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日記

Torisugariの日記: 少年法と老人法 3

日記 by Torisugari

少年法がいつからあるのか、というのはなかなか難しい問題です。例えば、英語版Wikipediaの「American juvenile justice system(アメリカの少年法制)」では、19世紀以前のアメリカ合衆国は明文化された少年法的な制度がなく、いわゆる「国親思想」による減刑が判例として出てから法整備が進むという歴史が記されています。これを素直に捉えると、啓蒙君主によって義務教育(1642年,ドイツ)が導入され、社会主義者の工場法(1833年,イギリス)制定で児童労働が禁止され、と言った具合に拡充されてきた子供の福祉と権利拡大の延長線上に少年法がある、と言えそうです。

従来より西欧哲学には「子供の発見」というテーマがあります。要するに、中世までの子供はほぼ大人扱いされていて、「子供」という概念自体が近代思想の産物である、という主張でして、有名どころではルソーの『エミール(1762年)』やアリエスの『<子供>の誕生(1960年)』などがこのテーマを扱っています。これらは実体験や実例を元に書かれていて説得力がありますし、「子供の権利」や「児童保護」などの観点からの社会政策が手厚くなってきたのがごく最近であることは疑いないでしょう。しかし、近代以前に「子供」が未発見だったり誕生前だったというのは、言い過ぎというか、単なるキャッチコピーで大げさなんじゃないか、とも思われます。

我々は、残念ながらとでも言うべきでしょうか、ある種の本能にしたがって子育てをしている面があり、決して理性的な理由だけで子供を「子供」として認めているわけではありません。ですから、どんなに未発達な社会であっても、自然法としての児童保護が発生する下地は十分にあるはずです。また、周りを見渡せば、例えばアゲハチョウは幼生と成体がビジュアル的にはっきり分かれているので、そこから類推すれば「子供」を思いつくのが難しかったとも思えません。そもそも、人間だって二次性徴のような体のしくみがあるわけですから、完全変態とはいかなくとも、ある程度まではヒゲや胸囲などの身体的特徴で区別できます。

実際、芸術方面では聖母子像やせんとくんのような童子像、あるいは能の喝食など、確立された「子供」のジャンルが古くからあります。オリンピアの祭典やローマのコロッセオの格闘技では、競技によっては少年と大人の部門が分かれていました。つまり、スポーツの公平性を担保するために若年競技者の保護策がはかられていたのです。文化的な「子供」が存在しているのに、社会制度としての「子供」だけなかった、というのはちょっとヘンな気がします。古代にもあった代議制をとる国では徴兵義務や選挙・被選挙権に年齢制限がありましたし、社会的な子供は近代になって急に出てきた、というよりは、時代によって出たり現れたりしていた、というべきなのでしょうか。

ただし、ここではっきりさせておかなければならないのは、少年犯罪でイメージするようなティーンエイジャーの「子供」と、工場法で炭鉱から開放された「子供」とでは年齢が全く違う、ということです。少年法にもいろいろな切り口がありますが、大原則として、ある年齢以下の「子供」は無罪になり、ある年齢以下の「子供」は減刑されます。立法趣旨や更生施設の充実など、少年法は見かけ以上に複雑な要素をいくつも孕んでおり、ある地域、ある時代の少年法制と同じものは世界史上2つとないと言えると思いますが、とりあえずはこの2つの年齢、不罰年齢と減刑年齢に注目すると、比較検討が楽になります。アリエスのいう「<子供>」が何かを考える一助にもなるでしょう。

トリボニアヌスが編纂したローマ法大全の『法学提要(533年)』には、以下のように書かれている箇所があります。

III.XIX.VIII.
Furiosus nullum negotium gerere potest, quia non intellegit quid agit.

III.XIX.IX.
Pupillus omne negotium recte gerit: ut tamen, sicubi tutoris auctoritas necessaria sit, adhibeatur tutor, veluti si ipse obligetur: nam alium sibi obligare etiam sine tutoris auctoritate potest.

