aruto250の日記: R・ドロシー・ウェインライトのメカっぽさ
昨日書いたこれ
アイドルマスター 量産型は静音機能がついていないようですよ
こういう効果音ネタ大好き。あとギョッとするくらいまでメカっぽさを前面に押し出した演出も大好き。
つまりものすごくツボを突かれた。
の、既視感の理由にようやく思い当たった。
『THE ビッグオー』に出てきたR・ドロシー・ウェインライトだ。
見た目は完璧に人間(但し顔色は悪い)でも、首や手足が動くたびに駆動音が出て、鉄板にぶつかれば金属音を立てて、車に乗ればサスが底付き、電磁石に吸い寄せられる等、容赦のない描写がものすごく気に入って、学生の時分に随分と嵌っていた覚えがある。にもかかわらず、初見から一週間近くも思い当たらないとは何たる不覚。
ところでドロシーと言えば、そういう身体的な描写だけでなく、言動もいちいち「私はロボットで、人間のようには生きられない」という断絶を無闇に飛び越えて人間に歩み寄ったりしない、そういう意味でもいわゆる"メカ少女萌え"とは一線を画したキャラクターであったように思う。とは言えときたま、人間への憧れのような気持ちをちらりと覗かせる(ように見える)ことがあって、そこがまた良かったんだけど、これはきっと山本弘あたりにとっては間違いなく減点対象だな。
動くたびに駆動音が出るようなアンドロイドの、自分にとっての原型はなんだろうと考えると、やっぱり『不思議の海のナディア』に出てきたネオ皇帝?あれは正確にはサイボーグだったけど、目を開けるときのモータ音や、最終話で金属製の額環を握りつぶしたり半壊状態で歩いたりする時の哀愁漂うメカメカしさ、「私の体を鉄にしたのは誰だったかね?」という台詞が、強烈に焼きついています。
自分がメカであることをやたらと貶めないメンタリティ(というかAI設計?)の原型はなんだろうか。たぶん、小林めぐみの「ねこたま」に出てくるエルシ製のアンドロイドあたりか。自分が人間の召使だとは思わない、人間になりたくなんてない、人間にはない能力を使って仕事をすることこそが喜びだ、というような台詞があって、確かにAIはそうあるべきだと妙に納得が行った覚えがある。
この方向性では、山本弘あたりが最右翼ではないかという感じがする。『AIの物語』なんかではストレートにその辺の考え方が出ていて、もはやアンドロイド・・・というか機械と人工知能は、人間の限界を軽々と飛び越えていく、人類よりも上の存在として語られていた。いやまあ俺も、人間には、動物であることに由来する、肉体的というよりも精神的な諸々の足かせがあると思ってはいるけれど、山本弘が再三再四、人間オワタ人間オワタと唱えているのを見ると、どんだけ絶望してるんだと言いたくなってしまうな。
ええとまあとにかく何が言いたいのかと言うと、いわゆる"メカ少女"的なキャラクター(いや少女に限らず人間とコミュニケートするメカ全般)の表現が、もう少しハードボイルド寄りになってくれるととっても好みだわ、というあたりです。
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