」考えている人間にとっての他人の主観を全く考慮していないからである。自分が良ければそれでよいという考え方は、また別の「自分」にとっては良い影響を与えない場合が多々ある。例えば「無敵の人」、最近では俗に「ジョーカー」と呼ばれる人間がそれに当たるのではないだろうか。普通にめちゃくちゃ迷惑だからやめていただきたい。なのでもし「主観的に幸せであればそれで良いんだ」という思想になってしまった方は他人への善き施しによって幸せになる道を見つけるか、「それでも他人のことを思いやろう」という意識をもって生きることを私はお勧めする。
#めちゃくちゃ関係ないが、昨日宅配してもらったカツ丼の容器の蓋に「ご注文ありがとうございます!!」という文字とウサギのかわいい絵が描いてあって「スタバかよ」と思いました
#スタバにはほとんど行ったことがないので、実際のスタバではそんなメッセージを書かれることなんてないのかもしれない
主観はせいぜい24時間 (スコア:0)
人は寝ます。一生懸命頑張って起きていても48時間くらいで限界。ふつう、24時間起き続けているのもつらい。
ということは、主観的には起きたときから寝る直前までの間しか世界が存在できないと考えることもできる。
という考え方も。
世界は我々の記憶も意識も何もかも含めて3分前に創造された仮説、ていうのもあって「連続的な意識」というのも怪しいけど。
輪廻 (スコア:0)
ひとは同じところをグルグル回るからね。
なかなか上へはいかれない。
難しい理を自らと同一にし、体現できるようになったとしても、なお他人を導く事は難しい、とか。
まぁ、しらんけど。