SS1の日記: blogサイトの空間距離2
社会の説明に心理学を応用したり,それで幸せならいい的なベタを評価する思想って,ジェームズからつづくプラグマティズムの延長だと思うし,日本では70年代に岸田秀がやってる。だから,現代思想史的には,結構歴史があると思うし,それなりの裏付けとかもあるんだと思ってたんだけど。
でも,私にはポモの人の言葉は,よくわからなかったりする。きっと,ポストに入れたら脱構築されたかして統合に失敗し,そういう歴史は無かったことにされてるんじゃないかと思うが・・・
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『わたおに』ネタの収集の一環として,波状言論を入手。有料(\250)で,“hajou06.txt”なんていうファイル名のテキストをダウンロードすると読むことができる。おっと,そのままでは改行コードが非互換なので,ワードに食わせてから読む。個人的には,\160くらいが妥当な値段だと思った。冗談だけども。このテキストファイルって,古書として売却していいのかしらん。なんてことも,ついでに考えたり。
さて,目的の記事は森川嘉一郎の「ヴェネチア・ビエンナーレ日本館:〈おたく〉展計画」なんだけど,ネタにしてるのは,鼎談のほうだ。
ここでMIYADAI.com管理人の鈴木氏によるネタふりで,「「儀礼的無関心」と日本のネットリテラシー」という,いまさらなテーマの話しがあった。鈴木氏は,なぜあれが盛り上がるのかわからなくて,素朴に疑問を感じたそうだ。だったら,ちょっとはゴフマンとか調べりゃいい気がするけど,あいつら全体主義とかオタクとかリバタリアンとか,平気でレッテル張りするし,彼の親方の宮代真司がこれまた,ネクラ的ラガードなんつうジサク語を持ってくる無神経なやつらだから,理解できないのも仕方がないとは思う。
あれがウケたのは,私が見るに,「関心空間」を連想させるキャッチコピーとして効いたのと,面白いブログをどうやれば長く読みつづけることができるかっていう,ブロガーにとっては普遍的なニーズをうまくすくい上げていたからだと思う。そのあとネタバラシをしてから盛り下がるのは当然なんだけれども。
つけくわえると,そこには「読者のプライバシー」という,普遍的だけども利己的なニーズを「ウォッチ先のサイトの存続という善意」として提案する。という親心チックなすりかえもある。鈴木氏は,どうやらそれがカチンときたらしく「じゃあ「良い意図をもって行動しましょう」という逆側の全体主義しか持って来れていない。」とまあ,これまた陳腐なファッショ批判で反発する。じゃあ,マッチョ・宮代はどうなのよ。と,こっちは思っちゃうんだけど。まあ,そこまでのネット経験値を鈴木氏は持っていないのだろうなと感じた。
ここ,スラッシュドットの場合はオープンソース系であるから「ネット公共圏論的な(ようにみえる)もの」を死守するために結構な労力を費やしている。そのため,鈴木氏とはかなり立場が異なる。それは,外部から見れば,ESRがいうハッカー部族というタコツボ的なもの,なのだろうけれども。それでも,それなりの意見は持っている。
ハッカー部族の特質かもしれないけど,私にも八田氏や山形氏のような啓蒙主義的なところがある。たぶん,私自身が誰かから学んだのだろう。日記の中の話でいえば,基本的なフレーム・ウォーズの対処法の処方箋化であるとか,もっとお節介なことまでやっている。あ。オタク話は,もちろんただの趣味です。
2ちゃんでも,一行スローガンやテンプレ文化で,同じ目的のリテラシーを作っているんだと思う。けども,単に私には向いてないし,マネできないやりかたなだけ。私が「ニョガーン」とかやったら,さぶいぼができそうだ。
ただ,パターン化方式にも,あれはあれで欠点があって,一行スローガンとかテンプレとかでは,自分の意見を表明したり,意見を戦わせることか,そういう議論をするには向かない技法だ。
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いきなり話が飛躍して申し訳ないんだけど。たとえば,サッカーの日本代表批判でいえば,声を出すための基本的なスキル。自分の意見を表明することや,それから感情も含めて的確な言葉にして表現することってのは,本来は高校生くらいまでで身につけるのが一番良いと思われるリテラシーである。そうした言葉を身につけさせないから,動物化したりするんだろうとか思う。いわゆる教育問題というか。
だがまあ・・・ むずかしいのだ。たとえば養老風に「そういう声を出す教育なんかしたら,日本社会が成り立たなくなるじゃないか」という批判があるし,もっとひどいのは「さいたさいたさくらがさいた」と大声を出させる練習を提案するやつ。なんでこんなことになったんだかわからないんだけど,橋本治のように「それは,ハニワです。平安時代からそうです。どうにもなりません」ってなかんじで,絶望的な気分にさせられる。橋本治は2ちゃんねるでやってるように上司にも「ハァ?」と,あ・き・れ・て,見せろ。と恐ろしいことをいうが,それはそれで,めまいのしてきそうな話である。
ああた,ジーコに向かって,それが言えるか?
たとえば,「ジーコは,神ではない!」なんつうスローガンを掲げることで,まともな声出しできるようになるんか?
結局,そういうやり方では,日本代表を強化なんかできないのである。
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脱線しすぎた。話をもどして,bbs/blogサイト間では部族の違いによる差異を,ネットコミュニティを組織化する欲望もあって,わざと敵を作るかのごとく意識的に強化される。という傾向にあるんだけれども,実際の差異は,ちょっとしたスタイルの違いでしかなく,そんなタコツボ化というほどのものじゃないと思う。
たとえば,2ちゃんねるの「煽りと放置」が,はてなの「降りる自由と儀礼的無関心」となり,スラッシュコードでは「モデレーションとカルマボーナス」・・・と,それぞれに独自のフレーム対策/対処法がほどこされているが,そこには,スタイルや実装方法の差があるだけで,その目的に,たいした違いがあるわけではない。
ただ,それでも言葉が通じないほどの大きな差異となるかもしれない。かれらの鼎談だって,私には,ちんぷんかんぷんなポモの用語が多い。けれども,明治以前なら地方ごとに言葉が通じないのはあたりまえだし,そんなビビることでも無い気もする。そもそも今ほど均質になっているのは,かなり強引な手法で均質化する政策を取ったからだ。そんなバベルの塔がくずれるのなんて,時間の問題じゃないの。とも思われる。
そういう時代がきたとき,ネットコミュニティのサラダボウルができてりゃ,タコツボに見えても,言葉が通じなくても,べつにかまわないんでないの。と私は思うわけだ。今だって,2ちゃん発のコンテンツも享受してるし,はてな発の文化の発展もヒトゴトながら楽しんでいる。行ったこと無いけど,ワンフェス発の文化も享受している。同様にスラッシュドットだって,なんかの役には立ってるだろう。たとえばスラッシュドットには,スラッシュコードと美味しいオムレツの作り方のノウハウができつつある。
そうした差異を否定しミキサーで均質化しようという欲望は,私には官僚的な思想としか映らないのである。
ただなあ・・・ ホントは,ほぼ日とか,アドバ系のプロパーの人達がウマイことやって,一枚の絵を作っちゃうかも。なんて,不安も少しある。彼らアタマいいから。かくして,過剰な宣伝合戦がつづく,というわけ。
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