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日記

Technoboseの日記: 他人は他人。 5

日記 by Technobose

 プレジデントの記事には、全く同感。

 ただでさえ世界の狭い子供に、今いる学校が「かけがえのない唯一の世界」なんて信じ込ませたら、いじめとかその他諸々で生きるのが辛くなったら自殺したり刃傷沙汰を起こしたりするよな。

 所詮、理解し合える他人なんてなかなかいない。なかなかいないからこそ、そういう友人が見つかったら大切にすれば良いし、そうで無いなら、袖振り合うも多生の縁位に思って、適当につきあえば良いと思う。

 生きれてれば必ず良いことはあるし、自殺はするべきでは無い。

 記事の筆者が言うように、きっちり反撃したりできなければ逃げることも必要だと思う。そういうときに周りの大人が、経緯や理由をきちんと調べて客観的な「正義」を実現してくれること、弱い立場の方を支えてくれることが必要だと思う。

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  • by jizou (5538) on 2018年05月13日 15時03分 (#3407476) 日記

    環境を変えるには、親に動いてもらうしか方法が無く、
    学校と親に相談してだめなら、そこで行き詰ってしまう。
    逃げたいけど逃げる手段が思いつかなくて、
    自殺を選んでしまうんじゃないかなぁ。

    小学校、中学校のころの時間は、とても長いから、
    3年間は絶望的な長さに見えてしまうのだと思う。

  • by wiself (47798) on 2018年05月14日 1時48分 (#3407646)
    筆者がオッサンかつ高学歴なところに注意が必要。
    人間関係がリセットされるタイミングは主に大学進学と就職だが、
    就職も基本近場を選択することを考えると実質遠方の大学で独立のみとなる。
    特に最近では就職しても親と同居する傾向が強いこともあり
    小中学校の人間関係は将来にわたって継続されてしまう。
    それらを踏まえた上で、本人に覚悟があれば人間関係をリセットするのは難しくないし
    新しく構築する方法も現在は多数存在する。
  • 学校関係者は学校(の意義)を相対化するようなことを言わないからね

  • by Anonymous Coward on 2018年05月13日 2時37分 (#3407350)

    私人逮捕権は未成年・児童にもある事を、義務教育の早い時期から繰り返して教えるべき。
    当然教師相手でも、現行犯による抵抗の無力化が許される事と、要件も併せて。

  • by Anonymous Coward on 2018年05月14日 17時11分 (#3407918)

    まず「"小中学校の友人"なんてクソみたいなもの」っていうのは、結果論だと思います。
    小中学校の時に「"小中学校の友人"なんてクソみたいなもの」と割り切れるかどうかは別ですよね。
    孤独や孤高にある事に耐性がある人ばかりではないですし、
    そういう耐性のない「友人関係に絶望する子どもたち」こそアドバイスは必要だと感じます。
    また別の項に、「クラスメイトとは仲良くしなくてはならない」と植え付けられたとありますけど、
    「友人関係に絶望する子どもたち」が絶望するのは、そういう意識を植え付けられたからではなくて、
    もっと本能的な帰属意識を背景に自らの意思で所属し続けたいと思ってしまうからこそだと思うんですよね。
    そもそも「クラスメイトとは仲良くしなくてはならない」は、
    平時の対立を諫めたり、行事の時にクラスで団結しての遂行を求める言葉に過ぎないってのは、
    多くの子どもが分かってる事だと思います。

    次に、「子どもは純粋」のウソって項で挙げられている悪行。
    違法行為と道徳的に好ましくない行為が一緒くたにされてるのが気になります。
    私の子どもの頃の場合、違法行為まで行くと少数派でした。
    そして、道徳的に好ましくない行為は大勢の子どもがしていたかもしれませんが、
    それを根拠に、「"小中学校の友人"なんてクソみたいなもの」とするのは、
    「友人関係に絶望する子どもたち」に対して、
    誰でも持っているようなネガティブな感情を持つ事を否定し、
    他の子に混じらずに綺麗である事を要求する行為に他ならないと思います。
    「子どもは純粋」がウソだというなら、自分が共感してる側(「友人関係に絶望する子どもたち」)にも
    共感していない側にも同じく適用すべきだと思います。
    これでは『きれいごとで子どもを追い込む』別の道に過ぎないのではないでしょうか。

    その記事のまとめを参考に纏めると、
    ・その記事で教えている、きれいごとではない現実というのは、人間関係の現実ではなく、大切だと思っている人間関係(所属集団)が実際には非生産的な集団に過ぎないという現実。
    ・逆に、人間関係においては、「居場所はいまいる場所以外にいくらでも見つかる」というようなきれいごとを無責任に教えている。
    ・学校や友人関係の絶対視を単なる押しつけと考えるのではなく、子どもが自ら選択してる部分も見つめる必要がある。
    ・そうして子どもの意思を尊重し、自分の価値観を子どもに選択してもらう視点がなければ、やはりそれは押しつけ。

    もちろん、子どもが学校を「かけがえのない唯一の世界」と思うのは全く良い事とは思わないですし、
    その記事の、「反撃してもいいし、逃げてもいい」という言葉には賛成です。
    「本当に大切な人だけ大切にすれば、きっと幸せになれる」とも思います。
    ただ「ただでさえ世界の狭い子供」に、地図も羅針盤もなく大海に放り出しているような印象を拭えません。

    #虐められてましたけど、反撃したいと思った事も逃げたいと思った事はないんですよね。
    #ただ否定されずにその場所にいたかったんです。その記事からは、この感覚が感じられないんですよね。
    #それがその記事に対する疑問の出発点。

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長期的な見通しやビジョンはあえて持たないようにしてる -- Linus Torvalds

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