TransPawの日記: パッションの"実"いろいろ
★今朝、パッションフルーツを食べました。酸っぱい味をイメージしつつ食べたのですが、予想以上に甘くて美味しかったです。
★でもって、この果物を食べつつ、やっぱり見とくべきかな~と考えまして。ついに見てきました。映画「パッション("The Passion of the Christ")」。友達からは「痛いシーンがえぐ過ぎ。貴方は見ちゃダメ」って止めらていたんですけどね。その人はこの映画に対する予備知識が皆無の状態で見ちゃったらしくて、さぞかしショックだったろうとは思うのですが(^^;)。私は前評判が聞こえてきた頃から、これは見ないとな~と思いつつ、なかなか時間がとれずズルズルと後回しにしてきてしまっていました。
メル・ギブソン、根性入っています。よくぞここまで徹底して映像化したなあ、というのが率直な感想です。
感想は書ききれないんですけど。以下に自分用の印象メモを残しておきます。
・「最後の誘惑」なんかと比べると、やっぱりリアルに聖書の世界が描かれていると思いましたね。ハーヴェイ・カイテルのユダは大好きなんですけど。
・ゲッセマネって満月だったんですね!過越の祭だからか!映像はカラヴァッジョを目指したそうで、全体的に綺麗でした(デレク・ジャーマンほどではないですけどね(^^;))。
・「痛いシーン」自体は予想以上にすんなりと見ちゃいました。「聖書のイメージどおりの受難シーン」って感じがしました。
・予想外だったのは聖母マリアの怒りの表情。絵画等のピエタの印象から、マリアは悲哀の人として描かれるような印象があったので、もっと弱々しいイメージになるかと思っていたんですよ。
この映画では、激烈な苦悩+悲哀+怒りを乗り越えて、最終的に"悟り"に至る、という印象を持ちました。個人的にあまり"慈愛"って印象は受けなかったんですよね。鑑賞中、私は何度か泣いてしまったのですが、全部、聖母が悲しむところでした。
・マグダレーンももうちょっと描いて欲しかったなあ。あまり積極的に描かれていませんでしたね。マグダレーンのほうが"哀しむ存在"として描かれていたような気がしました。
・やっぱりクリスチャンではない私にはユダの解釈が難しい(T-T)。自らの意思で裏切ったことになってるんだよね。この"裏切り問題"は"サタン"の解釈にもつながるんで、人の子の世界の話ではないからして、そこはしょうがないのよね。
・ピラトの真理の尋問の場面について。ピラトが"真理とは何か"という問いかけをするのは知ってましたが、この映画ではピラトは自分の政治的な立ち位置についてのジレンマを奥さんに"veritas(字幕の訳語は「真理」)"って言葉を使って説明していたように記憶しているのですが。この点がほおおおって思いました。"本当のこと"を表す場合に"事実"、"現実"、"真実"という言葉を使い分けますよね。「1つの"事実"も、それを受け取る人によって異なる"真実"になる可能性がある。人の数だけ真実が生まれてしまう。それが"現実"」...というようなことを明智抄の漫画で(^^;)読んだことがあるんですけど。"ピラトは真実を求めない人"という解釈もアリだと思うのですが、"現実に翻弄されながら、微かに真理を求め迷っている人"のような感じで丁寧に描かれていたのが意外でした。人物描写としてリアリティがありましたね。
★私達の概念上の"実"とは難しいものですね。
真実というものは捉えどころがなく、追い求め過ぎると煮詰まることが多いので、事実に即して現実的に振舞うように心がけているのですが。
でも、なんらかの形で真実という概念の存在も意識しておかないとマズイ気もしますしね。
パッションフルーツの実は種ごと食べるものなのですが。やはり物事の核となる本質を捉えようとする姿勢を保つことも大事なんですよね。
なんてね。思いました。
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