Pravdaの日記: 著作権者は誰だ
前のエントリの続きのようなものですが、岡本薫『著作権の考え方』(岩波新書)より引用。
本書でも「コンテンツをつくった著作者が権利を持つ」などと当然のように述べており、世の中の多くの人びとがこのことに何の疑問も持っていないようだが、よく考えてみると、あるコンテンツについて「誰が著作権者か?」ということは「絶対に分からない」のだ。
(中略)
要するに、「何も分からない状態」の中で、「この人が権利者だろう」という前提ですべてのビジネスが行われているだけであり、裁判で決着するまでは、もともと不安定な状況に置かれているのだ。
これは興味深い指摘ですね。例えば、大江秀房『科学史から消された女性たち』(講談社ブルーバックス)という本を持っていますけど、この本は剽窃が発覚して既に絶版です。しかし盗作だからといってこの本を没収されることもないですし、おいらまで訴訟に巻き込まれるわけでもありません。剽窃があったことを知らない人もいるでしょう。むろん講談社も、大江氏と出版契約を結んだ際に「この本の著作権者は大江氏」と認識したのですが。
また、この駄文を書いているパソコンのCPUやメモリで、その製造会社が米国のサブマリン特許に抵触して莫大な補償金を払うことになったとしても、おいらに「製造原価が変わったから追加料金を支払え」という請求が来ることもない。まことに、エンドユーザーからすると真の著作権者は見えにくいし分かりづらいものであります。
前のエントリで、文化庁の「自由利用マーク」に触れましたが、そのQ&A集に、売り出されたばかりの人気ソフトが個人のホームページにマークが付けられて掲載されているなど,「ありえないのでは?」と思う場合に,確認せずに利用すると違法となりますか? [bunka.go.jp] という項目があります。答え(というか、文化庁の見解)は「違法」で、以下引用。
著作物を創った人(著作者)が,売り出されたばかりの人気ソフトを利用料なしで自由に利用してかまわないということは通常考えられませんし,一般の人のホームページに掲載することも通常考えられません。このように,「誰がどうみてもおかしい」と思われる場合,確認もせずに利用すると,重大な過失があるとみなされ,違法な利用になると考えられます。
最近では、私的使用の範囲内でも違法複製物からの複製(ダウンロード)を違法とする動きがありますが(例:ITmediaの記事、反対意見多数でも「ダウンロード違法化」のなぜ)、この点で、文化庁の『情を知って』の場合の見解はブレてないように思えます。裁判で最終判決が出ていない限り、文化庁は「誰が著作権者か?」の判断を示せないし、また「誰がどの著作権の信託を受けているか?」も関知しないので、賛否は別として、最終消費地に近い所で制限を設けようとするのはお役所の論理として自然でしょうね。前掲書『著作権の考え方』では、以下のように述べられています。
つまり、あらゆるコンテンツは「知覚されてナンボ」というものなのであって、著作権の中の財産権というものは、本来は「無断で知覚(アクセス)されない権利」という権利だけでいいはずだ。
(中略)
つまり、現在ある権利(財産権)はすべて、「エンドユーザーによる知覚行為を完全に把握することができない」ことから、本来権利を及ぼすべき「知覚行為」を権利の対象にすることができないために、「その一歩手前の行為」をやむなく権利の対象としている──という「便法」にすぎないのである。
この、岡本薫『著作権の考え方』(岩波新書)は、前のエントリや一ヶ月前のエントリ [srad.jp] でも紹介していますが、文化庁サイドから見た本とはいえ、どのような考え方に基づいているか説明されてますので、ご興味のある方はぜひご一読をオススメします。
もっとも、著作権から派生したさまざまな権利(演奏権、公衆送信権など)もまた、誰がどの権利を持っていて、どのように権利を行使できるかエンドユーザーから判りにくいのですけど。最近では、JASRACと契約して初音ミクに歌わせた曲を一般公開している栗原潔氏が、JASRACと信託契約を結ぶ場合の課題について [itmedia.co.jp] のエントリで「追加」を連発しているように、知財の弁理士である栗原氏にとっても難しいようです。
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