airheadの日記: 最近の著作権ストーリーから(2)
レッシグ教授の講演・日本語字幕版Flash (2003/04/09)
オンラインストレージサービス悪用・著作権侵害で逮捕 (2003/04/11)
法を根拠に、社会の実態と照らし合わせてあまりに強く規制しようとするものが現れる。社会にでまわっているものを用いて「容易にできるからしてもいい」との判断だけで法を逸脱しようとするものが現れる。たとえばコピーコントロール技術とか、違法コピーがそれにあたる。
厳密には違法であっても社会の実態には則していて、社会活動を円滑に進めることを優先してほとんど問題にされないこともある。適法であっても、社会の実態の変化に追いつかないこともある。法が社会の実態のほとんどを網羅すればいいのだけど、法を社会の実態にあわせて変えるには多くの議論が必要だ。
その議論はマスメディアでも大きく取り上げられるが、こと著作権法になるとマスメディアがマス著作権者ということもあってか、メディアの規模が大きくなるほど細かい議論をさけて、違法行為などの単純な報道にとどまる傾向にあるようだ。著作権法の議論について、マスメディアはうまく機能しないかもしれない。
著作物にかかわる個々が議論すればいいのだけど、法は明文化されているものだから議論がはかどるが、社会の実態は視点によって異なって映ることがある。社会の実態とひどくかけ離れている主張、著作権法以外で扱ったほうが合理的にみえる主張も多い。著作人格権、頒布にかんする権利、利用の制限などについて主張にとって都合のいいものだけ書かれることもある。いったん著作権法から離れて、各々が身近なところから自問していくべきかもしれない。
規制にしても逸脱にしても、当事者にいくらかのメリットをもたらすと期待してのことだろう。その期待は現実的か、互いにデメリットを押し付けあっているだけではないか、実際にどれだけのメリットがあったのか、もう一度考えてみてはどうだろう。
コピーコントロール技術の場合、現在の経済状況でどれだけの利益が上げられるかを過大に期待していないだろうか。違法コピーの場合、自分どれだけの時間聴くことができるかを過大に期待していないだろうか。単に新技術を得たことで興奮して、欲張っているだけではないだろうか。手段が目的になっていないだろうか。
メリットと思ったものは実はデメリット回避だった、ということはないだろうか。その行動によって誰かがデメリットを強いられないだろうか。その誰かを阻害することにはならないだろうか。まわりまわって自身のデメリットにはならないだろうか。
何らかの行動をおこした後なら、実際にどれだけの利益が上げられたか。どれだけの時間、聴くことができたか。程度とか時間の問題で「相手が怒りをあらわにしていない」ことに甘えていないか。「問題がないから」ではなく「問題が発覚しにくいから」こそ行動に移していて、さらにそれを「問題がないもの」と錯覚していないか。
で、疑問だ。そういう感覚が麻痺した者に法を突きつけても、相手を一時的に黙らせるだけにしかならないだろう(そうして黙らせる、というのは自分もやってたりするんだけど)。そうしたことはもう充分繰り返されてきたし、著作権侵害や規制強化を伝える報道も1年前と替わり映えがしない。5年前、10年前でも同じことだろう。
そうではなくて、議論を進めるためには、世の中が変わるためには何が必要なのだろう?
# 4/11のストーリーにもコメントしたかったけど、
# 産経リンク問題と同様にどこにコメントしたら
# いいのかわからなくなった。またしても長いし。
# 毎度のことだがトピックアイコンの選択に迷う。
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