Pravdaの日記: 読書メモ(田中克彦、新村猛)
■ 田中克彦『エスペラント ── 異端の言語』(岩波新書)
ことばって何てすばらしいんだろうか、そしてとりわけ日本語のこの優雅で融通無碍のしなやかさと言ったら!──と、とにかくほめたたえておくのが、今の時代の健全な日本国民が、世の中をぶじに通っていくための通行証のようになっている状態である。私が教えていた大学でも、言語学の授業でレポートを書かせると、「本当にそう思う?」と問いただしたくなるようなことば賛美が多かった。かれらはよく知っている。日本のことも日本語も、とにかく美しいと言っておけば問題は起きないのだと。しかしこんな大学や学生からは決して学問が生れることはないだろう。ほんとうは、こんな日本語は困ったもんだと書く学生が一人ぐらいはいてほしいものだ。
ずいぶんと皮肉な物言いのようにも見えるが、田中克彦先生のホンネなのだろう。言語学でも色々な分野があると思うが、理系の「理論」に相当するような分野で、「この方程式は正しい、なぜならば美しいからだ」などと寝言のようなことを言われては学問の進展は望めない。「お店に並べている品物には、付かず離れず」という態度が、商売でも学問でも必要なのかも。
健全な学問的批判はその学問の進歩に欠かせないと思うが、そう簡単に「学問的批判」が出てくるワケはなくて、まずオリジナリティーが必須であり、誰でも考えつけて言えるような批判にまず価値は無い。(たまにマグレ当たりはあるとしても) とりあえず自分のことは棚に上げるとして、まことに「小人と馬鹿な上司は養い難し」である。なんでも口に出せばいいってもんではなかろう。
かつては、ヨーロッパではラテン語が、アジアでは漢文だけがほとんど唯一のまともな言語であった。それ以外の文字に書かれないことば、日本語もずっとそうであった、書かれない声だけのことばを、今でこそ私たちは「美しい日本語」となどと言うようになったが、そんなことばは「言語」ではなかったのである。
■ 新村猛『「広辞苑」物語 ── 辞書の権威の背景』(芸生新書)
〔補:新村猛の父、新村出の「随想」の引用〕
ところで、中学時代には、学校で「君が世」を歌はせられたことも無かったと共に、国語・国文の課程と云ふものも一時間も無かった。私達が卒業した二十五年の頃には下級中学には国語の新課程が出来てゐた様に記憶するが、明治二十一、二年頃の私の中学時分には無かった。
明治二十年頃には「読み書き」は教えていても、さらに上の教育課程まで国語を教え続けるカリキュラムは無かったのが、この文章からも窺える。
新村出が国語学に興味を持ったのは、国文をかじっていた五つ年長のお姉さんの本の影響とか。
〔前略〕姉の持ってゐた博文館出版の日本女学全集の一つである「日本小文典」を一寸のそいて見たことがあった。その時はじめて、国語にも英語の様に、文法と云ふものがあるのかとうなづいたのが、たしかに何となく自分を国語学の方へ知らず/\誘ふに至った一因子となったことは争へない。
明治二十年頃に、どのような日本語文法が教えられていたかは個人的に不明。現在学校で教えられている日本語文法は橋本進吉(1882-1945)の文法で、橋本は新村出とほぼ同世代。明治二十年頃はまだ、日本語の書き言葉は言文一致体に移行する途中。
しかし『広辞苑 第二版』の編集は、新村出と新村猛だけではなく、猛の兄とその息子祐一郎、さらに猛の長男徹が参加したとのこと。まさに新村家三代にわたる家業で、この本は「新村家に都合の悪いことは伏せてある」との批判もあるが、そうキツく責められる筋合いの話でもないと思う。
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