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Torisugariさんのトモダチの日記みんなの日記も見てね。 あなたのタレコミがスラドを支えます。さぁ、タレこめ!

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日記

Torisugariの日記: 了解と諒解と瞭解 7

日記 by Torisugari

私がこのことを考えるきっかけになったのは、間違いなく3月13日放送の「この差って何ですか?」の「『了解しました』と『承知しました』の差」なので、そのことについて書いた方が分かりやすいとは思うのですが、10日も前のことですし、Twitterでは放送直後から多数のツッコミが入っているので、Togetterの紹介にとどめておきます。

「了解しました」は目上の人に使うと失礼で「承知しました」というべき!? #この差って何ですか - Togetter

まあ、私は目上がどうとか、そういう論点はあまり興味がないのですが正確にいうと、「了解」はもともと「分かっている状態」を意味する文語ですから、「了解する」という言葉に違和感があるのは口語の動詞として濫用されているように感じるからで、たとえば「了解を得る」のように名詞として使えば自然だと思っています。「承知する」も同じですけれど。、見過ごせないのはこのくだりです。

「了=終わらせる」、「解=理解するとなり」、「了解しました」には話を理解して終わらせるという意味がある。

他の部分はともかく、ここだけは明確にウソでしょう。この理屈を認めると、そのまま「障碍者・障害者」論争が再燃してしまう危険思想です。我々は平易な漢字の範囲内だけ熟語を使うために、「燈火」を「灯火」と書き換えるようになっていきました。これは当用漢字の制定がきっかけ、というわけではなく、もっと長い歴史の間におこったことです。この時に重視したのは漢字の意味ではなく発音なのですから、当て字の意味から熟語の意味を変更することが横行すれば、それはすなわち、過去に書かれたものを全て曲解することになります。

「了解」が「諒解」の当て字、というのは言い過ぎかもしれませんが、1956年の「同音の漢字による書きかえ」という通達以降、「諒解」と書こうとする場合は「了解」に改めた方が良いことになっており、活字メディアはこのルールをかなり厳格に守って校正しています。「諒解」には「終わらせる」という意味は微塵もありません。

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というようなことを思いながらWiktionaryの「了」の項目を見ると、「瞭」の新字だと書いてあります。つまり、「了解」を旧字で書けば「諒解」ではなく「瞭解」になり、実際、台湾では法律関係の堅い文書でも「瞭解」と書かれているようです。中国では公文書でも「了解」と「谅解」を使い分けているようですが、「了」と「谅」が別字であるのは「了」が「瞭」の新字である説明と符合するようにも思えます。発音も諒(liàng)と瞭・了(liǎo)ですからね。

日本の場合、「諒解・諒承」は「了解・了承」と書く方がいいことになっていますが、それはあくまで熟語の話であって、「諒」と「了」は一対一対応するような存在ではないのかとも思います。「瞭解・瞭承」は日本人としてはヘンテコに思えますが、細かい漢字の意味を考えると別に間違っているわけではないし、「瞭」は2010年から常用漢字に入っているので、なかなか面白い立ち位置の熟語になるなと思いました。仏教用語で同音同義語の「領解(または『りょうげ』)」は消えてしまいましたが、同種の匂いがします。

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番組で挙げられたもう一組の同音同義語「十分と充分の差」は、精神的な方が「充分」という結論でしたが、こっちもツッコミがあったと取り上げられていますね。

「満たされたものが物理的なら『十分』気持ちなら『充分』と使い分ける」テレビで紹介されたコレに対して「嘘」「そんな使い分けはない」とツッコミ多数 - Togetter
https://togetter.com/li/1208630

  「充分」と「十分」はどう使い分ける? テレビ番組での説明に「待った」 : J-CASTトレンド
https://www.j-cast.com/trend/2018/03/19323968.html?p=all

「充電」や「六方最密充填」という単語が思い浮かべば簡単に騙されることはない、とはいえ、根拠がないことを決めつけるのが流行るのは困りますね。こういうことを自覚的にやっていると、「虚偽内容を断定的に話すオレオレ詐欺が流行る遠因になってる」って決め付けられたとき、その「俗説」をどうやって振り払うつもりでしょうか?

ですが、『誤用』や『俗説』と言われるものは、<なぜ支持されたのか>ということのほうが大事です

明確に支持される理由がある場合は納得するかもしれませんが、大抵の俗説は下らない理由ですからね。万歳三唱令とか、スマイリーキクチ事件とか、水からの伝言とか。ってWikipediaを見ると、年末から先月にかけて万歳三唱令に新展開があったんですね。

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日記

Torisugariの日記: 3700年前の石板と有理三角法のアルゴリズム

日記 by Torisugari

最初に言葉の注意を入れておきますと、「有理三角法」はRational Trigonometryの邦訳が(マニアックすぎて)Web検索では見つからないので、勝手に私がそう呼んでいるだけのものです。ただ、内容的にもこのrationalは「無理数を使わない」という意味ですし、三角法は他に言いようもないので、これで妥当な(バズワードの)訳語だということで納得していただきたいと思います。

事の発端は、今月の24日に発表されたダニエル・マンスフィールドとノーマン・ワイルドバーガーの論文
Plimpton 322 is Babylonian exact sexagesimal trigonometry (「プリンプトン322はバビロニアの厳密な60進法の三角法」)
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0315086017300691
なのですが、これには多くのメディアが反応しました。英高級4紙は制覇です。ftは買収されたから……

http://www.independent.co.uk/news/science/babylonians-trigonometry-develop-more-advanced-modern-mathematics-3700-years-ago-ancient-a7910936.html
https://www.theguardian.com/science/2017/aug/25/lab-notes-ancient-maths-secrets-and-amazing-heavenly-bodies
http://www.telegraph.co.uk/science/2017/08/24/3700-year-old-babylonian-tablet-rewrites-history-maths-could/
https://www.thetimes.co.uk/article/how-babylonians-beat-pythagoras-by-1-000-years-wjlfp6rqm

これらのニュースは大上段に構えているとでも言いましょうか、どの記事も表現が大げさになっています。

It is a fascinating mathematical work that demonstrates undoubted genius. The tablet not only contains the world’s oldest trigonometric table; it is also the only completely accurate trigonometric table, because of the very different Babylonian approach to arithmetic and geometry.

This means it has great relevance for our modern world. Babylonian mathematics may have been out of fashion for more than 3000 years, but it has possible practical applications in surveying, computer graphics and education.

疑いようのない天才がいたことを示す、目を見張るような数学の業績である。この石板は世界最古の三角関数表というだけでなく、世界で唯一の正確な三角関数表でもある。そうであるのは、バビロニアの算術・幾何へのアプローチが全然違っていたからだ。

このことは現代社会にも大きな影響を与えるだろう。バビロニアの数学は3000年以上前に流行からはずれてしまったかもしれないが、学術・コンピュータグラフィックス及び教育の分野で、実用的な応用ができる可能性を秘めている。

専門家のインタビューを直接記事にしているのにしては事実認定に関して曖昧な部分があるようにみえます。察するに、専門家の方に勢いがありすぎて、それに流されてしまった報道ではないでしょうか。

ただ、BBCはニュースを掴んでいるにもかかわらず、ちょっと引いた姿勢なのが面白いです。外国人向けのインタビューしか見つかりませんでした。

http://www.bbc.co.uk/programmes/p05d7qps
http://www.bbc.com/news/magazine-41054074 (実際はインディペンデント紙へのリンク)

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詳しいことは論文を読めばわかりますが、ここでは実際に想定されうる石板の使い方を説明します。まず、プリンプトン322 の石板の内容は以下のようになっています。

