akiraaniの日記: JASRACがMIDI文化をつぶした論について歴史からひも解いてみる 8
後から判明した情報がいくつかありますので補足しておきます。
はてぶなどで誤解している人が多く見受けられますが、1997年の著作権法改正時点で耳コピ作品の無断公開は違法です。
つまり、1997年の法改正時点で、アップロード楽曲の権利関係を全く気にしていなかった草の根BBSのMIDIフォーラムは違法サイトだったと言うことです。
2001年以前にも違法になったことによる自主的な活動自粛や議論はあったと思いますが、JASRACで利用料金の徴収を行っていない以上、JASRAC側から積極的なアクションがあったとは考えにくいです。
間接情報になりますが、JASRACといえば10数年前に起こった、MIDI撲滅事件。その時に送られてきたメール。(Togetter)に、JASRACからの警告メールがどのような文面だったかの情報があります。
具体的にいつ来たメールなのかは不明ですが、メール内にすでに手続き申込のリンクがあることからやはりJASRACがネット配信の取り扱いを開始してからのもの、つまり2001年7月近辺以降に届いたメールのようです。
また、2001年9月には、@niftyのFMIDIはそれまでの違法フォーラムではない、合法フォーラムとして復活していたようです。
JASRACの著作権使用料フリーでMIDIデータを公開できるサイト @niftyの「MIDIフォーラム」が楽器メーカーの協力で実現(InternetWatch)
---というわけで、ここから当時の本文です---
最近なんかしらでJASRACのMIDIつぶしの話題を見ている気がするんですが、個人的には大変懐疑的です。MIDIそのものはゲームミュージックとともに発展してきていたもので、MIDI音楽作成で食っていたのはゲームのほかは着メロや通信カラオケくらいのはず。
その着メロや通信カラオケも音声データの配信が可能になり、音楽公開の場は動画投稿サイトにうつりました。MIDI文化と呼ばれるものは、JASRACの取り締まりがなくとも淘汰される運命にあったと思います。
というわけで、具体的にいつ取り締まりが始まって、当時どういう状況だったのかを年代を追って掘り下げていこうと思います。
まず、法律的にはどうだったかというと、1997年の著作権法改正で送信可能化権が制定され、ネットでの耳コピ作品の公開が違法になります。そして、JASRACに利用形態の一つとしてネット配信が盛り込まれるのは2001年7月。いろいろ調べた限り、いわゆるMIDI狩りが始まったのはこれ以降だと思います。
では、法律制定から徴収開始まではどういうスタンスだったのかというと、1999年8月にJASRACに問い合わせた方の報告を発見。
Kさん= いえ、その場合の規定は決まっていないのでお控えいただきたいと思います。
僕= (はてはて?)規定がないのならば、自由に流していいことになりませんか?
Kさん= そうではありません。でも、どうしても音楽を流したいといわれる企業さんなどには、「規定が決まった場合、過去にさかのぼって料金を払う」と書面で確約した上でお使いいただくことはあります。
僕= もしその料金が何百万円などと決まったら、その通り払わなければいけないのですか?(何百万ということはないでしょうが――。)
Kさん= そうです。ですから基本的にはお控えいただきたいということです。
ということのようです。「どうしても音楽を流したいといわれる企業さん」というのは、おそらくは着メロ関係のところでしょう。
では、MIDIのあとにデジタル音源の主役となるMP3はというと、Wikipediaのデジタルオーディオの項目によれば、1998年に世界初のMP3プレイヤーが登場しています。もちろん、それより前にパソコン上では再生可能であったし、たいていのDTMソフトがMIDIファイルをmp3形式に変換する機能を備えていたはずです。
とはいえ、音声ファイルのネットでのやり取りはまだまだ通信インフラの問題でハードルが高く、MP3データのダウンロードが一般的になるのはADSLが普及し始めて以降(2001年頃)になると思われます。
ただ、ファイル共有関係の事件として有名なファイルローグ事件や、Winnyのβ版が登場した2002年にはネットの世界でもmp3がデジタル音源のデファクトスタンダードになっていたはずです。