III.XIX.X.
Sed quod diximus de pupillis, utique de his verum est, qui iam aliquem intellectum habent: nam infans et qui infanti proximus est non multum a furioso distant, quia huius aetatis pupilli nullum intellectum habent: sed in proximis infanti propter utilitatem eorum benignior iuris interpretatio facta est, ut idem iuris habeant, quod pubertati proximi. sed qui in parentis potestate est impubes nec auctore quidem patre obligatur.

日本語にすると、このような感じです。

3巻19部8節
「物狂い(furiosus)」はいかなる契約も結ぶことができない。なぜなら、いかなる行為かを知覚していないからである。

3巻19部9節
「子供(pupillus)」は法的契約を結ぶことができる。ただし、後見人(tutor)の承認が必要な内容ならば、同席している場合に限る。例えば、責務を負うような契約は承認を要するが、責務を負わせる契約なら必要ない。

3巻19部10節
ただし、ここで言う「子供」は知性を持つ場合に限られる。「幼児(infantia)」と「幼児に準ずる者(infanti proximus)」は、「物狂い」と大して離れていない。なぜなら、その年代の子供は知性を持たないからである。この、いわゆる「幼児に準ずる者」への言及は、法の慈悲がそのものたちを利するようにと定められたものであり、そのものたちは「成年に準ずるもの(pubertati proximus)」と同じ権利を持つ。ただし、「未成年(impubes)」で親権下にあるものは、たとえ父親の承認があっても責務を負うことはない。

唐突に幼児を狂人扱いしているエキセントリックな内容で、だからこそ後世の視点からは子供の扱いが悪かったとも言えますけれど、その法の精神、言わんとしていることは明確です。基本的に子供にも大人と同等の法的権利を認め、その上で、子供に不利な契約が結ばれた場合は公権力の介入で契約自体を無効化できるようになっています。最後の部分は難解で私もよく分かっていませんが、父と子が利益相反の場合を想定しているのでしょう。我々のよく知る少年法は契約ではなく刑法犯罪に関するものですが、ローマ法ではほとんどの刑事事件も私法の範疇ですから、児童保護の実現のためにこのような表現になっています。例えば、「幼児に準ずるもの」が被害者の場合は本人が罰訴権と賠償請求権、すなわち刑事訴追と民事請求の権利を持ちますが、「幼児に準ずるもの」が加害者の場合は、罰や賠償など責務を負わされることがないので少なくとも本人は無罰になる、ということです。

ここで出てきた4つの区分、「幼児」、「準幼児」、「準成年」及び「成年」のうち、「幼児」は7歳未満、「成年」は14歳以上を指します。残りの「準幼児」と「準成年」には諸説ありますが、英国法の解説書『イギリス法釈義(1765年)』では、7歳と14歳の中間をとって10歳半年で準幼児と準成年を区切る、という解釈を採用しています。

FIRST, we will consider the case of infancy, or nonage; which is a defect of the understanding. Infants, under the age of discretion, ought not to be punished by any criminal prosecution whatever.1 What the age of discretion is, in various nations is matter of some variety. The civil law distinguished the age of minors, or those under twenty five years old, into three stages: infantia [infancy], from the birth till seven years of age; pueritia [childhood], from seven to fourteen; and pubertas [puberty] from fourteen upwards. The period of pueritia, or childhood, was again subdivided into two equal parts; from seven to ten and an half was aetas infantiae proxima [age nearest infancy]; from ten and an half to fourteen was aetas pubertati proxima [age nearest puberty]. During the first stage of infancy, and the next half stage of childhood, infantiae proxima, they were not punishable for any crime.2 During the other half stage of childhood, approaching to puberty, from ten and an half to fourteen, they were indeed punishable, if found to be doli capaces, or capable of mischief; but with many mitigations, and not with the utmost rigor of the law. During the last stage (at the age of puberty, and afterwards) minors were liable to be punished, as well capitally, as otherwise.