01.59:00:15____________|___01:59|___02:49|01
01.56:56:58:14:50:06:15|___56:07|01:20:25|02
01.55:07:41:15:33:45___|01:16:41|01:50:49|03
01.53:10:29:32:52:16___|03:31:49|05:09:01|04
01.48:54:01:40_________|___01:05|___01:37|05
01.47:06:41:40_________|___05:19|___08:01|06
01.43:11:56:28:26:40___|___38:11|___59:01|07
01.41:33:45:14:03:45___|___13:19|___20:49|08
01.38:33:36:36_________|___08:01|___12:49|09
01.35:10:02:28:27:24:26|01:22:41|02:16:01|10
01.33:45_______________|______45|___01:15|11
01.29:21:54:02:15______|___27:59|___48:49|12
01.27:00:03:45_________|___02:41|___04:49|13
01.25:48:51:35:06:40___|___29:31|___53:49|14
01.23:13:46:40_________|______56|___01:46|15

これは60進数なので、10進数(の近似値)に直した上で、石板自体の誤植(?計算ミス)を訂正すると以下のようになります。

1.98340277|  119|  169| 1|
1.94915855| 3367| 4825| 2|
1.91880212| 4601| 6649| 3|
1.88624790|12709|18541| 4|
1.81500771|   65|   97| 5|
1.78519290|  319|  481| 6|
1.71998367| 2291| 3541| 7|
1.69270941|  799| 1249| 8|
1.64266944|  481|  769| 9|
1.58612256| 4961| 8161|10|
1.5625    |   45|   75|11|
1.48941684| 1679| 2929|12|
1.45001736|  161|  289|13|
1.43023882| 1771| 3229|14|
1.38716049|   28|   53|15|

表は2列目と3列目がピタゴラス数であり、このときの直角三角形の長辺、短辺、斜辺の長さをそれぞれa、b、cとすると、2列目はb、3列目はcで、1列目は(c/a)^2になっています。つまり、これは特殊な直角三角形を集めてそれを第一列の数字順にソートしたものです。

辺aに向かい合う角をAとした時、直角三角形ですからsinA = a/cとなります。つまり、(c/a)^2はsinAの逆数を2乗したものに等しくなっています。直角三角形ABCで、角Aが最も小さくなるのはA=B=45度の直角二等辺三角形ですから、sinAの逆数の2乗の最大値は2です。ただ、直角二等辺三角形(1:1:√2)は無理数を含んでいて辺がピタゴラス数になるという条件を満たしていないので、この表の最初が1.98340277という「ほぼ2」の数から始まっているわけです。

ここで、実用的な問題をこの表を使って解くことを考えてみましょう。

例えば、4mのロープを木の頂上に括り付けて、地上まで斜めにピンと張った時、その地点から木までの距離を測ると3mだった場合の木の高さbを求めるとします。

現代的なアプローチだと、三平方の定理から、
b^2 = c^2 - a^2 = 16 - 9 = 7
b = √7 = 2.6457...
で、約2.65mという答えが出ますが、この計算は平方根の近似値計算を含んでしまっています。電卓がない場合でもバイナリサーチに検算していけば、

4 < 7 < 9、25/4 < 7 < 121/16

くらいまでは暗算できますが、何度も計算するとなればなかなか面倒です。 余談ですが、平方根の近似値計算は中学校で習うらしいのですが、ネットで検索すると2.1、2.2、2.3...と探索するしかない、って教えてるところがありますね。高校受験では十分に役立つ解法ってことになるのでしょうが。

一方で、表を使う場合、まず、問題の(c/a)^2を計算してしまいます。
  (c/a)^2 = (4/3)^2 = 16/9 = 1.7777...
そこで、1.7777...という数字を表の第1列と見比べると、6行目の1.78519290と7行目の1.71998367の間に1.7777...があることが分かります。つまり、問題の三角形は、6行目の直角三角形と7行目の直角三角形の間の形をしています。(もうちょっと具体的に言うと、角Bの角度が間にあるということです。)

数学の回答ならcosBの単調減少や中間値の定理を説明しなければいけないかもしれませんが、答えを出すだけなら話は簡単で、第n行目の三角形AnBnCnの三辺をan、bn、cnとするとき、
b7/c7 < b/c < b6/c6
という関係式が成り立つので、
(b7/c7) * c < b < (b6/c6) * c
(2291/3541) * 4 < b < (319/481) * 4
2.587969... < b < 2.6528...
より、木の高さは2.6mくらいという概算値が掛け算と割り算だけで算出できます。

と、ここまででは面白さの半分くらいで、さらに表をよく見ると、例えば、問題に出てきた第6行のピタゴラス数はb=319、c=418ですが、これからaを計算するとa=360と比較的綺麗な数になっています。第7行はb=2291、c=3541なのでa=2700と、圧倒的にキリのいい数です。そして、これは我々現代人からみてもキリのいい数ですが、古代バビロニア人は60進数を使っていたので、感じるキリの良さが我々の比ではありません。つまり、表に出ていないaの値は全て60を素因数分解した{2, 3, 5}の冪乗の積になっています。そのため、aを分母に持つ数は60進数で必ず有限小数になります。第1列の数は(c/a)の2乗なので、まさにaを分母に持つ数であり、だからこそ第1列は近似値ではなく厳密に正しい値として書かれています。

こちらの値を使うと、木の高さは
b7/a7 < b/a < b6/a6
(b7/a7) * a < b < (b6/a6) * a
(2291/2700) * 3 < b < (319/360) * 3
2.545555... < b < 2.6583333...
であり、1/2700と1/360は既知の値なので、掛け算を2回するだけで近似解までたどり着けます。

* 1/360 = (1/6)*(1/60)であり、60進数で1/60は00.01、1/6=10/60=00.10ですから、1/360 = 00.00:10です。同様に、1/2700=(1/3)*(1/15)*(1/60) = (20/60)*(4/60)*(1/60) = 80/(60*60*60)=(01:20)/(60*60*60) = 00.00:01:20となります。これを踏まえると、(2291/2700) * 3 = 6873/2700 = (6873*80)/(60*60*60) = 549840/(60*60*60)=(2*216000+32*3600+44*60)/(60*60*60) = 02.32:44、(319/360) * 3 = (957*10)/(60*60) = (2*3600+39*60+30)/(60*60) = 02.39:30より、 高さ(m)の範囲は02.32:44 < b < 02.39:30と有限小数で書けます。どうも、バビロニア人は1~60までの逆数(または逆数の近似値)を全て少数表記で覚えてまで分数を避けていたフシがあります。

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さて、このくらいの予備知識を得た上で、ニュースの記事を読むと「世界最古の三角関数表というだけでなく、世界で唯一の正確な三角関数表」というキーワードがよく分かると思います。三角関数表であるにもかかわらず、表自体には概算値が全く含まれていないわけですからね。論文のタイトルにある"exact"という単語もこれを指しているのだと思われます。

ただ、問題は、「誰」が「何」を見つけたのかです。この話の数学的な背景に関しては70年以上前に出版されたノイゲバウアーの本で、既にバビロニア人のピタゴラス数の見つけ方まで解説されており、三角関数表の一部としての解釈もバックやジョイスなどの先人が細かく解説しつくしています。少なくとも「三角関数表」という表現の初出が件の論文でないことは確かです。循環小数にならないことを示したのもこの論文が初めてではありません。

三平方の定理 (ピタゴラスの定理) の歴史 - 記述された事実 -- 古代バビロニア
http://asait.world.coocan.jp/pythagorean/section2/pyta_section2.htm

PLIMPTON 322 - David E. Joyce, 1995.
https://mathcs.clarku.edu/~djoyce/mathhist/plimpnote.html

