SaySetの日記: 進化論的世界観 4
とある方の日記にあったキーワード。
これについて思うところがあるのだが、直接その方に意見を送りつけるのはためらわれるので、ここに書き込んでおく。
その方はキリスト教を信仰されている方で、Webを通してしか触れ合ったことはないのだが、とても暖かく、かつ理知的な方だと思っている。尊敬している、といってもいい。
その方が、普段のその方の穏やかな雰囲気からは想像もつかないような激しさで、「進化論的世界観」を攻撃されている。
正直、とても驚いた。なぜなら、その方のおっしゃる「進化論的世界観」を、私は素直に受け入れることが出来ている、と思えるからだ。
ここで「進化論的世界観」について述べておく。
ダーウィンの「進化論」は、地質学的な時間における生物の変化・多様化を合理的に説明したものだ。そこにはいわゆる「神」の介入する余地はなく、生物は偶然発生したごく単純な「モノ」から、偶然性、あるいは無作為性に深く影響されるプロセスによって複雑化・多様化した(する)とされる。
言ってみれば、すべてを「法則」と「偶然性」をともなう「プロセス」で説明できる、という考え方。それが「進化論的世界観」なのかなと思う。
その方が、このような「進化論的世界観」に異議を唱えるのは、こんな理由からのようだ。(当然、私は「その方」ではないので、その方の考えを曲解している可能性は常にあるのだけれども。)
「進化論的世界観」を推し進めるとどうか。この世に存在するすべてのものは「偶然」にできたものであり、「そうでなければならない理由」はどこにもない。すべてが「無意味」な世界。そう捉えてしまうことも出来る。
その方は、そんな空虚な世界の捉え方に反対しておられるようだ。世界には、存在には、人間には、「私」には意味があり、背後には「神の意志」が確かに存在する。そう主張しておられる。
ここで私自身といえば、たしかに「世界は無意味」という考えには同意できない。かといって、すべての背後に「神の意思」が働いているという考え方にも同意できない。
「進化論的世界観」には同意する。しかし、だからといって「世界は無意味」などという空疎な結論に陥ることも無い。私自身はどうやら、そのような世界観をもっているようなのだ。
...私の持つ「進化論的世界観」の捕らえ方については、すこし時間を置いて(頭を冷やして)再度まとめてみようとおもう。よってこの日記は一旦ここで閉じる。
はじめましてこんにちは (スコア:1)
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Re:はじめましてこんにちは (スコア:1)
これからもう少し、不定期にどうでもいいことを書いていくかもです。
はじめましてこんにちわ (スコア:1)
えーとうーとあーそのなんだ、
なかなか面白そうな展開になりそうですねーとだけ言っておきます。
Re:はじめましてこんにちわ (スコア:1)
面白い展開になればいいですけど、ただただ自分の中の混乱した概念を吐き出すだけのものになりそうでつ。