akiraaniの日記: 著作権とはどこから発生する権利なのか、というお話 3
夏コミで入手したロージナ茶会のDVDを今頃になってみているんですが、やはり白田先生の話は分かりやすくて面白いです。
とりあえず今見てる動画では、著作権の成り立ちについてのお話がかなり興味深いです。
日本を含む大多数の国では、著作権と言うのは自然発生的なある種の持って生まれた権利であると解釈する。では、著作権が生まれる瞬間というのはどのタイミングだろうか。
例えばマンガについて考えてみると、その製造工程の一例は以下のようになる。
- 漫画家が原稿の原案(ネーム)を作成する
- 編集者が内容をチェックして直しの指示を行う
- 漫画家が原案を修正して最終原稿を作成する
- 編集者が写植指定や台割などを指定して版面を作成する
- 印刷業者が版面を印刷して製本する
では、ここで考えてみよう。著作権と言うのは、上記の5工程のうち、どのタイミングで発生するのだろうか。
まあ、大体の人が1、もしくは3と答えるだろう。少なくとも、現在の出版著作権法ではそう解釈するのが一番妥当だろう。
この場合、著作権利者は漫画家となる。創作に該当する作業をしたのはこの段階では漫画家のみなのだから当然である。
実は、この考え方は、著作権法の歴史をひも解いていくと、かなり後から追加された考え方なのである。
著作権法のもとになっている概念と言うのは、16世紀、活版印刷が発明されてから発生したものだ。
まず、この当時の出版業者のギルド内で「誰か(ある業者)が印刷した本と同じ内容のものを、他の業者は一定期間印刷販売してはいけない」という取り決めが行われた。いわゆる海賊版の禁止である。この取り決めが現在の著作権法の始まりである。
なぜそのような取り決めが必要だったのかと言うと、海賊版が横行すると正直者がばかを見るようになり、最終的に業界全体が没落してしまうからである。
最初に書籍を発行する業者は、上のマンガの製造工程でいうところの1~5全ての工程を行う必要があるが、後から真似して印刷する場合、必要なのは5のコストだけだ。さらに、それだけではなくて、売れたものだけ刷ればいいので、採算割れのリスクがほとんどなくなる。安全に、かつ低コストで商品を製造することができるようになるわけで、その分価格を下げて販売することができるようになる。そうなると、最初に印刷を行った業者は価格競争によって1~4の作業でかかったコストを取り返すことがきわめて難しくなってしまう。
そういった海賊業者ばかりになれば、今度は新しい本がつくられなくなってしまうので、市場そのものがしぼんで自らの首を絞めてしまうことになる。それを防ぐために、海賊版の禁止という取り決めが必要なったわけである。
この当時の考え方では、著者には権利は発生しない。あくまで、5の工程で印刷業者に独占して印刷する権利が発生するだけだからだ。
さて、この独占して印刷する権利だが、いくらギルド内でそのような取り決めを行っても、ギルド外で海賊版を発行されるのを止めることはできない。だから、より大きな権力によって取り締まって罰則を科してもらう必要があった。
そして、それを行ったのが当時の王権である。王権をもつものがギルドよりも大きな力で取り締まりを行い、印刷業者は王権を利用する代償として、王権による検閲を受け入れていた。つまり、ギルドを通して王権による検閲を受けない書籍を頒布するものには罰則を与える、という形で海賊版の蔓延を防止したのである。
やがて時代は変わり、印刷技術が発展していくに従い出版点数も増えて検閲が難しくなり、同時に権力者による検閲はよろしくないという考えが広まるようになる。そうすると、上記のような仕組みでの海賊版を抑止することが難しくなってくる。そこで編み出されたのが、「著作者の著作権」という概念になる。
作家が書いた原稿に独占して印刷する権利が発生し、その権利を契約によって譲り受けた印刷業者だけが出版できる。だから、海賊版業者は権利を侵害する存在であるという定義を法律上で行って、犯罪者として罰することで海賊版蔓延を抑止したわけである。
実は、この時点では、著作権と言うのは自然発生的に発生するものではなかった。