「有理三角法」というのは聞きなれない言葉だと思いますし、私も書き慣れませんが、これは、ワイルドバーガーの提唱する「三角関数を使わずに三角測量したい」という、野心的な、平たく言うとニュー・サイエンティスト系の考えで、私に言わせれば、イデオロギーや宗教と大差ないものです。もちろん、天動説から地動説へと世の主流が変わったように、そういうコペルニクス的存在も重要ではありますが、今のところ、そういった有理三角法の大法則が発見された、というわけではありません。

むしろ、「有理三角法」の人々が「バビロニアの石板」という存在そのものを見つけてしまったのです。確かに、バビロニアの石板は、角度を全く計測せずに表を作ろうとしていますし、無理数をできるだけ避けようという努力も見られます。だから、有理三角法の人々がやりたかったことは、4桁のピタゴラス数をも用いるという、現代人の常識を超えた方法で既に実現されていたのです。それを発見した時の興奮は想像に余りありますが、「有理三角法」というフィルターを取り除いてもう一度考えると、新しく分かったことは特にない、という結論に落ち着かざるを得ません。

方向性という意味では、例えば、(3,4,5),(255,32,257),(4095,128,4097)のように、辺に2のべき乗だけを含む直角三角形の巨大なコレクションのテーブルを作ると、正弦や余弦の逆数を綺麗な浮動小数にできるわけですが、こういうものの需要もちょっとよく分かりません。

そういう諸々を加味して、さらにもう一度記事を読んでみると、なかなか味わい深い出来事だと感じられるのではないか、と私は思う次第です。

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日記

Torisugariの日記: window.history.pushState(...) を使ったブラクラ 6

日記 by Torisugari

最初に、ブラクラを使ったフィッシングサイトの紹介をしようと思っていたのですが、私が知っているURLは既にデッドリンクになってるんですよね。ちなみに、そのURLはhttp://www.support.microsoft2329yjpmss5825.com.s3-website-ap-northeast-1.amazonaws.com/で、またamazonaws.comかよ、とか色々なツッコミどころもあるんですけど、もう外部からは検証不可能なので、なんだか法螺話みたいになってしまったのは勘弁してください。私のブラウザの履歴では今年の7月13日になっているので、そのころまでは健在でした。

このフィッシングサイトは全体的に日本語で書かれていましたが、title要素の中身は"Erreur de securitte"とフランス語を思わせます。つまり、フランス語向けのフィッシングサイトを日本語に翻訳して作成されたのでしょう。そのほかの特徴として、script要素では文字コードが混在しています。日本語の部分はShift-JISで、元あったコードの方は文字化けしています。

最初の見出しには「不審なアクティビティの為Windowsがブロックされました。コンピュータをシャットダウンもしくは再起動しないで下さい。」と書かれていて、この文字列で検索すると、複数のまとめサイトができていて、かなり広範囲にわたってフィッシング行為が認識されていたことが伺えます。「マイクロソフト サポート」を騙っていて、自称エラー番号は「エラー # DW6VB36」、フィッシングの電話番号は"フリーダイアル 03 4579 5825"です。本物のマイクロソフトからも注意喚起が出ています。完全に同じものかはわかりませんが、まあ、ほぼ同一と考えて間違いないでしょう。

「マイクロソフトのサポートを装った詐欺にご注意ください」
https://news.microsoft.com/ja-jp/2017/04/26/170426-information-support/

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ここから先が本題なんですが、「不審なアクティビティの為Windowsがブロックされました。」をGoogleで検索すると、検索候補に「消えない」が付きます。つまり、「不審なアクティビティの為Windowsがブロックされました。消えない」で検索している人が何人かはいるわけですね。

この手のフィッシングサイトは画面を占有し続けるために、いろいろなギミックを使っているのでしょうが、今回の場合、その本命が「history.pushState(...)を使ったDoS攻撃」です。実際に使われていたコード、件のフィッシングサイトで言うと、http://www.support.microsoft2329yjpmss5825.com.s3-website-ap-northeast-1.amazonaws.com/assests/defer.jsにあったスクリプトがこれです。

var total = "";
for( var i = 0; i < 100000; i++ ) {
total = total + i.toString();
history.pushState(0,0, total );
}

このDoSがdeferとは、なんとも気の利いた話じゃないですか。

フィッシングサイトの手口をブログで解説してしまうと、模倣犯を大量に生む危険があるので、元来、あまりやりたくはないんですが、敢えてその禁を犯す理由は、このスクリプトが有名なものだからです。初出はわかりませんが、2016年1月のツイートhttps://twitter.com/fatih_svml/status/689070600653041664で、変数名まで全く同じものが公開されていますし、中国語のサイトhttp://www.infoq.com/cn/articles/dos-attack-analysis-and-defenseでも、変数名が同じです。また、Mozillaでも(安全確保のために非公開にする措置を取らない)既知の公開バグとして扱われています。

Bug 1246773 - Rate-limit history.pushState use - when visiting certain website (misuse of History.pushState), browser hangs and consumes loads of memory
https://bugzilla.mozilla.org/show_bug.cgi?id=1246773

Bug 1242107 - Probably consider truncate unreasonably long url and drop unreasonable long history state
https://bugzilla.mozilla.org/show_bug.cgi?id=1242107

この攻撃がどれほど「有用」だったかは、フィッシングをしていた人が実際に捕まらないと検証できないでしょうが、バグの利用にとどまらず、その実証コード(PoC)と一字一句同じものが「実用」に耐えているのには、正直、驚かされます。いや、本当にびっくりしました。

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日記として書き留めておきたかったことは以上なので、ここからは余談です。

DOM HTMLの window.history.pushState(...)の使い方や使う側の意見は、ウェブ開発の指南本や指南サイトなどで解説されていることと思います。ここでは、ウェブ開発者とは逆の立場、ネットワークの手前側にいるブラウザやそのユーザーから見たpushStateについて、軽く触れておきます。いささか大げさな表現かもしれませんが、そもそも、pushState(...)には、倫理的な問題がある、と思うのです。

かつて、「(ウィルスに感染して)ブックマークが勝手にエロサイトになっていた」という話は、ありふれたものでした。こういう症状の実態がどうだったか、というのは議論の余地があると思いますが、少なくともそういう感想を抱くに至る被害が多発していたのは事実です。また、ウェブ開発の質問コーナーでは、「どうやったら『このページをブックマークに追加する』ボタンをサイト内に設置できますか?」というような相談が頻繁によせられていて、「それは無理です」という回答とあわせてFAQになっていました。「無理ならできるようにしてほしい」という要望もたくさん見かけました。

しかし、やっぱり無理なものは無理です。これは技術的に無理なわけではなく、倫理的に無理なのです。「『ブラウザがウェブサイトのコンテンツを操作する』ことは認められるが、『ウェブサイトがブラウザの機能を操作する』ことは認められない」というのが大前提のルールとしてあり、それを侵せば「ウィルス」呼ばわりも致し方ありません。

少し脱線すると、同様の理屈でwindow.print(...)もかなりインモラルだと考えられますが、一方で、このAPIを取ってしまうと今日明日にも困るところが続出するでしょう。今は、スマートフォンに代表されるように、そもそもプリンタと接続されていない機器が増えていますし、まっとうな標準化がなされたこともありませんから、2重の意味で消滅の可能性がありますが、現段階では前後左右の互換性のために維持されています。

つまり、私が先に述べた原則は既に金科玉条として存在しているわけではなく、これからそうなるように努力すべき目標とでもいうべきものです。そう努めなければ、モラルハザードによって、ユーザーがブラウザ自体を信用できなくなってしまうでしょう。ただ、マイクロソフトがActiveXとAddUrLToFavorites(...)を捨てたように、世の中の趨勢は少しずつこの方向に動いています。マルウェアの脅威が存在する限り、この歩みが止まることもないだろう、と私は思います。

