T.MURACHIの日記: 馴れ合いについて。
もともと、このサイトで ID で書いている人達と言うのは、一定のプライドを基礎にして、対等な姿勢を持って会話に臨む、バランス感覚が十分に備わった人達がほとんどだと思っていたので、あんまり心配はしていませんでした。
おいらは先日行われた 3 周年記念 OFF が初めての OFF 会だったという程度の新参者なのですが、その (微妙に楽しかった) OFF 会を経て、それから IRC チャットの中で繰り広げられている、サイトサイドとはちょっと (いや、だいぶ?) 違った雰囲気のコミュニケーションを知った辺りから、その心配はおいらの中で膨らみ始めました。そしてあるとき、いつものように書き込んだこの あほコメント に対して付けられた AC さんによる指摘 で、その心配はおいらの中で爆発しました。
そのころから、いつかは書かなきゃあかんなあとは思い続けていたのですが、今日、ふと、 Dirge 氏の日記 を読んでいたら、なんとなーく決心がついたような気がしたので、イイカゲン書く事にします。
おいらのこれまでの言動を見てきた方々の中には、きっと誤解を抱いている方も少なからずいらっさるんではないかと思いますが、実はおいら、こう見えても馴れ合いは大ッ嫌いなんであります。
おいらにとっての /.-j は、ボータルの一つでもあり、また、ある特定の種類 (そのほとんどがおいらに取っては興味深い系統) のニュースが、いろんなソースから一同に集まってくるという意味での便利な情報源、でもあるのですが、究極的にはやはりコミュニケーションサイトであると思っています。コミュニケーションツールと言ってしまっても良いかも知れません。
コミュニケーションと言っても、ただ人と出会い、仲良くする事がコミュニケーションと言うわけではないと思います。例えば、ある一つのテーマについて、自分の見識がどれほど的を得たものであるかを確かめる手段として、コミュニケーションが利用されたりします。あるいは、特定の枠組の中にいる (例えば同じ国に住んでいるとか、自分と同じ職種であるとか) 人々の多くに広めたい情報がある、と言った場合にも、より大きなコミュニケーションの存在は、とても重要なものになります (音楽障壁と言う問題について知って欲しい!! とか)。
不特定の人間が集まってできるコミュニケーションの場には、ただ、仲の良い友達を作る以上の魅力があると思います。そこでは多くの有益な情報を享受し、さまざまな人の見識を知り、自らが何かを伝える事によって意志を共有し、そして時には、自らの物事に対する考え方をも見つめ直すきっかけを得る事さえあるでしょう。
そうした中で、より深く意志を交わし合い、そのコミュニケーションの場に囚われない、より密接な関係を築く出会いがあるかも知れません。そのような出会いは、後々の各自の生活、活動に至るまでの利益をも伴う素晴らしいものであると思います。そうした出会いの可能性を求めて、 IRC チャットのような別媒体による場が提供されていたり、定期的に OFF 会が催されているのであるとするならば、それはとても良い事だと思います。
しかし、そのような出会いというのは、機会としてはごく稀な出来事であるというのがおいらの認識です。
それに対して、仲が良い事を前提とするようなつき合いを求めて自分にまとわりついてくる人々というのがいて、そのような人々との出会いが、自分に取って素晴らしい (というか、好ましい?) 出会いであると勘違いしてしまう現象に取り込まれてしまうことは、ままあると思います。このような現象というのは、多くの場合、同程度のモラリズムを礎とし、多くの事に対して意見が一致し、あるいは意見が一致するかどうか良く分からない事については徹底的なまでに触れようとしないか、あるいは既に意見の一致を確認し合っているような人々の間に形成される傾向にあります (あるいは、外面的にはそのように見えます)。
そのような現象による人々のつき合い方の事を、おいらは馴れ合いと呼んでいます。
