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TarZの日記: -130℃で現れる水の未知の液相が、水の秘密を解き明かす(かも知れない) 5

日記 by TarZ

 先日のストーリーで過冷却水の話が出ていたので、最近出ていた関連する研究の話。

 多くの物質は、温度を下げると体積が縮む。ガラス管に液体(たとえばアルコールや水銀)を封入してやれば、液体は温度によって体積が変化し、液体表面はガラス管の中を上下する。だから、ガラス管に目盛を振ってやればこれを温度計として使うことができる。

 水はありふれた物質ではあるが、この点については特異な性質を持つ。よく知られているように常圧では4℃のときに最も体積が小さく(密度が高く)なり、温度がそれ以下では逆に体積は増えていく。仮に水をガラス管に封入した温度計を作ったら、4℃前後では同じ目盛を指す2つの温度があるので、どちらが正しい値なのかわからない代物になってしまう。

 これは小学生でも知っている知識だし、もう少し大人になると「水の分子は、ホラあの、水素結合とかで特別な挙動をするから…云々」と自分を納得させているだろう。だが、常圧・低温で現れる水の(密度変化だけではないさまざまな)性質を明快かつ統一的に説明するモデルというのは、実はまだないのだそうだ。(まじか!)

 このあたりに関しては日本の研究者でいろいろと成果を上げている方がいて、ありがたいことに日本語で読めるコンテンツ(抜粋だけど)がある。

「水の多形」(Polyamorphism in water)

 ここでは、「未だに、我々は水を理解することができない」「一般に、気体や結晶と比較して、液体(特に水)の理解は進んでいない」なんて恐ろしいことがさらっと書かれている。

 ところが80年代以降、氷に2種類のアモルファス氷(LDA/HDA, Low/High-Density Amorphous ice)があり、温度や圧力の条件を変えることで相互に不連続な変化を起こすことが知られてから「水の多形」が関心を集め、これが低温での水の異常な挙動の理解について突破口を開くのではないかと期待されているのだそうな。
 まだ仮説だが、こんな感じ。

  • 「アモルファス氷を加熱していくと、(ちょうどガラスを加熱した時のように)ガラス転移を経て液体へ連続的に変化する」
  • 「2種類のアモルファス氷 LDA/HDA に対応する2種類の水の液体 LDL/HDL (Low/High-Density Liquid) があり、LDA←→HDAの転移と同様にLDL←→HDLの相の転移がある」
  • 「LDL/HDLの温度を上げていくと、あるポイントでこの2種類の水に違いがなくなる。我々が通常見ている水は、この液体-液体臨界点(Liquid Liquid Critical Point, LLCP)を経て LDL/HDL の区別がなくなった超臨界状態の液体であると解釈する」

 この仮説では、低温での水の異常性、たとえば4℃で水の密度が最大になるのは、HDL/LDL 2種類の水の影響で説明される。

 なお、物質・材料研究機構(NIMS)のWebページ(Water Polyamorphism)に、高密度アモルファス氷 (HDA) が低密度アモルファス氷 (LDA) へ一気に相転移するムービーがある。密度で20%もの変化が起こるので、ポップコーンのように弾ける様子が見られる。

 さて、アモルファス氷を使った実験や、計算機によるシミュレーションではこの仮説と矛盾しない結果は出ているものの、LLCP付近の実験がどうしてもできない。シミュレーションと違い、実験では最良の条件で水を過冷却しても-38℃あたりで自発的に結晶化が始まってしまい、-45~-50℃付近にあるとみられるLLCPでの液体の水の挙動を観測できない。
 図にするとこう。

      普通の水
--------↓---------  0℃
      過冷却水        
________↓_________ -38℃   温度
        ↓        ↑       ↑
     LLCP ? -45℃ ?            →圧力
       / \       未
      /   \      知
     /     \     の
   低密度水   高密度水   領
    ↓ LDL ?  HDL ? ↓   域
   ↓          ↓   
   ↓          ↓  ↓
 ̄ ̄ ̄↓ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄↓ ̄ ̄ ̄
  低密度        高密度
 アモルファス     アモルファス
  氷 (LDA)       氷 (HDA)

 さて、こうした水の秘密に迫るため、アモルファス氷を何とかしてガラス転移させようという試みが行われていて、先日ようやく、高圧相のほうのガラス転移の兆候をつかんだという報告が出てきた。

Water Can Flow Below -130°C
Glass-liquid transition of water at high pressure

 -130℃・10000気圧で現れる不思議な水の形態は、通常の水よりも密度が35%ほど高く、融かしたガラスのようにドロリ濃厚(粘度が高い)とみられるという。

 よく知られている結晶の多形(ポリモーフィズム:Polymorphism、OOPでいうポリモーフィズムと同じ)については、素人でもイメージしやすい。一方、アモルファスのような固体や液体の多形(結晶の多形に対して、ポリアモルフィズム Polyamorphism と呼ぶそうな)はなかなかピンと来ない。
 何より、身近な水の挙動について、まだこんなに理解が進んでいないということに驚いた。のん気にカルピスを希釈している場合じゃなかったんだな。

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • by phason (22006) <mail@molecularscience.jp> on 2011年07月06日 16時59分 (#1982805) 日記

    >身近な水の挙動について、まだこんなに理解が進んでいないということに驚いた。

    水-エタノール混合溶液が微視的には混ざっておらず,水とエタノールそれぞれの独立したクラスター構造の混合物になってるのが明らかとなったのがごく最近(Ramanで1998年,J. Phys. Chem. B, 102, 4054–4057(1998),中性子散乱で2002年,Nature, 416, 829-832(2002))だったり,水が凍ることを実際に計算(単純なMD計算)で再現できたのが21世紀になってからだったり(Nature, 416, 409-413 (2002))と,水の物性の研究はなんだか大変だそうで.
    #凍結のシミュレーションをやった大峯先生は,この計算に6年かけたとか言ってましたっけ.

