anqmbの日記: 私の場合、何ゆえ日記なのか
最近は怠けているので全然コンテンツを追加していないが、以前は漫画の感想を書いたりしていた。あくまで感想であって評論や批評ではない。そういう事をしていると、ていうか段取りのいい人はする前に考えるのかも知れないが、何のために公開などするのか、という問いが自分の中で頭をもたげてくる。評論とか批評じゃないのに書くことに意味があるのか。
- ある時期の、これに対する答えは、自分で後で読み返すため、要は自己満足のためだった。しかしこれだと、言うまでもなく公開する理由にならない。
- またある時期の答えは、多くの人の目に触れることによって、誤りが修正され、正しい記録を残すことが期待できる、だった。しかしこれだと、内容的にポータビリティを持たせなければならない。感想では、それは望み薄だ。そもそも、自分と同じようなことに関心を持つ人間が来ない。
かくして、自分のサイトで何かを書き残すことに何となく頓挫し、2ちゃんねるのような匿名掲示板の名無しさんとして思ったことを書くようになった。2番目の項目を重視したからだし、少しは1番目の項目も満足する。名乗らなかったのは、コテハンとなることによってコテハンの文脈でのみ読まれることを恐れたからだ。細かい出来事に関する正しい記録を残す運動、であることがメインで、それを誰が書いているかは主張したいところではなかった。
しかし、4コマ漫画のような、一見どれも同じような形式だが、読んでいる層の間には断絶があるようなジャンルを読むようになると、そういうところで群れているのも何だか居心地が悪くなってきたかも知れない。他の名無しさんと言葉が通じるためには例えば萌えとか落ちとか善し悪しなどという制度的なものを介して語る必要がある。でも、こちらはもっとワガママなので、あまりそういう読みはしたくない。主観的に直観したいのだ。外在するものを形容することによって、内なる直観力を磨きたいのであり、それには何処かへの所属は必要ない。
かくして、私のネットにおける活動は、公開することが無意味な自己満足と、不本意な制度的言説との板挟みに陥ることになった。しかし、今まで無署名の世界での書き込みがメインだったため、何かを打開するためには一度署名の必要な書き込みの世界に戻る必要があるような気がした。ここのような署名の必要な世界で日記を書こうと思った理由はそのあたりにある。
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