YOKOTCHの日記: 祝600エントリ!(自分で祝う) 5
こうしたほうがよいらしいですのという暗黙のルールがあったとき、ボクはこういう意見でこう考えるからこれには従えないですの、というのでもよいですし、ボクはこうこうこんな感じだからこれはこれで別にいいですのてへへ★(既に従っているですの!)、というのでもどっちでもつらぬけば粋ですのーと思って、どうしようかなあとかいろいろ小さなことをぐるぐる考えたですの。このへんで既に粋でないですの。
だけれど、ボクはこちらのサイトの日記システム様に非常にお世話になってるですの。ですから、こちらのサイトの決まりがあるのならば、やっぱりがんばってチャレンジしなければならないと思ったですの。
でも、IME様が"ですの"と入力すると"デ巣の"と変換してくださってなえなえですの。まあいいですの。がんばるですの。
今日は、"海辺のカフカ"の上のみよみましたですの。
とってもおもしろかったですの。淡々とした語り口でいろんな物語が平行して進んでいくあたり、微妙にからみあいを連想させるあたりが村上春樹サマの文章らしいといえばそのとおりで、淡白な語り口に一所懸命おいかけなければならないところもとても楽しいですの。
だけれど、ホントにFranz Kafkaとひっかけてるところが目立つです。夢と現実の微妙な入り乱れ方といい、厳然と存在して身勝手な環境といい、父から独立したアイデンティティを捜し求めるマザコン気味の少年のあり方といい、どうして表表紙をめくったとたんにお父さんの肉屋住所がかいてあるのかとか、そこまでkafkaを思い起こさせるアイテムが陳列してあるのはなぜなのかが気になるところですの。この本を読んだ人全員がkafkaを読んでいるわけではないし、kafkaと絡み合わせていることが読んでない人にも読んでる人にも語りかける部分と言うのはいったいなんですの?というのはボクが読み物全体に対して抱いている疑問なのかもしれないです。自分と、他人と、文章との関係は、どこがどれほどどこにとって重要なのか、あるいは重要視すべきなのかがボクにはよくわからないです。あるいは、こんなことに悩んでるボクは、既に脱落しているのかもしれないですの。
とりあえず、今の感想はこれだけですの。読んでていろいろひっかかったのだけれど、大急ぎで返却してしまったのであとから拾い出すことができないですの。やっぱしこのへんは買わないとだめですの。でも、とりあえずはお借りして読むですの。早く下巻が読めるのを楽しみにしていますです。
ところで、公式ページの発売にあたっての文章、ボクの好きな感じですの。
600 (スコア:1)
みんなでお祝いするする。 (スコア:1)
GUST NOTCH な気分でいこう!
600エントリおめでとー (スコア:1)
すらど宴会SNS開放中 [e-meet.jp]
ひゃあ (スコア:1)
しかしちょと毎日この文体は大変ですの!
なんだか内容も文体に引きずられている感じも
いたしますのです。
さすがsoramine様なのです。
いやぁおつかれです。 (スコア:0)