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日記

YoRの日記: 第二次大戦前後の私の一族

日記 by YoR

すずさんが私の母方の祖母とそれほど違わない年だという。ではそのころの私の祖父、祖母はどう暮らしていたのか。

母のいうには、私の曾祖母(母の父の母)は小作を使うのがうまかったという。つまり小作のいる地主だったことになる。事実曽祖父はかなり裕福だったらしく、吉野川沿いの街で芸者を揚げて宴会をしていたという(しかし破産して早死にした。これは祖父の証言)。また、祖母(母の母)は「学校を休んで小作料を取り立てに行くのがとても嫌だった」と言っていた。祖母も小作がいる地主の娘ということになる。
母方の祖父母は地主の家系で、しかし祖父は徴兵され南方で苦労したという。しかし無事復員し母も叔父もベビーブームのただなかに生まれた。しかし家は一度破産し、祖父は苦労して土地を取り返し、今も叔父が専業農家をやっている。破産がいつ頃だったのかわからないが、祖父が家を再興したのは戦後であるのはわかっており、土地でも一代で家を築いたとして有名だったという。
曾祖母の葬式だったのか法事だったのか、小さいときにやっていたのをうっすらと覚えている。曾祖母はそのころまで存命だったのだ。

私の父方の曽祖父は大正時代に町長をやっていた。この時点で裕福な家であることがわかる。祖父はその末の息子に当たる。一番上の兄が家を継ぎ、そのほかの兄は他家に婿養子に入った。祖父は海軍の軍人になることを志し、師範学校(教師養成学校ですな)を出て海軍に入った。このコースは優遇されていたという。そして軍艦でイギリスを訪問し、そこの店で祖母への結婚指輪を買った。祖母は私にその話を何度となくしながら指輪を見せていた。(軍艦に詳しい人ならこのエピソードから艦名はわかるだろう。艦これの提督ならすぐに出てくるのでは?)
祖父は怪我をしたらしく、戦時中は陸上勤務となり、佐世保にいた。そこで父とその妹と弟が生まれている。祖父の乗っていた艦は終戦近くになって沈没した。しかしその乗組員のほとんどは駆逐艦に救われたという(艦これではかわいらしい大正ロマン娘である)。私も祖父の葬式の時にやってきた祖父の部下の人たちにあっているのだが、彼らはその救われた方なのであろう。少なくとも何人かはいたはずだと思う。祖父の最終階級は兵曹長。祖母は「どの兵隊さんもお祖父さんに敬礼をするので不思議に思ったが、聞いてみたらお祖父さんは兵隊さんの中で一番偉かったんだと」と言っていた。兵曹長は下士官の最高位である。
祖父は戦後、故郷に土地を買い(元々分家すると実家が土地代を出資するか、元の土地の一部を分けるのが風習であった)、細々と農家を営んでいた。子供が好きだったとかで、老後も近くにある小学校(祖父(母方も)も父も母も私の従兄弟もその学校を出ている)で、子供たちにいろいろと話をしていたので、土地の私の世代の人は祖父をよく知っているらしい。
父方の祖母はやはり地主の出であろう。子供の頃に祖母の実家に何度か行ったが、部屋が沢山ある大きな家だった。
その家に、母方の祖母の兄が婿入りしている。つまり、父方の祖母から見ると、母は義理の弟の姪なのである。元々親戚なのだ。血は繋がってはいないが。
そのせいか、祖母と母の仲が悪かったという様子は見たことがない。もともと身内なのである。

農地改革は、祖父祖母たちの先祖代々の土地を分割したのだろう。今となっては皆が細々と土地で作物を育てているが、後継者たちはみな私のように他所に行き、主のいない土地が増えてきているという。そして所有者がなくなった土地には家が生えてきている。
それでも、残さなければならない家もあるのだそうだ。そのため、母方の祖母の実家は養子をとったという。母方の家には従弟がおり、従弟にも子供がいる。こちらの家はまだ続いていくのだろう。室町時代には城主だった人の子孫だという家系伝説がある。本当かどうかは知らないが。
父方の祖父の家系は途絶えかけている。特に私の責任で。それにしたところで、こちらの従兄妹の誰でもいいから子供を作ればいいのに、まだだれもいないということだそうだ。

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