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TransPawの日記: わわわ ふわふわ

日記 by TransPaw

#元気を出すために 和と不和について書こうかなと

☆和敬清寂といえば茶の湯に息づく禅思想。
和を乱すな、というと周囲の意見に逆らうな、みたいなニュアンスがありません?

私は禅における和というのは、不和を内包するものと考えています。
不ニの観点からいってね、和というのは "完全一致""すべてが同一"などの意味ではなく、
本来同一ではないものが調和することにより見出される豊かさを内包しているんじゃないかな。
#...なんて、よく知らないんだけど そういう考え方が好きなんです(^^)。

音楽に接して育まれた感覚なのですが。
ユニゾンの統一感には安定感がありますが ハーモニーには別種の豊かさがあります。

異なる音が 共存すると 和音と呼ばれ 協和音 不協和音などと区別されたりします。
協和音の響きは確かに美しいです。
でも 禅の考えに依存しなくても 不協和音 にも美しさがあることは自明です。

自分がいびつで歪んだ存在である気がしていた子供の頃、私は歪んだ音や不協和音の存在を赦してくれる世界観に惹かれたのです。
ロックやジャズに留まらず、あらゆる音楽は disharmony あってのもの。
私は音の世界において育まれた"ディストーションやスケールアウトの存在を認める感性"を人との関係においても適用している気がします。

「○○だよね~」に対して「うん、そうだよね」という感じの「Me Too」的な結びつきも良いものですが
「○○だよね~」に対して「いや、私はこうなんだけど」「なるほど」という「Let's see」型の交友関係は世界を広げてもらえる気がします。

私は多分、わ と ふわ を重ねながら 人や世界と響き合う。というようなことを求めているのでしょう。

つい「自分が和を乱すかどうか」を考えて怯えて無音のまま留まりたくなるのですが
「自分が異質なモノを受け入れる気持」を保ちつつ発声することが"和"を生み出すコツなのかもしれない、なんて、たった今思いました。

#ま、禅的には特に発声すること自体に固執する必要はないのですが。無音もまた音であります。
#ふうう。なんか書いているうちに落ち着いてきました。よかったよかった。

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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ見習い

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