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RKの日記: Linux馬鹿、11年目のやりきれない想い 3

日記 by RK

先日、部署名もグループ名も肩書きも変わってしまったので名刺を作りなおした。
その時、名刺の作りなおしについて同僚(歩いて一番遠いグループのシニアマネージャ)と雑談したところ、「何か他に入れてもらえば?」とアドバイスをされたので、何を入れようかと思いを巡らし、結局以下のような俺肩書を付け加えてもらった。

Linux商用開発&配布11周年(※1)

創業から10年経っていない会社の名詞(※2)にこんな文句を入れたら怒られるかなと思ったのだが、すんなりとできあがった。まぁ、会社自体の歴史を少なくとも11年以上と誤解するケースがあるかもしれず、都合の悪い俺肩書ではないと思う。しかも、誤解といってもひどい誤解ではない。実際ここに11年以上商用Linuxディストリビューションを作っている人間がいるわけで、そういう人が作っているLinuxディストリビューションが出回っているのだから。

※1 ここでいう「Linux商用開発」とは「Linuxディストリビューション商用開発」の省略系。名刺の文字数制限で正確に書けなかった。「狭義のLinux」の商用開発専門組織というのは世の中に存在しないので、意地の悪い人以外は許していただけるだろうと思う。

※2 その直後、会社の名刺にCentOS & ZABBIXシールを貼るのが突然流行り出した。ひょっとしたら私の行動が何かのきっかけになったかもしれないので、その点は良かったかもしれない。ちなみに、シールの最初のリビジョンにはCentとOSの間に空白があるというバグが存在した(CentOSはセントスと読むのが本場流で、セント・オーエスはリナックスと同じく和製語であるから、少なくとも空白が入らないのが正しい)が、次のリビジョンで直すそうである。

11年、あっというまに過ぎた気がする。

最初の商用Linux開発は、私が大学生のときだった。
その時、私はMacユーザー、というかMac信者だった。
私の世代くらいまでのMacユーザーは、MSの収奪でAppleという楽園を放逐された経験を持つ。もしそうならなかったら、UNIXなんていうものに元Mac信者がしがみつく理由なんてなかったのである。MS憎さで泣く泣くコマンドラインを覚えざるをえなかった、ほわほわとした出身のアンチCUIなLinuxユーザーが私であった。(まぁそれ以外にもUNIX使いになるべき、当時の技術的な理由はあったのだが、ここでは心理的な理由についてフォーカスするため割愛する。)

今だから分かるが、アンチCUI派というのはまずそれ以前に英語嫌いである。CUIを使う時、私は英語と同じ脳の部位を使っている、と感じる。無論CUIかGUIかの議論はあるのであるが、非英語圏人は、二重の障壁があると思った方がいい。だから日本においては、CUIかGUIかではなくコマンド(CLI)是か非かという議論になりやすい。そして二重の障壁があるコマンドが数で優勢になることは決して、ない。かな漢字変換というCUIを深化させる可能性を持ったソフトウェアを持っている歴史があるのにである。
少なくとも私にとって、英語はコンプレックスであった。大学受験では、所謂文系3科目受験で、地理と国語は偏差値が70を超えたこともあったのに、英語は50代であったため、真っ当な大学を受験することに苦労し、実際に行った学部は2流大学3流学部4流学科といったところであった。(今は存在しない学科なので、4流で正しい認識だと思う。)

そんな私がLinux業界に入り今まで11年も仕事として続けられたのは「自らのパーソナルコンピューティング環境を主体的に決めないと、いつまでも不幸は繰り返す」という考えから発した、「その国のパソコンOS(やソフトウェア)はその国の人が開発したものを有力な選択肢として持つべきだ」という主張だったと思う。それによりユーザーが主役になれるということ。
Linuxがメジャーデビューしたとき、ああ、これで日本にも日本人によるパソコンOSを展開できるんじゃないか、そう思ったのである。私はB-TRONの悲哀を感じた世代ではないが、なにかしらのパワーバランスの変革が起こるのではないかと期待し、それに対してLinuxディストリビューションの開発と配布に協力することで、日本人が生き生きと使える幸せなPC環境ができると夢想したことがあったと思う。今いる会社についても、日本と世界のバランスを考えて正しいと思ったから参加したと思っているし、日本だけでなく、韓国、中国のエンジニアも同じような危機感を持っているだけに共感を持ちやすいと思う。