こうして考えていくと、MIDIファイルのネットでのやり取りというのはJASRACが取締りを始めた2001年にはすでに個人向けのDTM成果物の公開手段としては必要とされなくなりつつあったということがわかります。MIDI関係のサイト閉鎖のきっかけになったのはJASRACの取り締まりだったというところが多かったかもしれませんが、別にそれはMIDIだけの話でもないし、MIDI関係に限らず草の根BBS出身のフォーラム自体がこの頃から急激に衰退して行きます。
一方、商用楽曲としてMIDI作成が行われていた頃のピークは、おそらく着メロの最盛期です。Wikipediaの着信メロディによれば、i-modoでの商用着メロ配信サービスが登場したのが1999年。音声ファイルを直接DLする着うたサービス(2003~2004年にかけて登場)にとって代わられるまでの5年ほどの期間が最後のピークだったと言えるでしょう。
着メロ文化の立役者と言えばもちろんドコモのi-modeですが、これらのサービスは権利関係の処理をJSARACが取り扱うようになって初めて可能になったわけです。趣味でDTMしてた人からは異論はあるでしょうが、JASRACのおかげで着メロや通信カラオケでの商業音楽の取り扱いが可能になり、結果としてMIDIというフォーマットの延命になっていたという見方もできるのではないかと思います。
その後、趣味のDTM作品は2004年に登場するYouTubeなどの動画投稿サイトで手軽に公開出来るようになってからまたネットの表舞台に姿を現し、2007年の初音ミクの登場によって大ブレイクすることになります。2008年にはニコニコ動画を皮切りに大手の動画投稿サイトが相次いでJASRACなどの著作権管理事業者との包括契約を結び、アングラだった耳コピ作品の公開も晴れて合法的に出来るようになります。
その後の発展はというと皆さんご存じ通り、いつの間にやらDTMでネット公開された曲がオリコンにランクインするまでになっています。
2001年にMIDI狩りが始まって2008年に大手投稿サイトが楽曲使用包括契約を結ぶようになるまでの約7年間の間、MIDIは廃れてしまったかもしれませんが、MIDIから始まったDTM文化はより進化した音源で発展し続けていたのではないかという気がします。
というわけで、年表形式でざっくりまとめてみるとこんな感じ。
1983年:MIDIの規格が制定される
1980年代後半:MIDIシーケンサが普及しDTMが誕生、パソコン通信のフォーラムなどを通じてMIDIデータの公開が行われるようになる
1995年:インターネットの商用利用開始
1997年:著作権法に送信可能化権が制定される
1990年代後半:MP3が一般に普及し、音楽再生フォーマットのデファクトスタンダードになる
1999年:MIDIによる着メロ配信サービスが開始
2001年:JASRACがネット配信での料金徴収開始(いわゆるMIDI狩りの開始)
2001年頃:ADSLが一般に普及し始め、一般ユーザーもmp3ファイルのダウンロード収集が可能に
2002年:ファイルローグ事件、Winnyベータ版公開
2004年:YouTubeがサービスを開始、着うたサービスの普及
2007年:初音ミク発売
2008年:大手動画投稿サイトがJASRACと包括契約
インターネットをリサーチの場とする限界 (スコア:1)
自分の記憶では1996年辺で、ニフティサーブの音楽フォーラムで議論とかあった気がします。
今だと2chになるのでしょうけど、当時ADSL普及前夜ですから才能持った人たちが沢山集まる場所は大手BBS時代のフォーラムでした。
個人HP開設することも珍しく、当時公開してた人たちのページも残っていない事も多かったですし、掲示板cgiもないサイトの議論は見えません。
レンタル掲示板としてteacupが流行りましたが、あれも当時から今まで残るものは…
それと、99年位にはPCのエンコ速度が向上してMP3の流通もそこそこ出始めたので、耳コピしたものを聴いてもらうために無理にMIDI公開しても需要がなくなっていたと思います。
自分は自エンコしかしていなかったのでアングラな実数は直感的でしかありませんが、そこそこライブラリ出来ていましたので後は通信部分の速度と定額プランが揃った時点で割れユーザーが増加していたと思います。