そいう観点でhistory.pushState()を考えると、ウェブ開発者がユーザーのURLバーを書き換えるのは、一線を越えてしまっている、と私は思います。このフィッシング騒ぎも、元を糺せば、ウェブ開発者側がユーザーからUIのコントロールを奪い続けていることにあるので、hisotry.pushState()のバグが偶然見つかった、という話ではなく、もっと構造的な問題として、先に与えてしまった権限を上手く使われているだけなのです。

とはいえ、ですよ、もしpushStateを廃止してしまった時、ウェブ開発者がユーザーのURLバーを操作する方法がないか、といえば、そんなことはないので話は結構ややこしいのです。

例えば、あるサイトがURLを

http://www.example.com/cgi?item=banana

から、

http://www.example.com/cgi?item=banana&lang=ja

に変えたい、と思った時、サイト側はリダイレクトすれば目的を達成できます。逆に言うと、全く同じコンテンツを表示していてURLだけ変更したいのに、それにはリダイレクトしかない場合、完全に無駄な通信が大量発生します。URLに数文字足すだけで、文書全体がリロードされるわけですからね。これではウェブ開発者もユーザーも得をしないので、history.pushState(...)は確かに有用なのです。

まあ、このバグをブラウザ側で直すことは不可能ではありません。なんでもかんでもが仕様のせいとは言えないでしょうし、仕様に書かれていない範囲で無視するという方法もあります。実際、このDoSは履歴を大量に書き換えるので、Firefoxなら履歴のデータベース(SQL)にも負荷がかかるはずですが、こちらは対策済みなので履歴がクラッシュすることはありません。とはいえ、「全ての(モダンな)ブラウザが同じスクリプトでフリーズする」という事実は重い、と私は思います。各々が仕様に忠実に従った結果ですから、実装よりも仕様により多くの問題がある、と言わざるを得ないでしょう。

いささか、話が宗教染みてきましが、細かく対処するか、仕様を見直すか、ユーザーとウェブ開発者の距離感を再検討するいい機会ではないでしょうか。

13289286 journal
日記

Torisugariの日記: 時計台と時計塔 6

日記 by Torisugari

夏目漱石の『倫敦塔』の気に入らないところを挙げるとすれば、まず、それは本の題名です。"Tower of London"は本当に塔なのでしょうか?『倫敦台』の方が的確な訳語だったんじゃないですか?誰が最初に訳したのかわからないので、漱石のせいとまでは言いませんが、重要参考人くらいには値すると思います。

そもそも、塔は卒塔婆の略語で、卒塔婆はストゥーパの音写です。中でも、地蔵・水蔵・風蔵・火蔵・虚空蔵からなる「五重塔」が典型例で、昔の人の墓のデザインは、球・円錐・円柱・直方体などを組み合わせて5つのパーツを積み重ねた形になってますから、ああいうのも塔でしょう。もちろん、現代の墓の横に立てておく木の卒塔婆もそうです。

塔と呼ばれる慰霊碑の例:
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nyosenji4.jpg

ですから、「法隆寺の五重塔」は本来の意味の「塔」ですが、その中でもやや特殊と言えます。もちろん、私は「塔」は仏教用語に限る、と主張しているわけではなく、イスラム教のモスクにあるミナレットを「尖塔」と訳すのはいいと思いますよ。ケルン大聖堂の屋根にストゥーパのような宗教的な意味が込められているのかは知りませんが、あれだって塔でしょう。でも、要塞兼監獄のロンドン塔は塔ですかね?

開国前の日本にも、高い建物はありました。例えば、城や砦で物見をするために築かれる高い建物はです。あるいは、屋根がついている立派なやつは天守閣、すなわちです。唐の李白が孟浩然を見送った時の高い建物は「黄鶴楼」、つまりですね。こんなに字がいっぱいあったのに、なぜ先人はtowerの訳語に宗教用語の「塔」を選んでしまったのでしょうか。実に不可解です。あ、「台」は適当な例が思いつかないので、イメージがわかない人は『少女革命ウテナ』か『未来のうてな』をご覧ください。

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とにかく、昔は「時計塔」っていう言葉がなくて、時計のための高い建物はすべて「時計台」って呼ばれていたはずです。それも、そんなに遥か昔じゃないですよ。「時計塔」自体は英語で時計台を意味する"clock tower"の直訳になるので確かな初出はわかりませんが、色々調べてみると、2004年に発売されたゲーム・『Fate/stay night』に出てくる「ロンドンの時計塔」が、(重要参考人を超えて)容疑者に近い立ち位置にいます。しかもこれは、ある種のユーフェミズムというか、ビッグベンを「ビッグベン」と明記せずに架空の時計台としてゲーム内に持ち込むための婉曲表現(ややもすれば、意図的な造語)なので、「時計塔」自体は一般的な意味での時計台を表す言葉ではないようです。つまり、ホッチキスとかキャタピラみたいな側面もあるってことです。

Wikipediaの時計台の履歴」を見ると、2007年には既に時計塔でも正しいと思い込む人が出始めているので、本当に2004年のゲームの影響なのか自信がなくなってきましたけど、やはりというか、2004年より遡れるものもなかなかないんですよね。

京都大学には有名な時計台があって、建物の正式名称は「百周年時計台記念館」、建物の前の広場は「時計台前広場」ですが、恐ろしいことに、公式サイトが「時計塔」呼ばわりです。

最初に「時計台」と言っておきながら、「時計塔」を織り交ぜるスタイル
http://www.kyoto-u.ac.jp/static/ja/issue/mm/jitsuha/2012/130222.htm

 時計台の核ともいえる時計は、1925(大正14)年2月に誕生以来、今も現役で確かな時を刻み続けています。今回は、その歴史ある京都大学の「時計塔」の内部をクローズアップして紹介します。

 時計台の時計を40数年間、修理・点検し続けてきた「時計台の主治医」、杉谷ムセンの杉谷鉄夫さんに、月に一度のメンテナンス(点検・修理)に同行させてもらいました。

 メンテナンス用の入り口から続く、92段の急な階段を上ると、時計塔の心臓部にたどりつきます。高齢の杉谷さんにとってはここを上るだけでも、かなりの重労働です。

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ただ、時計台と時計塔に関して言うと、ゲームの存在は蟻の一穴に過ぎなくて、背景としては「台」という言葉が弱くなってきているんじゃないのかな、とも思います。

例えば、「見張り台」と「見張り塔」という言葉を比べてみて、あなたが後者の方が自然に感じるようになってくると、かなり深刻な事態を迎えていると言わざるを得ません。私のIMEだと、「見張り台」は一発変換できますが、「見張り塔」は変換候補にありませんから、「見張り塔」はまだなんだと思います。しかし、「時計塔」はすでに変換候補に入っていますから油断はできません。

台と言えば「滑り台」や「踏み台」ばかりで、見上げるような建物が台のわけはない、ということなんでしょう。「塔」より画数が少ないのがいけないんですかね。いっそ旧字に戻して「臺」にすれば、そびえ立つイメージが付くのでしょうか。「見張り臺」とか「時計臺」とか。

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私が思うに、最初に"sky scraper"を「摩天楼」と訳した人や、"clock tower"を「時計台」と訳した人のセンスは抜群で文句のつけようがないです。それに引き換え「倫敦塔」は残念ですね。

いつか、皆が灯台を「灯塔」と呼ぶ日もきっと来ます。本当に残念なことですけれど。

13171748 journal
日記

Torisugariの日記: 少年法と老人法 3

日記 by Torisugari

少年法がいつからあるのか、というのはなかなか難しい問題です。例えば、英語版Wikipediaの「American juvenile justice system(アメリカの少年法制)」では、19世紀以前のアメリカ合衆国は明文化された少年法的な制度がなく、いわゆる「国親思想」による減刑が判例として出てから法整備が進むという歴史が記されています。これを素直に捉えると、啓蒙君主によって義務教育(1642年,ドイツ)が導入され、社会主義者の工場法(1833年,イギリス)制定で児童労働が禁止され、と言った具合に拡充されてきた子供の福祉と権利拡大の延長線上に少年法がある、と言えそうです。