だが、11年後、日本において、現実はまったくそうはなっていない。

MSのAlternativeとして日本人が選んだのは、北米のOS「だけ」であった。公表されているデータによると、日本のRedhatはLinuxOSの分野において圧倒的な金額シェアであり、他は1/10程度であるから、対抗馬どころか比較対象にならない。

会社で使われるソフトウェア、特にOSは実績がものを言う。提供側の論理からすれば真面目に手を動かした数の積み重ねがシェアに反映されるのが正しいと思う。だが、例えば使ってみれば明らかにRedhatより頑張っていると見えるSUSEがTurboにすら届いていないのは釈然としない。百歩譲って1位Red、2位SUSE、3位Turboとかなら理解できるが、日本では実質2位以下は存在しない。

無論、Redhatが支持されるべき正当な理由はありすぎるほどある。それにMSとRedhatを比べればRedhatの規模は1/10ではすまないほど小さい。しかし、日本において他を興隆させなければならない理由を全く聞こえてこないのは何故だろう。
加えてRedhatの作るOSは、やっぱり日本人を幸せにするためのMSへのAlternativeにはなりえない。Fedoraの開発を覗くとアクティブな日本人は3人しかいないし、Redhatの人材募集欄を見るとi18nエンジニアしか募集がないのである。OSのベーシックな仕様部分に、日本人が係わっている風景は見られない。
私の脳裏に浮かぶのは、北米で作られたPC OSをインストールして日本人に提供する日本ベンダーの姿である。これはMSの図式と同じだ。人が生きる衝動は、感情によって作られ、理論によって正当化されると私は考える。しかるに、これらの日本ベンダーの人々は現状を面白いと思っているのであろうか。

それとも、11年、私はひたすら誤った道を通ってきたのだろうか。

社会人一年目では、Windows開発の環境の良さに本当に感動し「ああ、これがWindowsの本当の強さだ」と思いつつも、本当にWindowsへの嫌悪だけで会社を辞めてしまった。本当に生理的にWindowsはダメなんだとは知らなかったので、素直に自分に驚いた。
次に移ったLinuxだけやらせてもらえる会社は3ヶ月で潰れた。後で調べてみると、この時期に潰れた、あるいは危機説が流れたLinuxの会社は実に多いのだが、それどころではなかった。この時、製品を買ってもらうためには毎日終バスまでキーボードを叩いて幸せに浸っていたのではダメだと思い知った。最初に給料が出なかったとき、マーケティングなどLinuxディストリビューションをユーザーに届ける過程も勉強し始めたが、勿論救いようがなかった。このことは次の会社の時に少し役だった。少なくとも一時的な会社の資金繰りの危機(※3)を救うヒット商品を企画するのに貢献できたと思う。しかし、Linuxは売れなかったので、Windowsの商品を開発する部署に異動(半ば左遷)されてしまった。
ああ、それでは私は会社を移らなくてはならない。そういう理由で転勤を検討しはじめた。この間も、ずっとLinux商品を売るための勉強はしていて、Windows商品にその手法を適用するとそれなりに効果があることも分かった。寝袋を借りてでもLinux商品を熱心に開発すると平均以下の考課で、他人が開発したWindows商品の企画管理を「処理する」と昇格・昇給になるという、皮肉な結果になった。私が転勤する前後に会社の製品プロデュース担当執行役員が辞めたのだが、その後釜が私の予定だったと聞いた。とんでもない(※4)、これはLinuxのために身につけたものだ。と、その時は思ったので後悔しなかった。

(※3) 今ではその会社は寿命を終え他の会社に吸収合併されたが、当時の元幹部の方は元社員の人と独立して零細会社をいくつも興している。社長の資金繰りの才能は私があった人のうち今でも最高で、当時絶対潰れないと思ったから、たぶんやる気かやる意義をなくしたんだと思う。小さな会社は資金繰りだけで潰れるわけではないということ。

(※4) もう一つのとんでもない、はその元執行役員の人の才能のゆたかさで、机上勉強の私が及ぶべくもありません。今でもときどき会いにいく、私の師匠の一人です。

そして、今の会社。
正直言って、今までに比べれば雲泥の差だと思う。まず、Windowsの方が儲かるからWindowsを扱え、と言われることがない。次に、営業がLinux関連以外のものを売ろうと思わない。これだけでも大変にありがたい。勿論今までとはレベルの違うエンジニアが揃っている点も見逃せない長所。MS出の人が不満を漏らさないような、技術レベルの高さも維持できている。良いサポートのおかげで、お客様からも高い評価を得ている。