馴れ合いの特徴は、お互いの会話において、ほとんどストレスが生じないように見える事にあります。もっとも、実際には全く意見が異なるにも関わらず、馴れ合いを装って必死に話を合わせ、ストレスを溜めこんでいらっさる可哀想な方というのも結構いらっさるんではないかと思われます。通常は、友達がいるという事に対する安心感を求めて、馴れ合いと言うのは形成されるものですが、中には馴れ合いを装ってしまうが為に、ますます自分を追い詰めてしまう方々がいらっさるのも事実かと思われます。日本では一日平均 86 人もの人々が自殺をしていると言われており……ってまぁいいや。
おいらが馴れ合いによるつき合いを好きになれないのは、時として自分を押えなければならないと言う葛藤がストレスになるのが嫌だから、ということも理由の一つではあります。が、これは実はおいらにとっては大した理由ではありません。
一番許せないと思うのは、人々が馴れ合う事によって、その場に派閥が形成されてしまうことにあります。派閥は、意見の対立のみによって形成されるものではありません。もっともっと、下らない原動力が働く事によって、人間関係に隔壁というのは形成されて行くものです。
例えば、マイクロソフト社に対する見識を例にあげてみます。マイクロソフト社に関わるニュースがタレ込まれたとして、そのニュースの内容、あるいは、そのニュースに関連する情報を拾ってきて、その内容に対してのみ、意見を述べる事ができる人というのは、あまり人との馴れ合いにべったりにはならない、優れたバランス感覚の持ち主であると言えると思います。こういう人は、どのようなやりとりの中でも、そのやりとりを繰り広げる相手との、距離の取り方を心得ているものです。
それに対して、どのようなニュースであっても、一方的にマイクロソフト社を非難したり、あるいは過剰なまでに擁護したり、さらにはマイクロソフト社を非難する人間を非難する事ばかり言うような人々と言うのは、人との馴れ合いを好むタイプか、あるいは誰かとの馴れ合いに巻き込まれてしまいがちなタイプであると言えるんではないかと思います。とりあえず、マイクロソフトを非難しておけば、あるいは擁護しておけば、あるいは、非難する人を非難しておけば、仲良くしてくれるトモダチがいる、そういう思いによって衝き動かされていたり、あるいはそういう風に思っちゃう人に付きまとわれちゃったりするのが、この手の人々です。
# 厳密には、マイクロソフトのネタになると絶対に意見を述べたがらない人と言うのもアヤシイのですが、個人的には無言である事は悪い事だとは思わないので、その可能性についてはあんまり考えたくなかったりもします。
意見の対立が馴れ合いを礎としたものである場合、その論争は議論としての価値を失います。彼らにとって、その場で喧嘩をする事こそが、馴れ合い社会における自己の存在証明だからです。これが、おいらにとっては最も許せない事態なのです。
さらに悪い事に、このサイトの素晴らしい機能の一つであるモデレーションシステムが、馴れ合いのための道具として、悪意を持って利用されている可能性があります。
ここでやっと、冒頭で紹介した AC さんの指摘内容に話は関係してくるわけですが、もしも、おいらの T.MURACHI という ID 名が持つネームバリューを、モデレーションにおける参考の一つとして考慮されている M1 さんがいらっさるのであれば、以後、二度とおいらの発言に対してモデレーションを行わないで頂きたい。そのようなモデレーション行為は、馴れ合い以外の何者でもありません。はっきり言って、迷惑なのです。
# 自分で自分の ID をネームバリューなどと言う事自体、気恥ずかしいを通り越してアホくさいとしか思えない訳なのでありますが。
おいらの発言が馴れ合いを容認するタイプであるように感じとられやすい性質を持っている事については自認しています。発言内容に馴れ合いを礎とした恣意性が含まれる事はまずないのですが、やたらと顔文字が多かったり、あまり突き放すような言葉使いを使いたがらなかったり、ありがちなセリフで締めくくってみたり、そもそもアホなコメントが多かったりする事が、このような誤解を招いているんではないかなぁと自分では思っています。でも、決してそういうわけではないのよ~、ということを知って頂きたくて、今回このようなコメントを書かせて頂いた訳なのでございました。
# へんてこりんな形で例として使ってしまったマイクロソフトさんごめんなさいなのであります (^_^; 。
馴れ合いについて。 More ログイン