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639019 journal

WindVoiceの日記: これがホントの日記というか

日記 by WindVoice
ここに書いても詮もないことですが、人の心の中には、言葉で表現できる部分と、そうでない部分があると思うのです。個人の語彙にもよるとおもいますが、私の実感としては、言葉にできない部分のほうが明らかに広くて、しかも恐怖とか、不安とか、閃きとか、愛情といったような感情は、もっぱらそういった「言葉のフィルター」を通ることができない部分から染み出してくるものだと思うのです。

そういうものを無理に言葉にしようとすると、出てくる言葉は表現したい実体とは微妙に(ときにはまったく)違うものになります。しかもずれたことに気がつかないまま、なんとなくわかったような気になってしまうことすらあるのです。いや、きっと、あると思うのです。

たとえば数学の定理の証明なら、その性質上、最終的に言葉と記号に「着陸」させざるを得ないのですが、しかし「天才」を持つ人たちは、やっぱり言葉ではないところでできあがったものを、あとから言葉にするために腐心しているように思うのです。

数学のようなものと違って、実生活で必要ないろいろな思考は、別に必ずしも言葉を通す必要はありません。自分の心の中だけで考えればすむ問題なら、むしろ言葉を使わないで考えたほうがいいこともあります。言葉はジグソーパズルのようなもので、あるピースのあとにつなげられるピースは、最初から限られているのです。それだけに、どこかでひとつ組み間違えると、最終的に行き着く先が、まったく違う結論になってしまうのです。どこかで組み間違ったことに気がつくこともありますが、熱中するあまり気がつけないこともあります。それは、時には危険なことです。

では言葉を使わずに考えることが万能かというと、それも大きな間違いです。言葉を使わずに考える方法は、心の中を広く使ってダイレクトに結論に至れる利点はありますが、一方でさわやかな初夏の陽射しや、少し前に食べたカライ物や、さっき飲んだコーヒーによって簡単に影響されてしまいます。今晩の献立を考えるのが目的なら気にすることはありませんが、重要な問題を考えるときには、自分が充分に冷静かどうか注意して観察しないといけないのです。

えと、日記だから結論を書く必要はないわけですけれども、オチがないとすわりが悪いですか?

わからないものは、安易に結論を出さずにわからないまま放っておく、というのも重要なポイントだと思うので、とりあえずこの命題は大上段に構えたまんま無期限放置プレイということで(ぉぃぉぃ)

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