従来より西欧哲学には「子供の発見」というテーマがあります。要するに、中世までの子供はほぼ大人扱いされていて、「子供」という概念自体が近代思想の産物である、という主張でして、有名どころではルソーの『エミール(1762年)』やアリエスの『<子供>の誕生(1960年)』などがこのテーマを扱っています。これらは実体験や実例を元に書かれていて説得力がありますし、「子供の権利」や「児童保護」などの観点からの社会政策が手厚くなってきたのがごく最近であることは疑いないでしょう。しかし、近代以前に「子供」が未発見だったり誕生前だったというのは、言い過ぎというか、単なるキャッチコピーで大げさなんじゃないか、とも思われます。

我々は、残念ながらとでも言うべきでしょうか、ある種の本能にしたがって子育てをしている面があり、決して理性的な理由だけで子供を「子供」として認めているわけではありません。ですから、どんなに未発達な社会であっても、自然法としての児童保護が発生する下地は十分にあるはずです。また、周りを見渡せば、例えばアゲハチョウは幼生と成体がビジュアル的にはっきり分かれているので、そこから類推すれば「子供」を思いつくのが難しかったとも思えません。そもそも、人間だって二次性徴のような体のしくみがあるわけですから、完全変態とはいかなくとも、ある程度まではヒゲや胸囲などの身体的特徴で区別できます。

実際、芸術方面では聖母子像やせんとくんのような童子像、あるいは能の喝食など、確立された「子供」のジャンルが古くからあります。オリンピアの祭典やローマのコロッセオの格闘技では、競技によっては少年と大人の部門が分かれていました。つまり、スポーツの公平性を担保するために若年競技者の保護策がはかられていたのです。文化的な「子供」が存在しているのに、社会制度としての「子供」だけなかった、というのはちょっとヘンな気がします。古代にもあった代議制をとる国では徴兵義務や選挙・被選挙権に年齢制限がありましたし、社会的な子供は近代になって急に出てきた、というよりは、時代によって出たり現れたりしていた、というべきなのでしょうか。

ただし、ここではっきりさせておかなければならないのは、少年犯罪でイメージするようなティーンエイジャーの「子供」と、工場法で炭鉱から開放された「子供」とでは年齢が全く違う、ということです。少年法にもいろいろな切り口がありますが、大原則として、ある年齢以下の「子供」は無罪になり、ある年齢以下の「子供」は減刑されます。立法趣旨や更生施設の充実など、少年法は見かけ以上に複雑な要素をいくつも孕んでおり、ある地域、ある時代の少年法制と同じものは世界史上2つとないと言えると思いますが、とりあえずはこの2つの年齢、不罰年齢と減刑年齢に注目すると、比較検討が楽になります。アリエスのいう「<子供>」が何かを考える一助にもなるでしょう。

トリボニアヌスが編纂したローマ法大全の『法学提要(533年)』には、以下のように書かれている箇所があります。

III.XIX.VIII.
Furiosus nullum negotium gerere potest, quia non intellegit quid agit.

III.XIX.IX.
Pupillus omne negotium recte gerit: ut tamen, sicubi tutoris auctoritas necessaria sit, adhibeatur tutor, veluti si ipse obligetur: nam alium sibi obligare etiam sine tutoris auctoritate potest.

III.XIX.X.
Sed quod diximus de pupillis, utique de his verum est, qui iam aliquem intellectum habent: nam infans et qui infanti proximus est non multum a furioso distant, quia huius aetatis pupilli nullum intellectum habent: sed in proximis infanti propter utilitatem eorum benignior iuris interpretatio facta est, ut idem iuris habeant, quod pubertati proximi. sed qui in parentis potestate est impubes nec auctore quidem patre obligatur.

日本語にすると、このような感じです。

3巻19部8節
「物狂い(furiosus)」はいかなる契約も結ぶことができない。なぜなら、いかなる行為かを知覚していないからである。

3巻19部9節
「子供(pupillus)」は法的契約を結ぶことができる。ただし、後見人(tutor)の承認が必要な内容ならば、同席している場合に限る。例えば、責務を負うような契約は承認を要するが、責務を負わせる契約なら必要ない。

3巻19部10節
ただし、ここで言う「子供」は知性を持つ場合に限られる。「幼児(infantia)」と「幼児に準ずる者(infanti proximus)」は、「物狂い」と大して離れていない。なぜなら、その年代の子供は知性を持たないからである。この、いわゆる「幼児に準ずる者」への言及は、法の慈悲がそのものたちを利するようにと定められたものであり、そのものたちは「成年に準ずるもの(pubertati proximus)」と同じ権利を持つ。ただし、「未成年(impubes)」で親権下にあるものは、たとえ父親の承認があっても責務を負うことはない。

唐突に幼児を狂人扱いしているエキセントリックな内容で、だからこそ後世の視点からは子供の扱いが悪かったとも言えますけれど、その法の精神、言わんとしていることは明確です。基本的に子供にも大人と同等の法的権利を認め、その上で、子供に不利な契約が結ばれた場合は公権力の介入で契約自体を無効化できるようになっています。最後の部分は難解で私もよく分かっていませんが、父と子が利益相反の場合を想定しているのでしょう。我々のよく知る少年法は契約ではなく刑法犯罪に関するものですが、ローマ法ではほとんどの刑事事件も私法の範疇ですから、児童保護の実現のためにこのような表現になっています。例えば、「幼児に準ずるもの」が被害者の場合は本人が罰訴権と賠償請求権、すなわち刑事訴追と民事請求の権利を持ちますが、「幼児に準ずるもの」が加害者の場合は、罰や賠償など責務を負わされることがないので少なくとも本人は無罰になる、ということです。

ここで出てきた4つの区分、「幼児」、「準幼児」、「準成年」及び「成年」のうち、「幼児」は7歳未満、「成年」は14歳以上を指します。残りの「準幼児」と「準成年」には諸説ありますが、英国法の解説書『イギリス法釈義(1765年)』では、7歳と14歳の中間をとって10歳半年で準幼児と準成年を区切る、という解釈を採用しています。

FIRST, we will consider the case of infancy, or nonage; which is a defect of the understanding. Infants, under the age of discretion, ought not to be punished by any criminal prosecution whatever.1 What the age of discretion is, in various nations is matter of some variety. The civil law distinguished the age of minors, or those under twenty five years old, into three stages: infantia [infancy], from the birth till seven years of age; pueritia [childhood], from seven to fourteen; and pubertas [puberty] from fourteen upwards. The period of pueritia, or childhood, was again subdivided into two equal parts; from seven to ten and an half was aetas infantiae proxima [age nearest infancy]; from ten and an half to fourteen was aetas pubertati proxima [age nearest puberty]. During the first stage of infancy, and the next half stage of childhood, infantiae proxima, they were not punishable for any crime.2 During the other half stage of childhood, approaching to puberty, from ten and an half to fourteen, they were indeed punishable, if found to be doli capaces, or capable of mischief; but with many mitigations, and not with the utmost rigor of the law. During the last stage (at the age of puberty, and afterwards) minors were liable to be punished, as well capitally, as otherwise.

