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SS1の日記: 『のだめ…』のヨーロッパ編はわかりにくいのか?

日記 by SS1

先日。みのがしていたBSマンガ夜話の、『のだめカンタービレ』の再放送をみた。

いまだに痩せた岡田斗司夫には慣れないんだけど・・・ それはともかく。その岡田が出した問題提起で「のだめのヨーロッパ編は前半の学園編とくらべてスピード感がないし、わかりにくい」なんてのが出てて、興味深かった。

いつもの常連組は「たしかに、学園祭とかみんなが知っているイベントのある学園編にくらべて、ストーリーにスピード感を作りにくいよね」と同意するいしかわじゅんと、「それでもヨーロッパ編が好きです」と告白するミルヒー夏目せんせ。そういう反応だった。ゲストの音楽家は、最後に「ヨーロッパ編もわかりやすいし、すき」という意見をいってたと思う。

私が思うに、少女マンガ読みなら、学園編よりヨーロッパ編のほうがわかりやすかったと思う。なんでかっていうと、ヨーロッパ編は『風木』だったから。

もうちょい詳しくいうと、のだめのヨーロッパ編は竹宮恵子の『風と木の詩』のジルベールの生い立ちを語ったパートと共通しているところがあって、そのためにわかりやすく感じた。ということ。

『風木』のジル生い立ち編が、どういう話だったかというと。もうずっと前に読んだきりなのでうろ覚えなのですが、たしかこんなかんじでした、

1.貴族のオーギュスト・ボウが、ごみ溜めからジルベールを拾い出す。
 ・・・そのきっかけとか、理由は忘れた。

2.ボウはジルに英才教育を施し、美少年に育て上げる
 その結果、ジルはボウにべたべたに・・・ ジルは「オーギュ! オーギュ!」と、ちょー恥ずかしい呼びかたするくらいになつく。ボウは、うれしくないわけではないんだけれども、ちょい引いてるモード。

3.そこへやってきたボウの友人ボナール。ジルを見染める。
 でまあ、つばぜり合いがはじまるんだけど、つんでれボウは知らんぷり。ジルは失恋(?)。で、落ち込む。

4.ジルとボウがケンカ別れして、ジルはボナールの元に駆け込む。
 ・・・ケンカした理由とかは、忘れた。

5.ボナールはジルを喰っちゃう。ジルはそこで性愛を知る。
 んで、ジルが処女だとかでボナールがびっくり。でも、どうしてわかったんだっけ?

6.そのボナールの助力でジルは社交界デビュー。ジルは、ちょー有名人に。
 このへん、時系列がずれてるかもな気がする・・・

7.いろいろあってジルがボウの元さやにもどって、だけども、ボウはジルを尼寺・・・ じゃないや、寄宿学校へ放り込む。

 でもって、やさぐれていたジルベールは、セルジュと出会うことになる・・・ というようなストーリーだったはず。まあ、いろいろと間違ってるかもしれませんが。

で。この、生い立ち編が、そのまま『のだめ…』のヨーロッパ編に当てはまるのだ。具体的に言うと、

のだめ=ジルベール(笑
千秋=オーギュ(笑
ミルヒー=ボナール(これはわかる)

んでもって、

オクレール先生=セルジュ(ちょっ・・・)

なのだ。そうやって見立てて読むと、じつにわかりやすいのだね。『のだめ…』のヨーロッパ編は。

少女マンガもしくは「やおい」は、関係性(*1)を主軸にストーリーが進むというのは、荷谷氏であるとか夏目先生とかが指摘していたと思うのですが『のだめ…』のヨーロッパ編も同様に、関係性を軸によむと、ここで対応付けてみたような少女マンガの王道にそったストーリーになっている。というわけです。

こういう読みの良し悪しは、わかりませんが。この読みで行くと、『のだめ…』は、のだめと千秋がくっついてハッピーエンド。というストーリーではなかった。ということになります。

とってつけたエピローグをぶんなげてしまうと。彼女が帰って行ったのはセルジュ・・・ じゃなくて、オクレール先生のところ。 ・・・ということは、のだめが生涯の伴侶として選んだのはボウ千秋でも誰でもなく「音楽」である。というストーリとして読むことができます。そのあたりにプロの音楽家が「のだめ」に共感をもつ理由があるのではないでしょうか。

なに。オクレール先生=セルジュが信じられない? いやだって、髪型いっしょだし(笑 それに、ちゃんとボナール・ミルヒーと対決するし。千秋はネグレクトが基本だし。これは、ゆずれないっす。

とまあ、そういうわけで。『のだめ…』のヨーロッパ編は、少女マンガ的な関係性を軸によむと、むしろ学園編よりわかりやすいですし、そういうリテラシーをもつ少女マンガ読みであれば、同様の感想を持つのではないかと思います。

これができるのは、その関係性の「軸」となるものが『風木』の性愛(エロス)から音楽(ミューズ)に置き換えられているからですが、この置き換えが可能になったのは「やおい」などの作品で、この「軸」をボールとキャッチャーミットであるとか、サッカーボールであるとか、剣道であるとか、ロザリオであるとか、そういうもので関係性の「軸」を置き換え可能である、という成果があることが背景にあると思います。

ただ・・・ だからといって冒頭の岡田斗司夫の発言が、そのあたりわからなくて、ああいう発言になったとは思わないのですね。たぶん彼は気づいていたはず。わかってて、あえて、ああいう発言したのだと思います。つまり・・・・ なんていったっけ? 関西のほうで、ツッコミされるのを前提に発言するやつ・・・

そうあれ。あれはつまり「岡田斗司夫の誘い受け」ということかと(違

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*1.関係性:そもそも登場人物の関係性に注目した「やおい研究」は社会学者が始めたんだと思うんだけど,出典をみつけられず。誰かしってたら教えてください。

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弘法筆を選ばず、アレゲはキーボードを選ぶ -- アレゲ研究家

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