Pravdaの日記: 天下之記者(テンカノキシャ)
高島俊男『天下之記者 ─ 「奇人」山田一郎とその時代』(文春新書)、読了。
以下、本の帯より。
東大は出たけれど──
友はみな偉くなり、我ひとりの失意の人生。
東大卒で一番出世しなかった男、
その名は平々凡々たる「山田一郎」。
奇人伝説につつまれた、その一代記。
語るは、「奇人」が三度のメシより大好きな高島俊男先生です。
これより多少詳細な内容紹介は、文藝春秋のWebページにもあります。
http://www.bunshun.co.jp/book_db/6/60/62/9784166606214.shtml
新書なのに378ページもあるぶ厚い本。また、最近の文春新書は「帯」の幅が広く、本の高さの半分を越えています。(どこがウエストなんだか? :-) 元々は文藝春秋の雑誌『ノーサイド』に連載されていたのですけど同誌が廃刊になり、そのあと『文學界』に執筆した原稿をリライトしてまとめたものだそうです。
明治18年の時点で、日本全国に「文学士」がたった47人しか居ない中、高田早苗らと共に東京専門学校(現在の早稲田大学)の設立に参加しつつも無名で、在野のジャーナリストとして数え46歳で死んだ山田一郎。その人物像は死後に出た薄田斬雲『天下之記者 一名山田一郎君言行録』と山田の文集『愛川遺稿』あたりでしか窺い知ることができないようですが、本当に「奇人」であったか否か、高島先生がその生涯を追跡します。
この本の主人公は確かに「山田一郎」なのですが、「明治時代」というもう一人の主人公も多く語られています。山田一郎の同級生だった物理学者の田中舘愛橘(1856-1952)といえばローマ字論者としても有名ですが、この世代は高等教育をお雇い外国人から受けていて抽象概念を言い表すのは英語の方が楽でした。また鉄道の東海道線が新橋~神戸間で開通したのが明治22年で、山田が東京をあとに静岡へと移った明治18年には汽車は使えませんでした。第一回衆議院議員総選挙が行なわれた明治23年、人口が最も多かったのは新潟県で(東京府は4位)、人口対有権者の比が最も大きいのは滋賀県(東京府は最も小さい)、などなど。
しかしまあ、こういう本を読むとつくづく、明治ってのは疾風怒涛の時代だったんだな、と思いますね。東洋の島国が維新後たった40年で、列強ロシアとの戦争に勝利したのに世界は驚いたそうですが、私も驚きます。もっとも、そのツケは大正時代から昭和初期に回ってくるのですけど。
高島俊男ファンや明治時代ファンにはオススメの一冊。でもこの本、近年の「新書戦争」が無ければ出版されてなかったのでは? 新書ラッシュも迷惑やらありがたいやら…。
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