まず、幼児期あるいは乳幼児期への理解の欠如を考えよう。分別年齢未満の幼児はいかなる刑事訴追においても罰せられるべきではない。分別年齢を何歳と定めるかは国によってまちまちである。ローマ法大全では25歳以下の年少者を3つの段階に分けている。すなわち誕生から7歳までの幼児期、7歳から14歳までの少年期(pueritia)、その後の成年期である。 少年期はさらに等分され、7歳から10歳半年までを準幼児期、10歳半年から14歳までを準成年期とする。最初の区分である幼児期と、少年期の前半である準幼児期においては、いかなる犯罪でも処罰されなかった。少年期の後半、成年になりつつある10歳半から14歳の者は、責任能力(doli capaces)、あるいは犯罪実行能力を備えているとみられれば、実際に処罰されえた。しかし、その場合でも、多くの酌量があり、最大限に厳格な法の適用がなされることはなかった。最後の時期、(成年期とそれ以降)においては、年少者は能力その他に応じて処罰される傾向にあった。

ところで、日本の新旧刑法では以下のような条文があります。

旧刑法:

第七十八条 罪ヲ犯ス時知覚精神ノ喪失ニヨリテ是非ヲ弁別セサル者ハ其罪ヲ論セス

第七十九条 罪ヲ犯ス時十二歳ニ満サル者ハ其罪ヲ論セス但満八歳以上ノ者ハ情状ニ因リ満十六歳ニ過キサル時間之ヲ懲治場ニ留置スルコトヲ得

新刑法:

39条 心神喪失者の行為はこれを罰せず、心神耗弱者の行為はその刑を減軽す。

41条 十四歳に満たざる者の行為はこれを罰せず。

つまり、刑事責任年齢が12歳から14歳に延長されています。少年法にも新旧があり、日本が新少年法を導入したのは戦後GHQの指導を受けてのことで、その時の刑事責任年齢は14歳でした(2007年に再び「おおむね12歳」まで引き下げられました)。ですから、この14歳の根拠はおそらく当時の米国少年法に規定されている「分別年齢(the age of discretion)」であり、米国の少年法成立の時点での分別年齢の根拠は『イギリス法釈義』なので、この14歳はローマ法大全の『法学提要』、ひいてはその元になったガイウスの『法学提要(161年)』まで遡ることができる数字、ということになります。いささか意地悪な言い方をすれば、14歳未満を免罪する根拠は科学的なものではなく、単に2,000年程度の伝統でしかないということです。

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以下メモ

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774618/40

さて、漢書の恵帝伝の最初の方に、「民年七十以上若不滿十歲有罪當刑者皆完之(前195年)」とあり、物の本によると、漢代の「完」刑は、「(剃髪と足枷を課さない)5年の有期徒刑」だったらしいので、70歳以上の老人と10歳未満の子供は肉刑(棒や鞭で叩かれる刑)を免れ、禁錮か懲役へと減刑されたことになります。 秦律は厳格で有名、劉邦も。ガイウスと同年代、春秋・戦国に

この年齢区分法は唐代になるとかなり明確な規定になります。『唐律疏議(652年)』の「名例律」では次のようになっています。

諸年七十以上十五以下及廢疾犯流罪以下收贖
犯加役流反逆緣坐流會赦猶流者不用此律至配所免居作
八十以上十歲以下及篤疾犯反逆殺人應死者上請盜及傷人者亦收贖
有官爵者各從官當除法余皆勿論
九十歲以上七歲以下雖有死罪不加刑緣坐應配沒者不用此律

儒教・尊属殺人・卑属殺人・性善説・性悪説・宋律・明律・清律・大宝律/養老律・中華民国刑法(1934年)。

https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%B0%91%E5%9C%8B%E5%88%91%E6%B3%95_(%E6%B0%91%E5%9C%8B23%E5%B9%B4%E7%AB%8B%E6%B3%9524%E5%B9%B4%E5%85%AC%E5%B8%83)

第十八條
 未滿十四歲人之行為,不罰。
  十四歲以上未滿十八歲人之行為,得減輕其刑。
  滿八十歲人之行為,得減輕其刑。

13106505 journal
日記

Torisugariの日記: 攻める米の値段 8

日記 by Torisugari

自炊して自分でお米を買っている人や、あるいはお米を売っている人ならよく分かると思うのですが、今、玄米60kgの平均価格が14,000円前後なんですよね。60kg20,000円が選挙の争点になろうとしていた頃とは隔世の感があります。しかし、正直なところ、この値段はどこまで下げることができるのでしょうか?

この先の話は結構ややこしいので、先に結論を言うと、私は2,000円前後まで下げるべきだと思っています。今の14%、8.6割引ですね。スーパーで10kgのコメ袋を買った時に、税込み500円でお釣りが出るか出ないか、という程度、と言いましょうか。デフレに悩む日銀の人が聞いたら卒倒するかもしれません。ちなみに、2,000円の根拠はベトナム米の相場です。政府がミニマムアクセスで調達しているカリフォルニア米中粒+タイ米長粒の相場は、今月、キロ60円、つまり60kg3,600円なので、とりあえずはそこでもいいのですが、国際市場では戦えないので、最終的には2,000円を目指すべきでしょう。

どうやって米の値段を下げるのか、といえば、もう、それは補助金しかありません。しかも今までのような生半可な補助金ではありません。最低でも兆単位でもってして、米農家を補助金漬けにするのです。財源がない?もちろんありませんから、社会保障費を充てます。

おいおい、と思った方、まあ待ってください。今、日本人は年間平均54.6kgの精米、つまり、ほぼ玄米1俵60kgの米を消費しており、その原価が約14,000円だったところ、2,000円に下げよう、というのです。つまり、これは国民全員に年間12,000円の可処分所得をバラ捲くに等しい行為ですから、社会保障以外の何物でもありません。年金や生活保護を切り詰めるには十分な理由でしょう。まあ、めんどくさいので、国民ひとりあたり12,000円の負担が増えるように所得税率を上げるのでもかまいません。その場合、金持ちも貧乏人も、米を食べる量は大して変わらないでしょうから、中流層の家計への影響はゼロで、金持ちが貧乏人に米を配るような感じになるはずです。社会主義的な観点でいうと、12,000円分の米が配給されるようなものだ、といった方が分かりやすいでしょうか。

さて、消極的なメリットの次は積極的なメリットの話に移りましょう。米が60kg@2,000円になったら、何が嬉しいのか。言うまでもなく、「コメの関税」をゼロにできるのが最大のメリットです。戦後日本は伝統的に加工貿易の利益を享受してきた関係上、自由貿易を標榜し、安倍首相に至っては、日本主導で自由貿易体制を牽引し保護主義に対抗するという趣旨のことまで言っています。その日本の自由貿易における最大の弱点が米をはじめとする農産物であることは議論をまたないでしょう。しかし、コメの関税がゼロならどうですか?日本は完全無欠の自由貿易主義国として、何ら政治的的譲歩をすることなく外交交渉に挑むことができます。真の意味で強い日本が誕生するのです。

2つ目のメリットとしては、農業技術の向上が挙げられます。実は、日本の農業技術は先進国どころか開発国にもすでに後れを取っているという指摘があります。過去の日本の農業政策に詳しくない方はピンと来ないかもしれませんが、米や嬬恋村キャベツなどには「生産調整」という恐ろしいイデオロギーがあり、要するに「量を作り過ぎないようにしろ」「耕作面積を減らせ」「もし豊作で作り過ぎたら捨てろ」と言われ続け、その通りにしてきました。こういう状況では「今週中にあと4ヘクタールの稲刈りをしなきゃいけないから、もっと高速で進むコンバインを買おう」とはなかなか思えないもので、効率の追求は疎かになり、消費者にほとんどニーズのない付加価値を付けることに腐心してきました。しかし、60kg2,000円の米は海外市場と互角に渡り合い、太平洋の対岸にある水田を全てトウモロコシに転作させることができる、攻めの値段です。余った分を海外に売ればいい、となれば生産調整をする必要もありません。量を作るからこそ、効率が重視され、新しい農法や農作業機械も生まれようというものです。

