Ryo.Fの日記: 移民政策に賛成なのか反対なのか 2
移民政策に賛成なのか反対なのか
『室井佑月「同胞としての懸念」』
別に室井佑月だけが特別問題であるわけでは無いが、同じような意見をよく見るので代表して。
10月29日の朝日新聞に「外国人労働者『人』として受け入れよう」という、あたしの気持ちを代弁してくれる社説が載っていた。
そこにはこう書かれていた。
<外国人に頼らなければ、もはやこの国は成り立たない。その認識の下、同じ社会でともに生活する仲間として外国人を受け入れ、遇するべきだ>と。
そうなのだ。それが徹底してなされないのであれば、あたしは外国人労働者のこれ以上の受け入れに反対だ。
この国が好きだから。
差別がいかに恥ずかしいかという教育がなされないまま外国人労働者を呼んでしまうことは、この国の逆広報にならないか。
なるほどもっともだ。私も賛成である。
しかし、そう主張するのであれば、以下の問いに答えねばならないだろう。
- 「差別がいかに恥ずかしいかという教育」は、どのレベルに達したとき、十分と言えるのか?
- そのレベルに達する見込みはあるのか?
- あるとして、それはいつ頃になるのか?
まず、私自身の考えを述べよう。
最初の問いに対しては、当然だが、差別が発生しなくなることが一つの基準となるだろう。
二つ目の問いに対しては、(今のところ)決してそのレベルに達することは無い、と予想する。
なぜなら、多くの多民族国家で人種差別は未だに深刻な問題であり、解決されていないからだ。
日本でも在日朝鮮人差別は未だに無くなっていないし、琉球系日本人も差別され続けている。
三つ目の問いは、二つ目の問いへの答によって意味をなさなくなる。
さて、室井らはこれらにどう答えるだろうか?
差別は無くならない、ということを認めるだろうか?
差別は残っても、外国人を受け入れるべき、と主張するだろうか?
あるいは、差別はいずれ無くなる、と主張するだろうか?
ならば、その根拠は何で、いつか実現するかを述べなければならないが、それは無理だろう。
そんなこと言えるなら、世界中から差別は一掃されていないわけが無いが、現実にはそうなっていない。
さて、以下はついで。
なぜ、単純労働を担う外国人労働者の在留期間は最長5年で、その間、家族と一緒に住んではいけないことになっているの? 自民党の改憲草案では家族の大切さを謳っているくせに。つまり安倍政権は、外国人労働者を人として見ていないのでないか?
外国人労働者は、移民ではないのだから、いずれ帰国してもらわざるを得ない。
家族で日本で住むということになれば、日本で育って日本に馴染んだ子を無理やり帰国させることになるが、そんなことは人道的見地から許されはしないだろう。
とすれば、家族と一緒と言うのは認められない。
それがダメだ、というのなら、移民として受け入れざるを得ない。
だとすると、上で述べて困難な三つの問いに答えなければならなくなるわけだ。
室井らにその問いに答える意思や能力はあるだろうか?
個の確立と差別 (スコア:2)
それ自体が他人との違いを認識することであります。
なので,「差別意識」をなくすことはまあ,もともと無理なんじゃないかと。
ソコに拘泥する限りにおいては「他人を傷つける差別行動」を抑制することも無理だろうと。
つまり,差別心は認める。
ただし,あなたが思うことを相手があなたに思っている可能性があることも認めること。
そこでどう折り合いを付け,行動していくか,が重要なわけで。
声の大きいヤツに限って,そこらが疎かになってる人が多いように思う。
なので,自称リベラルがファッショになりやすいのもむべなるかな。
Re:個の確立と差別 (スコア:1)
それ自体が他人との違いを認識することであります。
なので,「差別意識」をなくすことはまあ,もともと無理なんじゃないかと。
区別と差別って話ですよね。
区別が差別を含んでいて、差別の前提として区別がある、というのはその通りです。
しかし、区別するからと言って、必ずしも差別するとは限りません。
なので、上の理屈には無理があると思いますよ。
つまり,差別心は認める。
今でも認められてますよ。
心の中だけで思う分には、自分以外の誰にも分らないわけですし。
差別に限らず、他の事でも同じですよね。
人を殺したいと思うのは、思うだけなら誰にも咎められません。
声の大きいヤツに限って,そこらが疎かになってる人が多いように思う。
なので,自称リベラルがファッショになりやすいのもむべなるかな。
声の大小(主張の強弱?)と、リベラルかどうかは無関係だと思います。