だけれども、私の「良いAlternativeを作る」という目標にはまったく進展がなかった、というか遠くなったかもしれない。私は幸せではない。

そして技術以外の勉強を通してついに分かってきたことがある。MSにしろ、そしてRedhatにしろ悪役ではなく、どちらかというと、ほとんどの日本のベンダーはお金が儲からないサイクルに入っていて自滅気味であること。当時のAppleは自滅しかかっていたのだが、それを統制できる者が復帰しただけで問題は解決したのだ。
そしてLinuxディストリビューションは小さな会社が新規参入してはいけないカテゴリーに属していること。なぜなら、新規参入してはならない理由が「ユーザーが成長すると、全くお金を払わなくなるから」だ。実際そうなってきているのである。

そう、まさに今起こっていることは教科書通りのことであってなんら新奇性はない。Dellが勝手に自分でUbuntuをサポートすることも、ほとんどのデータセンターがCentOSを並べることも、全く教科書通りに行われていることであったりする。ビル・ゲイツが引退し、MSがLinuxを完全につぶすことはついに叶わずとなった今日、Linux自体がなくなることはないし、今後はLinuxの普及はOSベンダーがやる必要がなく、成長したかつてのユーザーにより勝手に行われていくということも明らかになった。多くのLinux開拓者にとって、夢の世界へ一歩進んだことになろう。

しかしたぶん、なかには私と同じような考えを持つ人もいるに違いない。「...で、俺はどうやって生きていけばいいんだ?」

今日、Linuxを使う職種は多岐にわたっているし、昔のようにWindowsを強制されることも減っていると思う。しかし、私のようにユーザーが主役のOSにしていきたいから自らエンジニア役になったという人は「Linuxを使える」というのは必要ではあるが十分ではない。

当初の「Appleをどうして生かしておいてくれないんだMS」という叫びは、遠いものとなった。
しかし、自分にとっての問題は解決していない。

一エンジニアとしての生き方を破棄し、自ら目標のために全てをリーディングするか。
それとも目標というものは破棄して、Linux OS エンジニアリングに固執するか。
いっそのことユーザーがお金を恒常的に払ってくれる分野にシフトするというのもアリかもしれない。

日本に居つづけることか、目標か、エンジニアか、何かしら捨てなければいけないのだろうか。

Linux知合いの半導体屋さんが、「次があるとすれば職場は日本にはない」と言っていた。彼の現在の会社は順調であり、私も彼と同じで今すぐどうということはない。ただ「このままでは何もない春秋を終わる」と思うばかりである。

ちなみに、件の名刺だが、裏の英語表記にはこう書いてある:

11 years commercial distributing & developing for Linux

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • by Anonymous Coward on 2009年02月22日 23時50分 (#1518785)
    彼のLinuxの開発は、彼が学生→講師→Transmeta等でのサイドビジネス的な位置。
    そう考えれば、まずはサイドビジネス的に何ができるかを考えては?
    それすらまともに成功しないのなら、それを本業にするのは止めた方がいいだろう。

    もっとも、一番大事なのは何をやりたいか?だが。どこでやるか、ではなく。
    • by Anonymous Coward
      補足。
      日本とか米国とか国境にこだわりがあるようだけど、やりたいことに国境を意識する必要があるのかな?
      必要なものもあるだろうけど、無いものも多い。
      今時国境を意識せんでもワールドワイドな視点で物事を始めてもいいじゃないか?
      それに日本は含まれるものだし。
      特にソフトウェアに絡むものであれば。
  • by Anonymous Coward on 2009年02月23日 1時44分 (#1518827)

    ここでいうアンチCUIというのは相当ネガティブな意思を伴う立場かも知れませんが、
    そうでないなら、ゴールが曖昧な作業かどうか、ゴールへの過程を想定できる利用者かどうか、
    ゴールまでの方法論は限定的かどうかが最大の相違点ではないかと思っています。
    簡単に言うと、英語かどうかでなはなく前提知識の違い。

    GUIであってもメニューが日本語でなければ、「file > save > option > &1(任意)」みたいな
    手順を英語で習得しなければならないのでCUIだけが英語嫌いとは思えません。
    英語タイピングが嫌いというのなら、まだわかりますが、日本語をローマ字入力で打つ人なら
    アルファベットでの入力に抵抗感があるとは思えません。

    CUIでもコミットとロールバックみたいな概念で、試行錯誤しながら曖昧な作業はできますが、
    GUIならWYSIWYGな手続きによって、前提知識がなくても試行錯誤を繰り返せばイメージ通りの
    成果が出せるのに、CUIではパラメータのヒントがmanコマンドとか-helpパラメータを指定
    しなければ参照する事が出来ない習熟度の壁が市場を狭めてしまいます。