まず、幼児期あるいは乳幼児期への理解の欠如を考えよう。分別年齢未満の幼児はいかなる刑事訴追においても罰せられるべきではない。分別年齢を何歳と定めるかは国によってまちまちである。ローマ法大全では25歳以下の年少者を3つの段階に分けている。すなわち誕生から7歳までの幼児期、7歳から14歳までの少年期(pueritia)、その後の成年期である。 少年期はさらに等分され、7歳から10歳半年までを準幼児期、10歳半年から14歳までを準成年期とする。最初の区分である幼児期と、少年期の前半である準幼児期においては、いかなる犯罪でも処罰されなかった。少年期の後半、成年になりつつある10歳半から14歳の者は、責任能力(doli capaces)、あるいは犯罪実行能力を備えているとみられれば、実際に処罰されえた。しかし、その場合でも、多くの酌量があり、最大限に厳格な法の適用がなされることはなかった。最後の時期、(成年期とそれ以降)においては、年少者は能力その他に応じて処罰される傾向にあった。

ところで、日本の新旧刑法では以下のような条文があります。

旧刑法:

第七十八条 罪ヲ犯ス時知覚精神ノ喪失ニヨリテ是非ヲ弁別セサル者ハ其罪ヲ論セス

第七十九条 罪ヲ犯ス時十二歳ニ満サル者ハ其罪ヲ論セス但満八歳以上ノ者ハ情状ニ因リ満十六歳ニ過キサル時間之ヲ懲治場ニ留置スルコトヲ得

新刑法:

39条 心神喪失者の行為はこれを罰せず、心神耗弱者の行為はその刑を減軽す。

41条 十四歳に満たざる者の行為はこれを罰せず。

つまり、刑事責任年齢が12歳から14歳に延長されています。少年法にも新旧があり、日本が新少年法を導入したのは戦後GHQの指導を受けてのことで、その時の刑事責任年齢は14歳でした(2007年に再び「おおむね12歳」まで引き下げられました)。ですから、この14歳の根拠はおそらく当時の米国少年法に規定されている「分別年齢(the age of discretion)」であり、米国の少年法成立の時点での分別年齢の根拠は『イギリス法釈義』なので、この14歳はローマ法大全の『法学提要』、ひいてはその元になったガイウスの『法学提要(161年)』まで遡ることができる数字、ということになります。いささか意地悪な言い方をすれば、14歳未満を免罪する根拠は科学的なものではなく、単に2,000年程度の伝統でしかないということです。

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以下メモ

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774618/40

さて、漢書の恵帝伝の最初の方に、「民年七十以上若不滿十歲有罪當刑者皆完之(前195年)」とあり、物の本によると、漢代の「完」刑は、「(剃髪と足枷を課さない)5年の有期徒刑」だったらしいので、70歳以上の老人と10歳未満の子供は肉刑(棒や鞭で叩かれる刑)を免れ、禁錮か懲役へと減刑されたことになります。 秦律は厳格で有名、劉邦も。ガイウスと同年代、春秋・戦国に

この年齢区分法は唐代になるとかなり明確な規定になります。『唐律疏議(652年)』の「名例律」では次のようになっています。

諸年七十以上十五以下及廢疾犯流罪以下收贖
犯加役流反逆緣坐流會赦猶流者不用此律至配所免居作
八十以上十歲以下及篤疾犯反逆殺人應死者上請盜及傷人者亦收贖
有官爵者各從官當除法余皆勿論
九十歲以上七歲以下雖有死罪不加刑緣坐應配沒者不用此律

儒教・尊属殺人・卑属殺人・性善説・性悪説・宋律・明律・清律・大宝律/養老律・中華民国刑法(1934年)。

https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%B0%91%E5%9C%8B%E5%88%91%E6%B3%95_(%E6%B0%91%E5%9C%8B23%E5%B9%B4%E7%AB%8B%E6%B3%9524%E5%B9%B4%E5%85%AC%E5%B8%83)

第十八條
 未滿十四歲人之行為,不罰。
  十四歲以上未滿十八歲人之行為,得減輕其刑。
  滿八十歲人之行為,得減輕其刑。

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  • 14歳超えて親の手にあまるようになったら、社会でサポート、という視点もあるのでは?

  • by Anonymous Coward on 2017年02月27日 2時00分 (#3167649)

    大名行列を横断して許されるのは産婆さんかな?ガキといえど許されなかった筈。

    • by Anonymous Coward

      養老律では数え7歳以下は無条件で放免、のはずですが、裁判権は大名にあったでしょうから、大名によるんじゃないですかね。

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長期的な見通しやビジョンはあえて持たないようにしてる -- Linus Torvalds

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