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日記

Takahiro_Chouの日記: 【映画】ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

日記 by Takahiro_Chou

映画には嫌でも時代性が出る。
ある時代に当り前だった事は、後の時代に非常識な事になり、その結果、子供の頃は楽しめた映画を大人になって見直すと「な……なんぞこれ??」となる。
また、ある時代のあるジャンルの御約束が、そのジャンルが廃れると忘れ去られていく。例えば、日本における時代劇や、アメリカにおける西部劇など。廃れつつ続いたとしても、それは時代の影響を受ける。例えば、今、時代劇を作っても、かつては信じられた物語だった「侍の主君への忠誠」は今の時代、素直に信じられるかは、甚だ疑問だし、今、西部劇を作った場合、アフリカ系の主要キャラも居なければ、ネイティブ・アメリカンの描き方が1950〜60年代そのままであれば、大惨事だ(我々が生きるこの時代は、そうでない西部劇を知ってしまって以降なのだから)。
あるいは、意図的に作り手が、その時代その時代の政治性を作品に入れ込み……また、あるいは、「たまたま森友学園問題が盛んに報道されていた頃に、北朝鮮の小学校を描いたドキュメンタリーが日本公開された」(本当に有ったんだよ)と云う、とんでもない偶然が、その作品に作り手も意図せぬ「時代性」を付加してしまう場合も有る。

そして、この物語も、似たような偶然により、今の、この日本で意図せぬ「時代性」を付加されてしまった。
例えば、京アニのあの事件が起きて、約半世紀後、京アニが「あの事件の被害者となった会社/人々」として記憶されてしまったとしよう。その時、誰かが、「京アニ」を「あの事件」から切り離して「救おう」としたならば……。
この映画は、今の日本で喩えるなら、そう云う話であるが、それが巧く行ったかは……うん、非常にモニョる展開ではあるんだよな、これ。
言うなれば、将来、誰かが「京アニは『あの事件の被害者となった会社/人々』と云うだけで捉えるべきモノではない」と云う作品を作ったは良いが、肝心の「京アニ」が「空虚な中心」としか描いていない、って感じの……。

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