argonの日記: なまえのないかいぶつ 1
日記 by
argon
問題というものは見いだされ、名付けられることによって問題になる。
呼び名を与えられることによって、他のものではない特別なそれとして存在が認識される。
名前それ自身と名前が表す意味が複数の人に共有されることで、その名前は社会的な存在となる。
共有されていない言葉は雑音でしかないし、多くの雑音の中から意味を掴みとるのは絶望的な困難を伴う。
注意深く意識を向けつづけなければ、意味するものの存在に気づくことは難しい。
つまりもしなにものかの存在を知らせたくなければ、呼び名を与えない、名前を知られないことが最強の手段となる。
マスコミ (スコア:0)
マスコミは、私たち民衆にとっては世界や国内の社会の変化を知る為の手段です。
しかし、そのマスコミも所詮人間がやっているものですから圧力や偏見などによって正確な情報が伝わらなくなる場合があります。
また、マスコミは消費者(視聴者・読者)を多く求めようとしますので、時にはありもしない情報や誤った表現をする事があります。
これらは、どこの国でも同じようなものですが、日本においては「マスコミ=ブームの立役者」と言うものにマスコミがなっており、例えば「苛め問題」や「おたくブーム」は、前者は以前からあったいじめをいまさらのようにしかも、「マスコミの報道で連鎖的な自殺が起きている」とマスコミ自体も批判しながらも、報道を続けました。また、後者は「おたくブーム」によって、これまで待った区別の意味で使われる事が多かった「萌え」と言う言葉を「お色気」としてとらえたマスコミは、消費者を取らんとばかりにこの言葉を連発し、人々に「萌え=お色気」と言うイメージを定着させ、また、一部の性的異常なメディアやネットユーザによって「萌え=子ども」と言う表現も生まれ、今では子の言葉は単なる「性的な表現の代名詞」としか言いようの無いものになっています。さらに、この事で今、子どもや子供向け商品の製作者が迷惑をこうむっているのはもとより、この事が公然と認められている日本自体の品格を低下させる原因となっている事は言うまでもありません。
また、マスコミは時には自分自身の首を絞めることもあります。それは、例を言えば「Youtube」や「Winny」の問題で、これらは放送されたとたんに利用者が増え、結果として著作権を管理するマスコミ自身の痛手となりました。
最近の報道を見ているとどうも問題とされているのは以前から存在しているように思えます。ただ、それがマスコミの報道からはずされたり、あるいは昔の日本は大きな犯罪を未然に防げる社会だったからでしょう。
「マスコミなんて信じるな!」
確かに自由の側で責任逃れをしている現代社会は報道の自由や表現の自由を武器に、情報への責任をとらないマスコミ(メディア)が作り出したものに他なりません。そんなマスコミを信用できますか。
# 最近、「子どもに対する性犯罪はめったに起きない。」と言う話がありますが、迷信に過ぎません。実際は、報道されていないだけで痴漢や露出、誘拐未遂など様々な小さな事件がおきていますし、ネット上にもそういった犯罪思考を持っている者はいます。もう、メディアはそれらの者に犯罪を誘発させないよう注意する必要が出てきたのです。
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