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aruto250の日記: こうの史代「夕凪の街 桜の国」で引っかかるところ

日記 by aruto250

こうの史代の「夕凪の街 桜の国」を、どうもあまり好きになれない。

作中で、健気に生きる女性への感情移入を誘っておいて、しかしその女性は原爆症のため、幸福を目前にして死ぬ。俺はすっかり、「こんな悲劇をいくつも起こすのが戦争だ、それを分かっていて戦争を始めたのか?他人の人生を擂り潰すための、どれほどの大義名分があったというのか?」というようなメッセージを受け取ったつもりでいたんだが、作中で最後に出てくる決定的な一文が、どうにも解釈に困る。

その一文は、死に行く女性のモノローグで「十年経ったけど 原爆を落とした人はわたしを見て 「やった! またひとり殺せた」 とちゃんと思うてくれとる?」というものだ。

この文で「原爆を落とした人」が、投下を実行した前線の兵士を指すのか、それとも、全米国民を含む、原爆投下に責任のある全ての人間(日本国民を含む、とまで読み取るのはさすがに行き過ぎか?)を指すのかによって、作品の意味が全く違ってきてしまう。

もしこれが、前線の兵士を指すのなら、作品全体を通して節制の取れた表現で描写された悲しみの下から、最後のページに至って突然、浅薄な憎しみが顔を出してしまったことになる(ただ、原爆の一被害者の視点からはこの方が自然ではあるけれども)。
「なぜ平凡な市民がこのような目にあってしまうのか」を考えさせるのではなく、もっと現象面だけを捉えて感情的、情緒的に反戦気分を高めるための作品、戦争について考えてもらうよりも、戦争に対する嫌悪感への同意をこそして欲しいがための作品になってしまう。
そして、作者のコメントとか、他の作品なんかを見ると、どうも「そういうつもり」で書いているんじゃないかと言う気がしてならない。無防備都市宣言とか、前線の兵士が皆で戦闘放棄すれば戦争は起こらないとか、そういう話の延長で。

戦争なんて、引き金を引いた兵士を憎んでも意味がない。原爆にしたって、エノラ・ゲイのパイロットが命令を拒否したところで、パイロットがすげ代わるだけの話。しかも命令を拒否したパイロットは処分される。抗命罪がどんなもんか知らないけど、下手すりゃ死罪、そうでなくても一生不名誉がついて回る(原爆に関して言えば、それが後々高く評価されることもあるかもしれないけど別の話)。国に家族がいれば家族にも迷惑が掛かる。言ってみれば生活を人質にとられているのであって、それを投げ打って無駄な努力をしろってのはあまりに酷だ。そもそも前線の兵士にしてみれば、原爆で戦闘が回避できればそれだけ仲間が死ななくて済むわけで、大喜びで落としたっておかしくない。だがそこで大喜びなんてせずに、相当な葛藤をしてくれたというだけでも、もう十分じゃないのか。少なくとも一兵士に対してそれ以上のことは求められない。

じゃあ誰が悪いのか。兵士に命令を出した前線指揮官か。いや指揮官だって同じことだ。命令を拒否すれば切られて次の人間が来る。
将軍が悪いのか?確かに将軍なら、罷免を覚悟の上で拒否すれば、原爆投下を引き伸ばす時間稼ぎくらいはできるだろう。十分に引き伸ばすことさえできていれば、本土決戦の後にでも日本が降伏して、実際には投下されなかったかもしれない。
だがこれはどう考えても現実的ではない。本土決戦など行えば米軍の被害が一気に大きくなる。そもそも米国にとっては、戦後のソ連への牽制のためにも原爆の使用は必要だったはずで、それらを踏まえて大統領から原爆投下を命令されたなら、将軍は賛成こそすれ拒否する理由がどこにもない。
原爆投下を止めることができるとしたら、大統領だけだ。だが、原爆を使う場合と使わない場合とで、米国と米国民にかかる負担はあまりに違う。「敵国の被害を抑えるために、出征した息子さんには死んでもらうかもしれません。ついでに、今後ソ連と戦争が起こる可能性も上がります」なんてこと、国民がまず許さないだろう。少しでも少ないリスクで、少しでも早く、少しでも大きな安心を・・・と考えるのは人間なら、生き物なら、ごく当たり前に持っている「小心さ」だ。誰だって痛いのは嫌、辛いのは嫌、怖いのは嫌なのだ。不安で不安でたまらないのだ。

そもそも戦争に限らず、世の不和などはみな不安から逃れたい心から始まるものだ。自分から手を上げるような、一見強い人間にしたって、「自分の欲求が満たされないかもしれない不安」に耐えられないから人を殴るのだ。殴ることで少しでも早く、少しでも確実に、自分の要求が通るから殴るのだ。殴らずに交渉することで自分の持ち物、例えば「要求が実現する可能性」とか、時間等のリソースとか、が目減りすることに耐えられないのだ。持っていて有利なものは、いつだってもっと欲しいし、持っている分は手放したくないのだ。
人間も生き物である以上、この不安からは逃れられない。生き物は皆、この不安に駆動されることによって、死に物狂いで生き残りを図り、以って生存競争に勝ち抜いてきたのだから。

そういうわけで、被害者という「弱者」の御旗を押し立てる人は、その「弱者」が原爆に縋ったのだということを考えて欲しい。自分の弱さばかり主張することは、自分のその弱さの分だけ、相手が強くあることを一方的に要求することだ。
死や破壊に対する恐怖から原爆を非難する人は、その同じ恐怖が原爆を落とさせたということをよく踏まえて欲しい。いくら恐怖を分かち合ったところで、それは相手も同じだけ恐怖しているということの証明でしかない。そうなれば土壇場で「ごめんね、私も怖いんだ」とばかりにわき腹を刺されるのがオチだ。

いかに核兵器を使わせないか、いかに戦争を起こさせないか、を考えるとき、そこを踏まえていなければ、的外れな行動を取ることになってしまうだろう。

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「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」

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