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Pravdaの日記: 国語審議会 ─ 迷走の60年

日記 by Pravda

安田敏朗『国語審議会 ─ 迷走の60年』(講談社現代新書)より。著者は1967年生まれと若い方で、専門は近代日本言語史。

この本の章立ては以下の通りです。

  • 序章  いま、なぜ国語審議会なのか
  • 第一章 未完の事業としての国語政策
  • 第二章 官制から政令にもとづく組織へ
  • 第三章 顕在化する齟齬
  • 第四章 論争の時代をすぎて
  • 第五章 国語における「歴史」と「社会」
  • 第六章 ナショナル・アイデンティティのゆらぎ
  • 第七章 民主主義下の敬語
  • 第八章 国語は乱れているか
  • 終章  文字論をめぐって

「あとがき」によると、本書の柱は二つあり、まずひとつは国語審議会の歴史を簡単に追うこと。もうひとつは国語審議会答申やそれに関わった人物の主張から言語観、とりわけ国語観・敬語観の変遷を見ること。「こうしたことに違和感をもってもらうことが本書の最終的な目標である」と言いつつ、序章にて、

ことばは伝統である、と唱えてもよい。「母語としての国語」とはその意味である。しかし、ことばは趣味の問題でもある。ことばが多様であることは、けっして「乱れ」ではない。ことばが通じないことは、けっして恐怖ではない。ことばを一元的に管理することはできない。それは国語審議会の漂流の歴史からもあきらかである。
(中略)
さまざまな日本語が存在することを、混沌や混乱などとみなさないこと、これが本書の主張である。

と述べています。

戦後、政令にもとづき国語審議会が再開したのが1949年7月ですが、「民主化」「効率化」「祖国愛」などとお題目を唱えつつも、結局は各委員の言語観の押し付け合いに過ぎず、また文科省も日本語を「善導」すべきプランを持っていないのですから、「面白くも哀しいドタバタ劇の数々」と本の帯に書かれても仕方ないと思います。

戦後の国語審議会には「前史」があり、明治35年に発足した文部省国語調査委員会がその嚆矢だそうですが、この頃から国語国字問題 [wikipedia.org] があり、漢字全廃を図るカナモジカイやローマ字会、さらにエスペランティストが活動を行い、また戦争下で日本軍占領地での日本語教育で、戦後かなづかいに通じるような簡略化案が出ていたそうです。

もちろん技術の進歩とも関連があり、米国アンダーウッド・タイプライター会社に発注していたカタカナのタイプライター、すなわちカナタイプ [wikipedia.org] が1923年5月に日本に届き、邦文タイプでは1分間に30~40字しか打てないのに比べ、カナタイプだと300字は打てたそうです。カナモジカイ会長だった伊藤忠兵衛 (二代) [wikipedia.org] は伊藤忠商事と丸紅の基礎を築いた人で、戦中から戦後にかけて、これらの商社ではカタカナ文書が正式なものとされていたとか。

1978年に東芝が初の日本語ワープロを発売しますが、著者は「国語審議会が通産省と連携をしなかったことなど、やや怠慢な側面は否定できない」とし、最後の答申の文章(国語審議会は2001年1月に廃止)、

むしろ、簡単に漢字が打ち出されることによって漢字の多様化傾向が強まる中では、「一般の社会生活で用いる場合の、効率的で共通性の高い漢字を収め、分かりやすく通じやすい文章を書き表すための漢字使用の目安」(「常用漢字表」答申前文)となる常用漢字表の意義は、かえって高まっていると考えるべきである。

に対し、「(簡単に打ち出せるようになったことで)基本的に制限をかける方向でなされてきた漢字政策が、その制限の根拠をうしなうのではないだろうか」と異議をとなえています。

ところで、文化審議会国語分科会委員の齋藤孝先生は2004年に『CDブック  声に出して読みたい方言』(草思社) [bk1.jp] なんて本を出してたんですね。広島弁の『人間失格』や名古屋弁の『雪国』など、文学作品を方言に翻訳したものが朗読されている本だそうで、著者は「商才たけた齋藤に一貫性を求めてはならないが」と前置きしつつ、それらの文学作品の成立は朗読された方言と無縁であることを指摘しています。

その他、言語学者の金田一京助、中国語学者の倉石武四郎、国語学者の時枝誠記らの言語観に触れられており、なかなか興味深く読めた一冊でした。

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