リッピング防止にCCCDが流行ったのも2000年の前後くらいでしたよね。
当時の紙媒体のネットランナーとか、ゲームラボとかを紐解けばMP3の台頭、ネットでの流通状況が伺えるかもしれませんが今ネット上でリサーチするのは難しいですね。
Re: (スコア:0)
FMIDIでやってましたね。2001年以前にもJASRAC側からの警告はあったんではないかと思います。
アマチュアがMIDI機器を買った後は耳コピを経てオリジナル曲という流れが定番だったので、サイトには版権曲・オリジナル曲が混在していましたが一網打尽にしてしまったのでJASRACがアマチュアMIDI文化をつぶしたという面はあると思います。当時はアマチュアがDTMでいきなりオリジナル曲を作るって空気ではなく、上の方に燦然と輝いているプロの作った音楽に近づくための有る種の修行みたいなものが耳コピって感じじゃなかったでしょうか。
Re:インターネットをリサーチの場とする限界 (スコア:1)
サイトがへいっされたからと言って文化がつぶされたかというと、おそらくそういうことではないって話もあるんじゃないですかね。
草の根BBSなんか今でいうSNSのコミュニティみたいな性質が強かったですが、インターネットの隆盛に従ってこういったネット上のサークル活動みたいなことはいったん下火になります。
その後、mixiのようなSNSが流行してあらためてコミュニティが形成されていくわけですが、これがだいたい2004あたりの話になります。
その間、DTMのコミュニティはオフラインメインの交流で活動していたはずです。当時、CD-Rが普及して、個人で簡単に音楽CDが作れるようになっていたので、同人イベントなんかでの配布とかがメインだったのではないかと想像してますが、このあたりはあまり詳しくないのでわかりません。
まあ、初音ミク以前の同人音楽サークルって、半数以上が東方音楽サークルで占められていたりもするので、ポップスの耳コピ文化自体がなんか違う方向に発展してた可能性もあります。
しもべは投稿を求める →スッポン放送局がくいつく →バンブラの新作が発売される
MIDIとMP3の接点 (スコア:1)
ちょっと重箱の隅ですが、
> たいていのDTMソフトがMIDIファイルをmp3形式に変換する機能を備えていたはずです。
いや、そんなソフトは基本的に存在してませんでした。MIDIというのは「楽器の演奏データ」であって、DTMソフトは楽器を繋いでなんぼの存在。MIDIデータはmp3への変換どころか、PC単体で鳴らすことすら想定外です。
99年頃だと、ローランドのSC-88Pro [hatena.ne.jp]とかヤマハのMU-100 [yamaha.com]とかの時代かな。
コンピュータ上でMIDIデータを再生する方法としては、プロプラの「ヤマハ S-YXG50」 [slashdot.jp]、そしてチート対策で有名になったシェアウェアのWinGrooveとかがありますが、どれも「スピーカーからならす」だけで、その再生PCMデータをファイルに落とすことはできませんでした。
(どうしてもデータに落としたかったら、PCのラインアウトを、PCのラインインにループさせて録音する、というアナログ経由の手段をとるしかなかった。)
オープンソースのTimidityならWAVファイルへの変換ができたので、そこからさらにMP3にするってことも可能でしたが、Timidityそのものには音色データはないので、別途音色(サウンドフォント)データを入手するという手間もあったりと、簡単にインストールできるものではありません。
しかも、Timidityの音色音質は、DTM者にとっては、「ギリギリ我慢できないこともない」程度のもので「自作の曲として公開できる音として満足できるもの」ではなかったみたいです。
#私は安物の耳なので、Timidityで困ってなかったんですが…
結局のところ、「自分で作曲した(MIDIの)データをMP3で公開する」なんてのはかなり非現実的です。当時の認識としては「MIDI」と「MP3」との間には接点がないんですよね。
「MIDIによるデータ公開が減った」というのであれば、「個人DTMはMIDIではなくMP3で公開するようになった」というのではなく、「個人DTMの楽曲データ公開」そのものが減ったと考えるべきだと思います。
そういった自作DTM者がその後どうしてたかというと、基本的に
