PaganBaroqueの日記: 健常を前提とした幻想と害 3
日記 by
PaganBaroque
今まで逃げる事しかしなかった者は、転向を志しても、正面から問題と立ち向かい、その問題を解決し、超える事は出来ない。
その象徴が「歴史を回復」しようとした村上春樹の「ねじまき鳥」であり、母性と女性性の逡巡と葛藤を「唐突に解消」した萩尾望都の「イグアナの娘」である。
結果は火を見るよりも明かであるが。
それは、問題と闘う事を選べた者が、問題から逃げ出し、当面は(この場合、永遠と同義であるとも思われる)、完全に逃げおおせると傲慢に安閑とした態度を取り続けた事への当然の帰結である。