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aruto250の日記: 天才とはなんじゃらほい

日記 by aruto250

天才とは、ある才能が、好ましい方向に突出していることだ。そしてこの才能ってのは、すこぶる身体的なことだと思う。この「身体的」というのは、体の肉や骨や神経、さらに脳味噌の中の回路がどのような傾向を持って作られやすいか、というところまでを指す(なので当然ながら、遺伝的要素が占める役割は大きい)。

ここで才能の例として、野球のボールを生まれて初めて投げる場面を考えよう。投げる人は、意識的にせよ、無意識にせよ、「体をこうひねって、腕をこう振れば、こんな風にボールが飛ぶはずだ」という「適当な予想」を立てるだろう。で、ボールを投げた後、予想した飛び方と、実際の飛び方には当然ながら差異があり、そこでまた、「自分の体のこの部位の動きをこのくらい変えればボールの軌道はこんな風に変わるはずだ」という修正をおこなう。で、この修正が的確である場合、それは投球の才能となる。その人の「テキトー」が、たまたま最適解を示すというか、投球における最適解を無意識にひねり出す脳と体を持っているわけだ。
(正真正銘の「投球の才能」というのは、まったくこの修正にもよらずに、完璧なフォームを最初から実現できる能力だと思うが、あまりにも現実的でないので放っておく。)

この才能の要因が具体的に何なのかはわからない。

まず、動作を修正すべき部位の予想が適切でなければならないだろう。次に、どんな風に、どのくらい修正するのかの予想も適切でなければならないだろう。さらに、想定したとおりのフォームで体を動作させることができるような神経や骨格、筋肉の特性が必要かもしれない(但し、想定したフォームと「ずれ」が生じる特性ゆえに、本人の想定よりも理想的なフォームを実現できる肉体、というものもあるかもしれない。つまり、本人にさえ何がどうなって才能になっているかなんてわからない)。

有名な例はきっと長嶋茂雄だ。バッティングのコツを聞かれても、自分の脳と身体との間でしか通じない感覚を言葉にできるわけがないから、「ピッと見てスッときてガッと打つ」のような言葉でしか表せないのだ。

ほんでまあ、この「才能」という呼び名は、社会に既存の概念のうち、好ましいと考えられているものに対して使われるものだけど、社会にとって価値のないもの、例えばフェティシズムとかであらぬものに(場合によっては本人が嫌だと思っていても)ハァハァできてしまう能力も「才能」だし、まだ存在しない何か、例えば無重量空間で激しく回転しながらより多くの鰊の燻製を作った方が勝つとかいうような、多分まったく新しい競技への適性だって「才能」だ。
ただ、発揮しても誰もが(場合によっては本人さえ)スルーしてしまうとか、発揮する機会がないとかで、才能が才能として現れてはこないけれど。

えーっと、結局こんな感じなんじゃないかしら。

・我々は何かしらの能力的特性をもっている。その特性はそれ自体では価値がなく、ただそこにそのようにあるものである。

・能力的特性が社会の価値観に適合するとき、それは「才能」として発見され、その才能の性能が極めて高いものが「天才」と呼ばれる。

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