Pravdaの日記: 〔書籍〕 民衆の大英帝国
川北稔『民衆の大英帝国 ─ 近世イギリス社会とアメリカ移民』(岩波現代文庫、2008年)、読了。著者は1940年生まれ、大阪大学名誉教授、京都産業大学文化学部教授。専攻はイギリス近代史。
以下、岩波書店のWebページおよび紹介文。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/60/1/6002040.html
十七・十八世紀イギリス社会の貧民層にとって、帝国の形成は何を意味したか。落魄し年季奉公の契約をして海を渡った者、兵士、流刑者、農民。植民地アメリカの基盤を造った彼らの出自と体験から、大西洋へと送り出した社会の実像が浮かび上がる。史料を駆使し、人の行き来の側面から大英帝国の姿をヴィヴィッドに描く「帝国」の社会史。
「産業革命」を準備した十七・十八世紀イギリス。都市部への人口の移入もさることながら、たかだか1世紀半ほどの期間に数十万人が本国から植民地に渡った時代でもあります。どのような人々が移民したかを分析し、当時のイギリス民衆の生活実態を明らかにした本。
植民地時代のアメリカへの移民の三分の二程度は「年季契約奉公人」という形態をとっており、渡航費や生活費をプロモーターに支弁してもらう代わり、プランテーションで通常四年間の強制的労働に従事することを契約して移住するタイプ。貧しく教養の低い若者が多かったそうです。
ではそれらの若者がどこから出てきたか?、という問いに、著者は「ライフサイクルの一環としてのサーヴァント」という概念で説明します。イギリス下層階級の男女は、十代半ばで親元を離れ、農業サーヴァントや徒弟、家事使用人として他家に雇われ、二十歳代後半で結婚して新世帯を営みます。サーヴァント期間の人々は、年齢が若く、独身で、住み込みであること、年雇用であるなどの特徴を持ち、生涯サーヴァントのままの人が滅多にいなかった点から、サーヴァント身分はイギリス下層階級の「通過ステータス」、現代の日本で言えば「学生身分」のようなものだ、と。
しかし年雇いの農業サーヴァント制度は衰退し、身分の不安定な日雇いレイバラーに取って代わられます。その原因は以下の3つ。
- 農業経営の効率上、年雇いの農業サーヴァントよりも日雇いレイバラーの方が安上がりである。
- 家族観が変化し、他人であるサーヴァントを自分の家族集団に入れることに心理的抵抗が生じるようになった。
- 年雇いにすると、定住法の規定によりその教区で定住権が成立し、救貧を受ける権利が発生するため、地域住民は救貧税の負担を少なくしたい。
このように、ある意味「セーフティ・ネット」だったサーヴァント制度が崩れると、失業したり解雇された若年層労働者は浮浪貧民となり、上記の「年季契約奉公人」として植民地に渡ったり、あるいは犯罪に手を染めて流刑者として植民地に流されたようです。
18世紀イギリスは植民地をめぐってフランスやオランダと戦争しましたが、兵士として植民地に送られたり、戦争終結とともに余剰労働力がドッと社会に流れ込み、職にあぶれた元兵士たちが移民するケースも多かったそうです。さらに18世紀イギリス農村では土地の「囲い込み」が行われ、地代引き上げにたまりかねた小作農が、家族ぐるみで渡航するパターンも。
また、ヨーロッパ大陸のカトリック諸国では、私生児や捨て子に対してかなり寛容で丁重に扱ったのに対し、イギリスなどプロテスタント国家ではきわめて冷淡に扱った点があげられ、「捨て子収容所」の子供たちや「少年犯罪者」を、植民地に流して処理するどころか、将来の兵士としてあわよくば「帝国の拡大、維持」に利用しようとさえする、近世イギリスに特徴的な思考法を指摘しています。
以下、「おわりに」より引用。
しかし、年季奉公人移民史の意義は、こうした西半球の労働力供給にかかわることがらだけでもない。そこには、この時代のイギリス社会のありかたそのもの、よりひろくいえば、形成途上のイギリス帝国の特性が、色濃く現れているというべきである。年季奉公人は、たしかにアメリカ社会では「労働力」として機能し、直接これを利用したプランターには歓迎もされた。(ただし、本書は、アメリカに渡って以後の移民の実態などの問題は、あえて捨象した。) しかし、かれらは、イギリス・サイドでは文字どおり「社会問題」の種だったのであり、イギリスにとってアメリカ植民地とは、その処理場──救貧院であり、刑務所であり、孤児院であった──にほかならなかったのである。〔p.276-277〕
このような18世紀イギリスの社会状況を見て、当時の思想家は何を考えたか? 堂目卓生『アダム・スミス ─ 『道徳感情論』と『国富論』の世界』(中公新書、2008年)の感想に続きます。
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