Pravdaの日記: 「露助」考
ネットを見ていると、「『露助』という呼び方は戦後のシベリア抑留者から広まった」という記述を見て少しビックリ。
明治時代からある言葉なんですけどね。夏目漱石や内田魯庵、岩野泡鳴も使っています。ではこれらの人が「露助」を侮蔑的なニュアンスを含めた見下す言葉として使っていたかというと、文脈を読む限り、個人的には判断がつきません。
「露助」の語源は、「ロシア人」が自分たちのことをロシア語で「ルースキー」と呼んだのを漢字にあてた、という説があります。(女性は「ルースカヤ」なんですけど) 語源説は結構アテにならないので、この話はご参考まで。
ただ、現在の日本人と違って昔の人は「カタカナ外国語」に馴染みがなく、憶えるのが難しかったようで「露助」もそうかも知れません。明治の翻訳・翻案で主人公の名前を漢字名にあてるのはよく行なわれていました。年代は下がりますが「シラノ・ド・ベルジュラック」を「白野弁十郎」とか。
で、日本の対ロシア感情が悪くなったのは、明治28年(1895年)の「三国干渉」以降で、それより前に「露助」という言葉がロシア人をあなどった言い方だったかどうかは、私見ですけど疑問に思っています。当時のロシアは日本と比べるとはるかに強大な国であり、またその頃はトルストイやツルゲーネフなどの作品が日本に入ってきて、文化国とも思われていたようです。
「露助」を蔑称として使うようになったのは日露戦争の勝利以後だと思われますが、そういう空気を引きずったのかソ連軍の軍事情報収集を怠り、「ノモンハン事件」(両軍の投入戦力を考えればレッキとした「戦争」なのですけど)で惨敗し、多くの将兵の命を失わせた関東軍上層部の責任は重い。
戦後は「露助=ロシア人の蔑称」という「語義」が定着し、また司馬遼太郎も使っているそうです。個人的には、ロシアの小説・映画・音楽の愛好者であり、また「他国人をネット上で卑しめる、口先だけ威勢のいいプチ・ナショナリスト」とか「差別主義者」と思われるのは心外ですので、「露助」という言葉は原則として使いません。
もっとも、旧ソ連の共産主義体制は大嫌いなのですけどね。ちなみに、ここでのハンドル名は“Pravda”を使ってますが、アカの同調者でないことを申し添えておきます。“Pravda”は旧ソ連の御用新聞であり(ロシア語で「真実」という意味なのが皮肉)、「まあ、私の言ってることもアテにならんなよあ」という、一種のダブル・ミーニングで採用した次第。;-)
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