Pravdaの日記: 英仏百年戦争
佐藤賢一『英仏百年戦争』(集英社新書)より。佐藤賢一 [wikipedia.org] と言えば、中世末期のフランスを舞台にした歴史小説で有名ですが、この本はノンフィクション。例によって、カバー裏の紹介文より引用。
それは、英仏間の戦争でも、百年の戦争でもなかった。イングランド王、フランス王と、頭に載せる王冠の色や形は違えども、戦う二大勢力ともに「フランス人」だった。また、この時期の戦争は、むしろそれ以前の抗争の延長線上に位置づけられる。それがなぜ、後世「英仏百年戦争」と命名され、黒太子エドワードやジャンヌ・ダルクといった国民的英雄が創出されるにいたったのか。直木賞作家にして西洋歴史小説の第一人者の筆は、1337年から1453年にかけての錯綜する出来事をやさしく解きほぐし、より深いヨーロッパ理解へと読者をいざなってくれる。
佐藤賢一さんは、大学で西洋史の博士課程に進んだだけあって、込み入った内容を非常に明晰で分かりやすく説明しています。
まず、1337年から1453年の116年間に間歇的に行われた英仏間の戦争を「英仏百年戦争」と名付けたのは、20世紀初頭の歴史家によるもので、著者はそれを「第二次百年戦争」と呼んでいます。そして、その前史である1173年から1259年までの英仏間の戦争を「第一次百年戦争」と位置づけています。
では「第一次百年戦争」とはどんなものだったか?、というと、実はフランス人同士の戦いだったのですね。イングランド王国の成立は、11世紀のノルマンディ公ウィリアムの即位からですが、ノルマンディ公の名の通り、フランスのノルマンディ地方の豪族がブリテン島に攻め込んだだけの話で、根拠地はフランスにあります。使う言葉も当然フランス語。つまり「第一次百年戦争」は、「大陸にある先祖の土地を返せ」と主張するノルマンディ公の末裔(=イングランド王家)と、フランス王家との戦いだったわけです。
次に「第二次百年戦争」ですが、戦争が始まる1337年頃になると、フランスは諸侯の集まりでその中の最大勢力が王家という典型的な封建体制でしたが、イングランドは国の小ささが幸いし、王権の強いコンパクトかつ効率的な政治体制に変貌していました。そして当時欧州屈指の商工地帯だったフランドル伯領(今のオランダ)で騒乱が起き、フランドル伯はフランス王家に庇護を求め、一方で都市勢力はイングランド王の支持を表明したため、それが契機となって両国間で戦争が始まります。
「第二次百年戦争」で興味深いのは、時代が下るにつれ、両国でナショナリズムが次第に形成されていく過程で、1364年に即位したフランス王シャルル五世は、タイユ(人頭税)、エード(消費税)、ガベル(塩税)を軌道に乗せ、封建制から抜け出した国家財政を築き上げます。一方、1377年に即位したイングランド王リチャード二世は平和政策をとり、不評の声の中でアンチ・フランスの気運が高まり、その裏返しでイングランドのナショナリズムが芽生えます。そして、次のヘンリー五世以降、王家の生まれでも英語しか喋れなくなります。こうして、イギリスとフランスという既存の国が「英仏百年戦争」を戦ったのでなく、「英仏百年戦争」がイギリスとフランスという新たな国を誕生させた、というのが著者の主張です。
その他、シェークスピアの歴史改竄、黒太子エドワードやジャンヌ・ダルクの活躍といったエピソードもあるのですが、割愛します。
この本から離れますが、興味があるのはフランスとドイツの関係で、18世紀あたりから主にアルザス・ロレーヌ地方の領有をめぐって両国は争いますが、19世紀の普仏戦争、20世紀の第一次および第二次大戦と、戦争の規模はエスカレート。そして第二次大戦後、フランスは過去の遺恨を棚上げし、政治面と経済面でドイツと密接な同盟を結んだのはご承知の通り。国民国家を止揚した体制ですが、さて、この体制は続くものでしょうか?
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