突然こんなことを言いだす人が現れたら、面喰う人も多いでしょう。でも、これは私が考えたアイデアではありません。実は、アメリカとEUの農家は既に上記のレベルで完全に補助金漬けなのです。日本の牛が食べているトウモロコシだって、その半分以上がアメリカ国民が払った税金で賄われています。つまり、先進国の農業はずっと前から社会主義だったのです。なぜ、そんなことに無駄な金を使うのでしょうか?端的に言うと、農作物は単なる商品ではなく重要な物資だからでしょう。そして関税交渉で弱みを作らず、労働者の受け皿にもなる、一石で4鳥も5鳥もあるのが、補助金漬け農業なのです。

生産性を高く維持したまま不労所得を出さないような補助金の授受方法は、耕作面積ごと、収穫量ごと、相場の含み損補償など、もうすでに欧米では研究されつくしているので、あとはそれを真似するだけです。塩漬けになった耕作放棄地が多いのが日本の特徴ですが、それも耕作面積補助金と農地の固定資産税をリンクさせる形で徐々に上げてゆけば、すぐに問題ないレベルまで流動化するでしょう。

かつて、日本も補助金漬け農業に舵を切ろうとしていた時期がありました。しかし、その時は時世が悪く、金額も中途半端になってしまいました。具体的に言うと、ドーハ・ラウンドでは、「(日本を除く)先進国の農産物が補助金によって不当に安くなって開発国の農家を廃業に追いやっているから、補助金をやめろ!」というのが最大の焦点だったので、日本が「いままで色々交渉してきたけど、今から米価を下げるために補助金をジャブジャブ出す」とは言い出しづらい状況でした。しかし、欧米の努力により、ドーハ・ラウンドは2011年に吹き飛んでしまったので、(WTOの補助金協定さえ守れば)今や農家を補助金漬けにすることに誰を憚る必要もありません。むしろ、今後の情勢はどう動くか読めないので、今しかないのです。

こうしておけば、この美しい国から朝食パン党が根絶され、再びごはん党が栄華を謳歌することになるでしょう。

12621115 journal
日記

Torisugariの日記: 2014年12月24日に放送されたNHKの「国民アンケートクイズ リアル日本人」に対する抗議文 6

日記 by Torisugari

私は、2014年12月24日に放送されたNHKの「国民アンケートクイズ リアル日本人」の内容に抗議します。といっても、番組をそもそも見たことがない方や見たけれど1年前の内容なんて覚えていないという方には私の憤りが上手く伝わらないとは思いますが、とりあえず抗議します。

「国民アンケートクイズ リアル日本人」は、視聴者がテレビのリモコン経由でネット投票して、その内容をインタラクティブに生放送の番組に適用する、というものです。そして、問題の放送におけるアンケートと結果がこちらです。

http://www.nhk.or.jp/real-jp/result1224/result.html

私の主観的な観点からこの番組の要点を挙げると、まず、クリスマスで過ごす相手は誰が多いのか、というアンケートを年代別に取って、若年層は「恋人」と答えそうだけど、実は「家族」が一番多いんだよ、という話です。私は特に調べたわけじゃありませんけれど、この推定は概ね正しいのだろうと思います。

何が問題なのかというと、この話の裏付けを取るために、安易なアンケートを使ってこの推論を証明しようとしてしまったことです。

例えば、20代の国民の80%が実際に恋人とクリスマスを過ごしている仮想的な国があったとします。そこでこのアンケートをNHKと同じやり方でとったとして、果たして何パーセントの人が「恋人と過ごしている」と答えるでしょうか?80%ですか?いや、そんなことはありえません。なぜなら、恋人とクリスマスを過ごしている人が、夜更けにその恋人と一緒にリモコンを片手にもってNHKのバラエティ番組を見る、というシチューエション自体に無理があるからです。NHKのバラエティ番組をみているなら、それだけで「一人で見る」か「家族と一緒に見る」が多いのは火を見るより明らかではないですか?恋人と一緒にレストランで食事をとっている人はテレビリモコンのボタンを押せないのです。

生の統計的なデータには必ず意味があります。しかし、残念ながら視聴者はその意味を必ずしも正確に解釈できるわけではありません。そこで、放送者側が意味の解釈をサポートする必要があるのですが、この番組の場合、上記のような特殊な事情、つまり、アンケート内容とアンケート回答者の偏りにかなり強い相関が疑われるにもかかわらず、そのことを番組中で一切説明しませんでした。それどころか、うろおぼえですが、「リアルの日本人はこうだったんですね」というようなコメントを番組司会者が出していました。いかに実態として恋人と一緒に過ごす人が少なかったとしても、このような調査の結果は「国民」や「リアル日本人」の姿を反映したものではありえず、虚偽の内容です。よってここに抗議します。

再発防止策は簡単で、番組の責任者に社会統計系統の学位か社会調査士のような資格、またはもっと簡単に半日講習で取得できるような資格を義務付ければよいのです。そうすれば、仮に再びこのような番組が放送されたとしても、軽く謝って資格を取り消せば済みます。

とにかく、他の放送局や活字媒体に蔓延するような反知性主義を掲げるのだけは止して頂きたいと思います。アンケートをとるには、最低限のルールがあって、それを踏み外せば、『リテラリー・ダイジェスト』の二の舞になってしまいます。

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放送内容がインタラクティブな方向に舵をきる点についても、私はあまり好ましくないと思っているのですが、その話は九州電力がアンケートの八百長をしたときに日記に書いてしまったので、同じ内容を繰り返すのはやめておきます。

あと、NHKの「ニホンゴ」か何かのバラエティー番組で、番組の前半に漢字の解説をしていた阿辻哲次さんか誰かが、白川静説を中国人留学生に紹介する話になった途端、忽然とコメンテーターの並ぶひな壇から姿を消したときはギョっとしました。「これから放映する内容は今さっき解説していた人は真っ向から反対しているものだ」とはなかなか言いにくいかもしれませんし、白川静さんを呼び出して対談させるのは不可能ですから、欠席裁判を避ける意味でも真偽の議論をしないのは理解できます。しかし、学説というものは、確かな証拠が出るまでは合ってるかもしれないし間違ってるかもしれないものなのですから、説を紹介して、否定論者も少なくない数が存在することを(阿辻哲次さんにやらせなくても)伝えるのが教養番組の最低限のマナーではないでしょうか?私は白川静説そのものに反対するつもりは全くありませんけれども、あのように番組の構成を使って内容の印象を操作するのは、かなり汚い手法だと感じました。漢字にもともとあまり興味がなかった人は一生気付かないかもしれません。ただ、この番組の内容は本当のところよく覚えていないので、あまり文句を言うのはやめておきます。民放だと、こういことは数えきれないくらいやってますしね。

でも、これバラエティーや白川静説だから笑い話で済んでいますが、政治や経済の討論とかだと、えらいことですよ。でも、私はそういう風に操作された番組を見たときに、これは怪しい、と気付く自信が全くないので、本当に何とかしてほしいと思います。

12529919 journal
日記

Torisugariの日記: カタルーニャ州議会選挙の感想戦

日記 by Torisugari

昨日(2015-09-27)、スペインのカタルーニャ地方の分離独立を占う地方選が行われ、その開票結果が出ました。各メディアは次のように報じています。

あれ?って感じです。NHKの記事とブルームバーグの記事を並べてみると、さらに違和感は強まります。

独立を主張する政党を率いるカタルーニャ州のマス首相は、バルセロナで日本時間の28日午前5時すぎ、集まった支持者を前に、「独立を支持するわれわれと民主主義の勝利だ。今回の結果で独立に向けた準備を進める大きな力と正当性を与えられた」と、独立派の勝利を宣言しました。また、支持者たちは「とても幸せだ。長い間闘ってきたが、ようやく独立に向けて歩みだすことができる」などと述べ、喜びをあらわにしていました。

スペイン国債は28日、4営業日ぶりに上昇した。27日行われたカタルーニャ自治州の州議会選挙で独立賛成派の得票率が50%に届かなかった。

前者は独立派が勝った・後者は反独立派が勝ったという立場で物事を考えているようです。BBCは両者を折衷した解釈を述べています。
Catalonia vote: Pro-independence parties win elections -- BBC News

The main separatist alliance and a smaller nationalist party won 72 seats in the 135-seat regional parliament.