    異方性がほどほどに高いから等方的な取り扱いが出来ず,さらにはプロトンがひょいひょいと分子間で移動するため分子自体がどんどん変わる,双極子も大きいから相互作用も強い(でもかっちり止まるほど強すぎはしない),と面倒臭いとか.

    • by TarZ (28055) on 2011年07月06日 18時43分 (#1982857) 日記

      水-エタノール混合溶液が微視的には混ざっておらず,水とエタノールそれぞれの独立したクラスター構造の混合物になってるのが明らかとなったのがごく最近

       うわ。身近な酒…じゃなくて水-エタノール混合溶液についてもそんなに理解が進んでいないとは、のん気に水割りを飲んでいる場合じゃありませんね。

       それにしても、素粒子物理だの宇宙の大規模構造だので未解明な部分があるのはなんとなく分かりますが、ありふれた物質の挙動でまだこんなに解っていないところがあるというのは、門外漢からすると意外です。学ぶべきことがまだまだ残っているってのは素晴らしい。

      親コメント
      • by phason (22006) <mail@molecularscience.jp> on 2011年07月06日 19時03分 (#1982866) 日記

        他にも「身近だけどよくわかってない」例を挙げると,

        ・摩擦の起源
        ある程度は予想が付いているけど,微視的にはまだわからないことだらけ.定量的に再現しようとするといろいろおかしな事も出る.でもとりあえず日頃はそういう細かいところには目を瞑って,わかりきったことのように説明する.

        ・ガラス
        ガラス転移が熱力学的な意味での転移なのかどうかすらはっきりわかっていない.統計屋は熱力学的な転移だと信じているけど.
        どこかの総理の発言ではないが,そもそもガラスと言うものがなんだかよくわからない.「ガラス」をうまく理学の言葉で定義できない.
        「液体の構造で緩和時間が長いから固体に見える」という説明が良くされるが,実は違うと信じられている(……が,完全な証明はない).
        単なる凍結とは違う,と言うことを説明するためにいろいろな理論が出されたが,定量的に扱うとどれもどこかで現実と食い違う.

        ・乱流
        水流などに棒きれを突っ込んだ際に乱流が多数出来るが,これをどうやったら理論的に記述できるのかさっぱりわかっていない.乱流に関するモデル・定式化は沢山あるが,やっぱりどれも様々なところで破綻する.

        ・非平衡系の熱力学
        熱力学の諸法則のほとんどは,平衡系でしか厳密には成立せず,非平衡系ではどこまで成立するのかさっぱりわからない.そして現実の宇宙では,本当の意味で平衡に達したことはない.……え?それって使えるの?(でも何故か現実と良く合う)
        エントロピーも実は平衡系でしか定義されていない(非平衡系に拡張しようという人はいる).つまり一度も平衡に達したことのない現実世界ではエントロピーなんて定義できたためしが(略)
        定義された事がないのに増え続けると信じられているエントロピー.何それ怖い.

        結論:当分飯の種は尽きない(そういう問題ではない)

        親コメント
        • phason 氏の指摘された摩擦に関連して、

          ・物体の表面が微視的にどうなっているのか

          という事も、厳密な解明ができていなかったのではないでしょうか。
          で、そこから、

          ・物が切れる時、何が起こっているのか

          という疑問が沸き起こる訳ですが、これもいまいち分かってない筈。
          ま、どちらも、経験則が先行しすぎたが故の疑問のように思えます。
          ちょっと変ったところで、

          ・コンクリート(やモルタル)が何故固まるのか

          が近年(前世紀中期~後期ぐらい)に解明されたのだけど、
          じゃあ、なんでそういう反応が起きるのか、は、未解明だったような。
          どんどん変な方向に進んでいくと、

          ・昆虫はなぜ飛べるのか

          筋肉量や羽根の形状などから算出できる浮力よりも、
          昆虫の体重の方が大きい、というケースがあるのだそうで。
          これは、新たな知見を得ることで、解明しうる疑問だと思えます。
          で、このあいだギガジンにも載ってたけど、
          人類の究極最終問題といえそうなのが、コレ。

          ・ねこのノド鳴らしは、どうやって鳴っているのか

          親コメント
          • by Anonymous Coward
            > ねこのノド鳴らしは、どうやって鳴っているのか

            あれはノドが鳴っているのではなく、
            ノドの外側の空間に断続的に歪曲が生じる事により空気の振動が起こっています。
            ちなみに、この空間歪曲は猫自身が引き起こす時間跳躍を原因とするものであり…
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身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人

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