SS1の日記: 今夜も易筋経
池袋へ出て,たにぐち書店の易筋経の復刻本を買ってきた。第一印象が,ともかく強烈な一冊だった。中国武術に興味がなければ,珍書,奇書と呼ぶしかない内容。で,ようやっと,目を通したあたりで,第一印象など。
吉田正平の序文によれば「北清事変(*1)の頭目之を学びて強かりし」なんていう情報(伝説)を元に実弟の幸田露伴に強く頼まれて中国で同書を探し求めて,入手,訳出したものらしい。
また,冒頭の日本人が書いた「神通自在論」がなんともアレな内容で,気=磁場みたいな解釈しつつ,当時(1920年)の科学知識とか精神論とか陰陽道とかをごっちゃにしたアレな仮説を展開してて頭が痛くなるんだけど,スルーして読んだ。道教の理論と科学を混ぜちゃいけないという,いい例にはなってる。
易筋経/洗髄経を一言でいうなら「少林寺の僧兵のための保健体育の教科書」というところ。内容的には秘伝(ぽいところもあるけど)というより,入門者の教育用で,まず易筋経を2年,それから洗髄経を1年と修養すると,立派な僧兵が出来上がる。ってかんじ。当時の日本では,そんな感じの軍事教練のマニュアルとして受け止められた印象がある。実際,そういう意味でよく出来てる気がする。というのは,肉体改造もするけど,セットで人格改造もしてしまいそうというか・・・
・・・で。なんつうか,びみょうに日本の小学校の体育と似てるのだよな。乾布摩擦とか,ラジオ体操とか。この本が日本の国民体育にどのような影響を与えたのか,個人的には,そっちのほうが気になったりする。
易筋経儀の膜論
李師匠の易筋体操の解説ともっとも関連が深いのが,この膜論。ひとまず,ザクっと引用する。かなづかい旧字体などはSS1が改変している。ちなみに原書は総ルビ。
易筋経 上編 易筋教義 第二 膜論 p.58 『神通自在』吉田正平訳,達磨大師原著,たにぐち書店より。
髄骨(ずいこつ)の外から皮肉(ひにく)の中,五臓六腑に至るまで,およそ筋(すぢ)のない処はなく,また膜(まく)のない処はない。
膜を筋に較べると梢(や)や軟らかく,膜を肉に較べると梢や勁(こわ)い。筋は條(すじ)のような縷(つず)れのような状態で,半ばは骨に半ばは肉に付いているが,膜は遍く皮肉を周(めぐ)って,全く之に附着していて,筋とは聊(いささ)か趣を異にしている。それ故に功即ち方法は須(すべか)らく各々筋や膜の自然(しぜん)に従って行なわなければならぬ。
ぱっと見,ナゾナゾみたいな文章である。で,本来的な解釈は道教の養生法とか,仏教哲学(*3)に沿って理解しなくちゃいけないんだろうけれども,そういうのは置いといて,身もフタもない解釈で読んでみる。
筋は,「半ばは骨に半ばは肉に付いている」というから,アキレス腱とかの腱のことみたいだね。肉は,半ばの肉だから,筋肉のこと。髄骨は,骨髄と骨格。皮肉は,皮膚と肉。
膜は,「遍(あまね)く皮肉を周って,全く之に附着して・・・」だから,皮下組織全般を指していると思う。というのは,同書の中の鍛錬法で,乾布摩擦(乾沐浴)したり,揉んだり(揉法),杵や木槌で叩いたり(叩法),さいごに石や穀物を詰めた袋で叩く(打穀法)・・・ という具合に直接的に皮膚を鍛える技法がいくつも並んでいるため。ここまでを読む限り,易筋教義の膜論は,皮膚と皮下組織(皮膜)を鍛える話とも説明できそうだ。
ただこう・・・ なんつうか,読んでいると人体の話じゃなくて,食い物の話を読んでいる気分になる。たとえば,五臓六腑ってすい臓が無いってのは有名だけど,それは,食用に適さないからじゃないか。とか,皮膜を鍛える方法を読んでると,なんだか松坂牛の肥育法に見えてくるというか・・・ あああ,こんなことばっか書いてるヒトは雛見沢(*2)に帰ったほうがいいかも。