> 当時、CD-Rが普及して、個人で簡単に音楽CDが作れるようになっていたので、同人イベントなんかでの配布
の方向ですね。同人音楽即売会「M3」 [m3net.jp]の第1回開催が1998年です。あとは、オリジナル作品限定の同人即売会である「コミティア」 [comitia.co.jp]でも同人CDは見かけました。
Re:MIDIとMP3の接点 (スコア:2)
先に書かれてしまったので、少しだけ。
MIDIを入れてwavを吐くなら、VSC-88を使うっていう手が有った。
FruityLoopsでも行えたような気がするけど、気がするだけ。
Re: (スコア:0)
>WinGrooveとかがありますが、どれも「スピーカーからならす」だけで、その再生PCMデータをファイルに落とすことはできませんでした。
waveには変換できたと思いますよ
http://web.archive.org/web/20090221113304/http://wg7.com/wingroove/ [archive.org]
Re: (スコア:0)
私の知っている範囲だとDTMから足を洗った人がかなりいましたよ、社会人になって時間がなくなるしもういいやって感じで。
ゲーム音楽はJASRACの範囲外だったしその後も続いていたんじゃないでしょうか。私もその後は離れてしまってよく知りません。
Re:インターネットをリサーチの場とする限界 (スコア:2)
自分もMIDI狩りでやめたクチですね。気軽に入手できる参考資料も、発表の場も無いんでは腕の磨きようがない。
作曲というかアレンジというか、そういう部分ではmp3データなんてまるっきり参考になりません。
テクニックを盗むのに、楽譜にあたるMIDIデータは必須です。ピアノロールがそのまま出てくるようなもんだから、
発表された音声データなんかよりはるかに解析しやすいです。実際、自分も当時はかなりデータを集めましたよ。
数か月、ひょっとすると1年ぐらいはずっと音楽を流しっぱなしにできるぐらいあったんじゃないかな。
# もう手元にないけど。
一般に販売されていたもので言えば、KONAMIのMIDIPOWER [wikipedia.org]なんか音楽CDだけでなく
MIDIファイルが添付されてて、プロの仕事の凄さをつぶさに見られる貴重な機会でした。
当然ながら、最高の参考資料で。これを他の音源に流し込んで、パラメータをいじって
他の音源でも同じような音が出るようにするにはどうしたらいいのーとか、いろいろ楽しめました。
ソフトウェア音源使えば音源要らないし、MP3なんかよりはるかにデータを軽くできますから、
HDDの片隅にちょっと楽しむ時のために音楽を転がしておくにはいいサイズだったんですよ。
既に書かれてますが、VSC-88とかS-YXG50とか、かなり優秀なMIDI再生ツールもあったし、
自分は確かLinux上で昔からTimidityにGUSパッチ(サウンドフォント)の組み合わせを使ってました。
このへんはGUS(Gravis Ultra Sound)が革命的だったと思います。SBもすぐにAWEシリーズで追撃かけたけど、
ウェーブテーブル方式が十分にMIDI音源として(聞くだけなら)使い物になることを示した点では画期的な製品でした。
PCの音源カードにはSB16とかSB-Proの頃から既にMIDI再生の機能があったんじゃなかったかな。
当時はFM音源によるエミュレーションだったはずだけど。後のSB-Live!(EMU-10K1)あたりはサウンドフォントも
複数あって、さらに高級な再生環境でした。
まぁ、Windows95以降はMicrosoft GS Wavetable SW Synthがあるので、GS音源ならOSに標準装備ですね。
Wavが出せればとりあえず聞くことはできる。SC88みたいな高級機のは無理だけど。
mp3って耳コピには全然向きません。特に初期の128Kbps固定で無理に1/10圧縮したのは酷いです。
アレは聞こえにくい音をカットして圧縮してるフォーマットですから、主旋律はともかく、
バックで鳴ってる音だと「聞こえにくい音は聞こえなくてもいい音」という感じであっさり消えます。
マスキングって言うのですが、大きな音の下に隠れてる音は全て消してよし、という判断をエンコーダがします。
耳をそばだてても、元のデータにない音を再現するのは難しいですよ。不可能ではないとしても。