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日記

YoRの日記: 以前書いた一族で銀行に行った人のこと

日記 by YoR

あの時の話をよく思い出してみたら、その人は松平大膳家の家来の血筋だった。
名字帯刀を許され、当時の記録には「牢人(浪人と同じ)」とされている。本来この言葉は主君を持たない武士を意味するので、ちょっと矛盾を感じる。ちなみに系図には「松平志摩殿家中」と記述されている。松平大膳家は代により志摩を名乗る人物もいる。

松平大膳家は、高松松平家(水戸徳川家連枝)の分家家老で、主家に養子に出たものもいる。また、高松藩の隣の徳島藩主蜂須賀家へ養子に行った者もおり、その子孫は蜂須賀家の一族家老として残ったそうだ。蜂須賀家本家はまた他(佐竹家)から養子をとり、その後将軍の息子をもらってその系統で子孫が残っているらしい。松平大膳家にしろ結局は家康の子孫である。(佐竹からの藩主の系統も残ってるみたい)

元に戻り、タイトルの人物だが、先に書いた通りやはり血筋が良い。(幕府から見て)陪臣の為、明治には士族にはなっていないのだが、そういう名門の家臣の直系である。恩師の推薦で行けたと言っていたのだが(それは正しいのだろう)、地方銀行の支店長という地位に上ったのには、そういう筋の良さがあったのではなかろうか。

私の親戚には、東京第一弁護士会の元会長や、国立大学の元学部長などがおり、古くは近衛師団に入った人や、禁裏に女官として入った人もおり、やはりそういった地位には血筋が関係していそうな感じはある。弁護士の人も、その祖は徳島藩から名字をもらったという土地の名門である。

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