法律の歴史になるので細かい話は動画でも省かれていたが、著作物に限らず、ものに対する権利と言うものがどのように発生するのかという考え方が「今支配しているものに付随する」という考え方が主流だったのだ。例えば、領地に対する権利と言うのはその土地に生まれた者に対して自然発生するものではなくて、実力を行使して支配したものに対して発生するのだ、という考え方だったらしいのだ。
つまり、タイミングでいえば、5を経て出版物が販売されて、出版する意義が出てくるようになるまで海賊版を抑止する権利、つまり著作権は発生しないものだったのだ。
この考え方に基づくと、ある国の法律で認めら他権利はよその国で認められることはまずない。なぜなら、著作権利者が支配者(国、および出版の利害関係者)の庇護下ではなくなってしまうからだ。
いろいろあってそういった実力支配主義的な考え方はどんどん薄れていくわけだが、著作権法ではっきりと「著作者の自然発生的な権利である」と定義されるようになったのはベルヌ条約以降の話となる。
ヨーロッパのように多数の国が接して交流している場合、ある国の作家の著作権は他の国では発生しないことになる。ビクトル・ユーゴーなどの国をまたいで著名になる作家が登場するようになって、それでは不十分であるという状況が発生する。そこで発案されたのがベルヌ条約なのである。
さて、このベルヌ条約であるが、当時の主だった国の中で参加しない国があった。それがアメリカである。
アメリカでは古いタイプの著作権法、つまり「今支配しているものに付随する権利」という考え方が元になっており、今でもその性質を色濃く受け継いでいる。つまり、著作者の権利とは自然発生するものではなくて、経済的に支配して利益を生み出すようになって初めて意味をなす権利であるという考え方が下地にあるのだ、
このため、経済的な不利益を与えない行為に対してはフェアユースのような規定があり著作権が行使しにくくなっており、また著作者が損害賠償請求をするためには商業著作物として登録を行っている必要があったりする。
TPPでの知的財産権の扱いについて語るには、まず、こういった大陸式と米国式の著作権体系の違いを理解する必要があるということだそうですよ。大陸式、米国式のどちらが正しいか、という話はないんですが、下地となる考え方の違いで運用ルールは大きく変わってくるということを理解してから議論する必要があるということですね。
余談になりますが、現在、米国が世界随一の知財大国であることを考えると、どちらが競争において有利なのかという点に関しては答えが出るのでは、という気もします。
本当はそこからさらに、言論の自由と比較してどうのと言った事情があるんですが、そこについては興味がある人はロージナ茶会の動画を探して見ることをお勧めします。
今さらそんな (スコア:0)
トリビアにしかならないような歴史的経緯なんか知ってたってかえって恥かくもとになるだけだと思うなあ。
http://idle.srad.jp/comments.pl?sid=579939&cid=2238258 [srad.jp]
歴史的には確かに「複製をともなわないのにどうしてcopyrightが関係あるのか」というのは完璧に正当な疑問だけど。日本に限ってだけど訳語が「複製権」でも「版権」でもなく「著作権」である時点ですでに歴史的経緯は振り切ってるとも言えるし。
Re:今さらそんな (スコア:1)
問題は歴史的経緯じゃなくて、「なぜそうする必要があったのか」を理解しているかでしょ。
少なくとも、大陸式と米国式の著作権運用法システムの違いを知らなければ国家レベルの知財戦略は見えてこないし、TPPの知財関連項目の狙いもわからないよ。
しもべは投稿を求める →スッポン放送局がくいつく →バンブラの新作が発売される
Re: (スコア:0)
二言目には「海外に合わせないと不利益が」と言い出す人達を相手にしなきゃならんので、
「一言に海外と言っても国によって考え方の違いがありまして」と言う理屈は知っておくべきでしょうが、
すぐにオウベイガーオウベイガー言うのに、
米国か欧州かどちらか片方の受け売りで詳しく理解してない、と言うのはよくある話で、