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Pravdaの日記: 江戸の教育力

日記 by Pravda

高橋敏『江戸の教育力』(ちくま新書)。ざっとネット検索したところ好意的書評が多いようですが、あえて異を唱えたいと思います。著者の高橋敏氏は近世教育・社会史が専門で、現在は国立歴史民俗博物館名誉教授の方。

以下、筑摩書房の内容案内より。
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480063984/

江戸の教育といえば、「寺子屋」「読み書き算用」だが、その内実はどのようなものであったのか。寺子屋では子ども一人一人に応じて、社会に出て困らないような、「一人前」になるためのテキスト(手習教本)が用意され、そうした文字教育は非文字の教育(しつけ・礼儀)と不可分のものだった。地域において教育を担ったのは、名望家の文人たちであり、そのネットワークが日本中に張りめぐらされ、教育レベルを下支えしていた。その驚くべき実像を、近世教育史の第一人者が掘り起こす。

あのー、江戸時代の学問と倫理規範は共に儒学に拠っていて、「文字教育」としつけ・礼儀が不可分なのは別に「驚くべき実像」でも何でもないと思うのですが…。明治以降の近代的教育とは違います。

著者は「『ヒト』を『人間』にした江戸の教育」というフレーズがお気に入りのようで、寺子屋の師匠の厳しさを例にとっていますが、儒学の考え方では「訓導して厳ならざるは師の惰(おこた)りなり」で、先生が厳しいのは当たり前でしたしねえ。また「子供観」も江戸と今とでは違う。

著者は静岡、群馬、千葉をフィールドに研究し、なるほどさまざまな人が献身的に教育を行なった実例があがっています。それを否定することはできません。ただ、これらの地域は旧幕の頃は、博徒や渡世人を多く出した地域でもあるんですよね。天領、寺社領、旗本領が入り組んでいて、かつ農業の生産性も比較的高い地域だったため教育にエネルギーを注げた一方、ゴロツキの無宿者を輩出するだけの余裕もあった、と。

では、土地が痩せていて藩の圧政に農民が苦しんでいた地方の教育事情はどうだったかというと、まあ、資料は非常に少ないのではないかと思われます。しかし、資料の多い地方ばかり調べるのは、まるで夜道で財布を落とし「他の所は暗くて分からないから」と、街灯の下ばかり探すようなもの。それで「江戸の教育はこうだった」と言うのは説得力に欠けます。

この本の著者は、現在の教育の荒廃に対し「何か言わなければ」と、この本を書いたそうですが、一読した限りでは学術的批判無しの手放し復古臭が感じられます。近世教育・社会史という学問分野は「本当に大丈夫かいな?」と思いましたね。

なお、重松一義『江戸の犯罪白書』(PHP文庫)によると、寺子屋だけでなく、一般の商家でも「店仕置(たなしおき)」が定められて「躾(しつけ)」が厳しかったとか。この時代の人びとの「一族あるいは共同体から縄付きを出さない」という努力は大変なもんです。江戸の刑罰は、罪を犯した本人だけでなく連帯責任を問われたので当然なのですけど。こちらの本は非常に面白いのですが、残念ながら現在品切れのようです。

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