    ポートピア連続殺人事件がコマンド選択式になった際は、コマンドリファレンスを調べないと、
    「みる」ことさえ出来ないアドベンチャーの常識を覆して画期的だと評価されたといいます。
    CUI信者になってしまうと、「みる > なにを > かびん」という3つの単語のコンビネーション
    を知っていることを、さも必要不可欠な要素に思い込んでしまいがちです。

    本来ゲームのコマンド単語を引き当てる事には意味が無いのに、苦労する事自体に価値を
    見出してしまい、そこに安住して進化を求めなくなってしまいます。
    CUIを深化、GUIに進化、いずれのアクションも発生しないのは苦しい鍛錬を超えなければ
    免許皆伝されない、苦労が当たり前という古来の思想が浸透しているからでないかと思います。

    逆にいうと今のWindowsにしても、GUIであるにも関わらず、それなりに苦労してマスター
    した技能だからそれが最高なんだという、逆転した思い込み評価が多いように感じます。
    もちろん「自分が使いやすいものが最高の道具」も真実だと思いますし、Linuxのサポート
    や方言ディストリに比べれば、どこにいっても同じ操作が通用するWindowsを習得するのは、
    どっちを一本槍にするか選べと言われたら合理的な選択だと思います。

    なんだかまとまりがなくなってしまいましたが、要するにCUIの抵抗感は英語嫌いでなく、
    視覚的にリファレンスが得られるGUIが効果を発揮するような用途が、クライアント用途では
    主流になっているのでGUIが広く受け入れられているだけで、CUIが効力を発揮するような、
    前提知識がある人間がコマンド一発でアトミックな処理を流すような用途は市場が小さい。
    そういうことではないかと。

    >良いAlternativeを作る

    これはおそらくOS、ディストリベースで勝負するよりも、Windows上で非MSソリューションを
    定着させてからLinuxでもそれは出来ると言うようにアプリに対する考え方を変えていく、
    という所に成功のカギがあるのだと思います。具体的にはブラウザとオフィス、メーラですね。
    丁度MacがiTunesで音楽とSafariでウェブ閲覧くらいならOSXでも出来ると提示したのと同様、
    それをもっとMSと衝突する領域でやってるのがgoogleでしょう。

    例えば、ブラウザの一機能ブックマークだけ見てもオンラインのブックマークを使い出すと、
    ブラウザはIEでなくても構わないし、ネットをするのは自分のPCでなくても良くなってくる。
    PCに求める要件はWindowsであることよりも、ネットに接続できること程度になってくる。
    むしろPCである必要は無く、携帯電話でも、ゲームボーイ(今はDSか)でもいい。
    SaaSとかSOAとか言われていますが、インフラの整備によって昔オラクルが言っていたような
    「ネットワークこそがコンピュータ」(Web2.0でデータはインテルインサイドと焼き直された)
    という時代がようやく到来したのでしょう。

    コンピューティングの裾野を見ればAlternativeが溢れ、カオスになっていると思います。
    9時に出社して17時退社のような、典型的なオフィス文書を作るコンピューティングでは
    まだまだWindowsのAlternativeが通用しているようには思いませんが、そういうローカルで
    限定的な範囲から外に目を向けると、MSは有力なプレイヤーであることには違いないですが、
    OS以外の取り柄が昔に比べれば乏しくなっていると感じます。
    (その代わりXBOX360のように新たな実りを収穫している領域もありますが。)

    そういう意味では、↓で仰るような気分転換も必要でしょう。

    >日本に居つづけることか、目標か、エンジニアか、何かしら捨てなければいけないのだろうか。

    後ろ向きなニュアンスではなく、前向きに体の軸をずらしてみるということ。
    矢印の向かう先さえブレなければ、視点を変えるのは無駄に磨耗しないために有効でしょう。
    例えば、自社サービスをIEだけでなくFirefoxでも活用できるようにするというのは、
    小さい範囲で誰でも出来ること、そういう間接的なアクションでさえ長期的にはAlternative
    という文化を醸成していくのではないかと信じてます。

    目に見える成果や変化というのは、自分の関知しない場所で起きたりもするものですから、
    勉強会など [atmarkit.co.jp]横の繋がりを増やして立ち位置を確認して見る、
    孤軍奮闘的な不安を払拭するのには良いのではないかと思います。

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「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」

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