以下は,膜論のつづき・・・
同上より引用。
筋を錬ることは易(やす)いが,膜を錬ることは難しい。蓋(けだ)し功を行うの道は気を以って主(しゅ)とする。天地の生物は皆気が至って其処に百物が長生(ちょうせい)する。故に功を行って気が至ると筋も膜も長く堅くなる。但し筋体は虚霊であるから気が乗って来れば活動して来るが,膜体は呆滞(ほうたい)といって感覚が鈍いから気合が十分に筋の倍程も乗ってこなければ活動することが出来ない。だから練習を積んで筋が活動するようになったら,須らく功力(くりき)即ち練習を倍加して全身に功が行き渡るようにするがよい。そうすると膜は活動を始めて筋と一所に堅くなって,外は皮(かわ)まで堅くする,そこで肉にも活気が充満して始めて完全堅固なものとなるのである。
其れをしないで筋に膜の助けがなかったなら,例えば植物に沃土(ようど)の助けがないようなもので,根本に滋営(じえい)の養分が無いから枝幹(しかん)が枯れ朽ちてしまう虞(おそれ)がある。其れではどうして功を全うすることが出来るものか。
後半では,膜は鈍いから気をしっかり乗せて膜を鍛えろなんて書いてある。李師匠の膜論は,この後半の記述がベースになっていると思われる。いわゆるマシントレーニングだと,筋肉って案外簡単につくもので,だいたい3ヶ月くらいトレーニングすると,自分の体重くらい持ち上げられるようになる。その意味で,後半でいう筋はいわゆる筋肉を指しているようにみえる。このあたり解剖学的な説明と運動機能的な説明で,ずれが生じてみえる。
これは膜論の前段の総論で「人間の髄骨は外は皮肉から内は四支に至るまで筋の無い処はなく,筋に拠らない勁(つよ)さはない。」とあるんで,結局,筋は腱じゃなくて,運動機能的には筋肉全体を指してるということなのだろう。
でもって,いわゆる筋トレでは関節とか腱とか骨格が追いつかないので,筋トレのやりすぎで関節や靭帯を痛めてしまうことは,良く聞く話である。易筋経では,最初の3ヶ月は,立っているだけで動かない静功からはじめて,それから少しずつ動功を加えていき,2年目からは杵を使ったウェイトトレーニングを追加していく。そういうぐあいに実に慎重に筋骨を鍛えていくようになってる。こういうところを見ると筋トレ指導の方法論としては,実に合理的な指針に思える。たとえば,受験勉強でヘロヘロになったエリート大学の新入生のトレーニング計画を立てるのなんかにも使えるんじゃないかと思った。(もっと,つっこんで書くと幸田露伴は,京大の先生をやってたらしいので,そのときに京大の体育会系に影響を与えたんじゃないかとか)
で,師匠のいう膜というのは,実ははっきりしない(こないだの講習では,関節を包む骨の膜と言ってたようにおもうが「骨の関節面には骨膜はない。」らしいので)のだけども,考えてみれば易筋体操で確実に鍛えられそうな膜が一枚あったな~と気がつく。 それについては,今度,焼肉屋でハラミでも喰いながら考えようと思う。
そうそう。易筋経は2月(旧暦?)から始めるのがいいんだそうな。興味がある人は,今から,やってみるのも面白いかも。
注1:北清事変 中国で言う義和団運動(1900年)のこと。馬貴先師は,この後(光緒年間)から粛親王府で警護することになったらしい。普通に考えれば,このときに武功があったつうことなのかな。
注2:雛見沢 同人ゲームの『ひぐらしの鳴く頃に・・・』の舞台。現在「綿流し編」をプレー中だったり。
注3:皮肉骨髄 これは仏教用語で,達磨大師が弟子の批評に使った言葉なんだと。
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