However, the pro-independence parties fell just short of getting 50% of the vote, winning 1.9 million out of 4 million ballots cast.

The result was more ambiguous than the positive rhetoric suggests. The pro-independence camp continues to say they are ready to break away from Spain, even in the face of strong opposition from the Spanish government.

But they know that would be controversial and complicated. In truth, their aim is still to get a legally-recognised referendum.

つまり、独立派は議席数では過半数を占めたにもかかわらず、合計得票率では50%を割ったので、「有権者の過半数が独立に反対している」→「これじゃあ到底独立しないから国債は値上がりした」ということなのだと思います。なかなか説得力のある意見です。

ちなみに、ブルームバーグの記事が出てから現在まで、スペイン国債は下がり続けているようです。あれ?

--
念のために書いておきますが、昨年(2014年)行われた住民投票では独立賛成が80%を超えていたので、カタルーニャ住民は独立賛成派が圧倒的多数とみて間違いありません。しかし、スペイン政府にはこの民意を反映する政治的な仕組みが全くないので、地方議会や住民投票の結果がどうあれ、この先も政府が独立をすんなり認めるはずはなく、先行きは依然不透明なまま、ということになるかと思います。

12494916 journal
日記

Torisugariの日記: よくある、ウィルス警告、を装ったフィッシングサイト 2

日記 by Torisugari

つい先ほど、下記URLのフィッシングサイトに出くわしました。驚いたことに、どうも最近のフィッシングサイトは喋るらしいです。合成音声っぽいけれど、意外とイントネーションがまともで感心しました。

http://masago8.com/help/jpn/

HTMLのソースを読んでいると次のような記述があります。

<audio src="http://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/ts-jp/jpwarning.mp3" autoplay>
  <p>Your browser does not support the <code>audio</code> element.</p>
</audio>

あまりの行儀の良さに思わず吹き出してしまいました。そりゃ、音声が聞こえなかった時のために、閲覧者に「お前のブラウザは古すぎるから音が出ない」と伝えるのは大切です。音声ファイルの内容は関係ありません。いかなる時であれ、この配慮を欠いてはいけないのです。

それにしても、文字の部分は日本語がどこかヘンです。

お使いのPCがマルウェアやその他の問題を経験しに感染していないされていることを確認するために、 それを強くお勧めします。

音声部分を考えると、その作成に母語と遜色ないレベルで日本語に精通している人が関わっているはずです。しかし、文字の部分は明らかにその人の校正を受けていないようなので、そのあたりに何らかのドラマが潜んでいるのかもしれません。

もとより、かくも反社会的なウェブサイトが長くネット上に存在することは望ましくありません。しかしながら、これが消えてしまうのは惜しいな、と思う気持ちがどこかにあります。とはいえ、ローカルにコピーすると電磁なんとか法が恐ろしいので余計なリスクは背負いたくありませんし、魚拓とかWeb Archiveとかで音声ごと保存してもらうのはアリなんですかね。無理やりもっともらしい理屈を考えると、2015年現在の技術力(音声の良さと機械翻訳の悪さ)を後世に伝えるマイルストーンになりうると思うのですが。

12383733 journal
日記

Torisugariの日記: ウェブでの検索結果に関するギモン 4

日記 by Torisugari

私はPageRank(™)の仕組みや、ウェブサイトの、いわゆるサーチエンジン最適化の方法論についてあまりよく知らないのですが、この点に関してひとつ不可解に思っていることがあります。それは、過去に書いた日記「3つのエリート主義」が、なぜか検索エンジンに異常に高く評価されている(ようにみえる)ということです。

この日記を書くことによってまた順番が入れ替わるかもしれませんが、今これを書いている時点(2015年8月15日)で「3つのエリート主義」は、Googleでは10番目、Yahooでは6番目、Bingでは4番目に位置しています。ちなみに、私がこのネタで日記を書いておこうと思い立った時期、すなわち日記のサーバーがslashdot.jpからsrad.jpに移る前は、Googleでも2番めあたりで、Wikipediaの「エリート主義」より上のこともありました。

おそらく、「スラド」(及び「スラシュドット・ジャパン」)のページランクは相当高いので、そのおかげで私の日記が高く評価されている、ということは何となく理解できます。しかし、プラス要因はそれだけです。ページランクには被リンク数が重要だと聞きますけれど、「3つのエリート主義」をピンポイントでリンクしているのは、おそらく「はてなブックマーク」だけです。

http://b.hatena.ne.jp/entry/slashdot.jp/journal/559522

「はてなブックマーク」からのリンクにも高い評価があるとしても、やっぱり何だかおかしいと思うのです。

「3つのエリート主義」は、私が書いた社会科学落語の中でも、良くできている方だと思います。将来、私の著作集が編纂されたら前の方に載る逸品かもしれません。しかし、百歩譲ってそうだったとしても、私には納得がいきません。さすがの検索エンジンもそこまで賢くはないでしょう。そもそも、「スラド(スラッシュドット・ジャパン)」の日記にはアクセスカウンタがついているわけではないので、読んだ人の数を数えることはできませんが、おそらく、一連の私が書いた日記の中で最も多くの人の目に触れたのは「ゲーム理論+議会制民主主義とウェブアプリ」だと思われます。なぜなら、こっちは「はてなブックマーク」に加えて、otsuneさんにtumblerで紹介されているからです。

http://otsune.tumblr.com/post/482948583/

単語検索を駆使しても、検索エンジンから「ゲーム理論+議会制民主主義とウェブアプリ」にたどり着くのは困難です。ですから、私の社会的評価、というと聊か自虐的なので、検索エンジンによる私の文章の評価、と言い換えてもいいですが、とにかく、それは、最大値でもこの程度だろう、と思います。すなわち、他の日記はこれよりももっと評価が低いでしょう。ですから、やっぱり、「3つのエリート主義」はとても不思議なのです。

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というわけで、「3つのエリート主義」の文章自体に問題があると思った次第で、もう一度読み返してみたところ、誤字以外で気になる点は、「エリート主義」という単語がこの短い文章で繰り返し出てくることです。数えてみると33個あります。もし、検索エンジンがベイズ統計のような方法で関連性を判断しているなら、やはり、検索語が大量に含まれているものは、クラスタリングするときに検索語と高い関連性があると評価されそうです。

しかし、「キーワード 頻度」などをウェブ検索で調べてみると、この概念はSEO業界では「キーワード出現率」と呼ばれているらしいのですが、どうも、「キーワード出現率は上げても無駄」という論調が主流のようなんですよね。その論拠を読んでみると、いずれもなるほど、と思わせる内容です。まあ、その筋のプロが主張しているのですから、間違ってはいないのでしょう。ですが、「3つのエリート主義」現象は、やはり、そのキーワード出現率とやらでしか説明できないと思います。だって、「3つのエリート主義」より必ず上にくるWeblio辞書も……、あ、いや、何でもありません。

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未知のハックに一心不乱に取り組んだ結果、私は自然の法則を変えてしまった -- あるハッカー

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