aruto250の日記: 能や歌舞伎はオワコンと思っていたが 9
能やら狂言やら歌舞伎やら浄瑠璃やら、伝統芸能って死んでるよね。それが生きていた頃は、そういう芸能は「いま」にあわせて色々なものが変化していくことが出来たと思うんだけど、現在ではもはや「いま」にあわせることができない。
まず演目が追加できない。近世では「忠臣蔵」なんかは当時世相を騒がせた事件で、歌舞伎やら浄瑠璃の演目として取り込まれたりしたけれど、これが最近の事件や事故を取り込もうとすればどうなるか。まず登場人物の格好が着物でない。言葉遣いも違いすぎる。シナリオはともかく、洋服を着て現代語で演じるそれは、もはや歌舞伎や浄瑠璃とは言わないだろう。スーパー歌舞伎ですらなさそうだ。何年か前に、エヴァンゲリオンを取り込んだ能があったと思ったけど、あれは逆にエヴァンゲリオンではないでしょう。いや個人的にはすごく歓迎できる動きだけど。
演じる人の意識も違う。昔は「俺達は時代の最先端。カッコイイもの、イキのいいものを提供するぜ!」と思っていた(と、思う)けれど、現代では「私たちは伝統文化の担い手。日本古来の美を受け継ぎ次世代に繋げます。」みたいな。例えば能全盛期の役者が現代の能業界(?)に弟子入りしたら憤死しそうだし、師匠も「こんな奴は能の後継者としてふさわしくない」と判断しそう。
観る方の人種も違う。昔は、流行り物好きな人が軽い気持ちで観に行っていただろうけど、現代では流行り物好き、少なくとも流行り物にしか関心がないような人は、まず伝統芸能に興味を持たない。伝統とか古いものに魅力を感じる保守的な人間が「高尚なもの」に触れるつもりで観に行く。「いやいや、○○は気軽なものですよ。」という反論はあるかもしれないが、そこには「実は」が省略されている。たとえ通俗的な内容であっても、伝統芸能という枠組みが既に高尚っつーか、お前、そもそも伝統芸能にハイソな(あるいは厳粛な、重々しい、古式ゆかしい)イメージがなかったら興味持たなかっただろ、っていうね。これに当てはまらないのは「幼心にわけも分からずただ感動した」みたいな、価値観が構成される前に強烈な刷り込みがあった人くらいでしょう。
と、ここまで保守的なものを批判する方向から書いてきたけれど、最近自分に愕然としたのが和服の話。
フリルの付いた浴衣とか、裾がミニの浴衣とか、もう何あれダッセーとか眉を潜めていたんですよ。日本の美を何と心得るか、くらいの勢いで。だけどああいうのは、まだ和服が「生きて」いるってことなんだよね。流行を取り込んでダイナミックに移り変わっていく生命力があるっつーか。少しは特別感があるかもしれないけど、気負わない日用品として溶け込んでいる。そう考えると、伝統芸能の硬直性と、着物のデザインの移ろいを同時に否定する自分のダブルスタンダードに気付いてしまってこりゃカッコ悪いなと。
とりあえず (スコア:1)
ミニの浴衣は可。(※ただし女性に限る)
でも、日用品と言うよりは、ファッション(それもキワモノ系というか、むしろコスプレ)だと思う。
Re:とりあえず (スコア:2)
ミニ浴衣キャラで一つ話作ったら飛びつく人が・・・いるのかな(笑)
Re: (スコア:0)
つ三宅坂48
dead or alive (スコア:1)
まあ、相対的なもんだとは思いますが。
クラシック音楽の近代音楽以前のもの、ってのは、ある意味死んでいます。そもそも定義から新しいものを足せないのは明らかですから(埋もれていた作品の発掘はあるにしても)。
しかし、クラシック音楽ってのは、解釈に妙があるわけで、新しい解釈の余地は、まだある。その意味では死んでいない。
この点は、能・歌舞伎などの伝統芸能も同じですね。
近代音楽に対して生まれた、現代音楽ってのもあって、これは確かに新しいものを生み出していて、生きているとは言えるだろうけど、それが良いものなのか、というと疑問ですね。
そもそも、ジャンルと言うものを定義した時点で、そのジャンルの外のまったく新しいものを足すことを拒否していると考えることもできないわけではなく、その意味では、あらゆるものは死んでいます。そんなことを考えると、死んでて何が悪い、って気にもなろうってもんです。
ところで、奇抜な着物と言えば、裾がミニスカートみたいに短いもの、ってのもありますが、あれは『ドロロンえん魔くん』(1973)の雪子姫ですね。それより以前にはあったのかな?
Re: (スコア:0)
> ジャンルと言うものを定義した時点で、そのジャンルの外のまったく新しいものを足すことを拒否していると考えることもできないわけではなく、
飛躍し過ぎだし、演者・当事者の自己認識でのジャンルと他者評価のジャンルが同一とは限らない。
ジャンル外のものを取り込みたがる人は「既存のジャンルではない何か」「新しい××」を自称したがるが、世間はそう簡単にはそれを新ジャンルとは認めないし、
新ジャンルを名乗ってないからと言って新たな取り込みに消極的とも限らない。
Re:dead or alive (スコア:1)
飛躍し過ぎだし
冒頭に、相対的なものであると書いたし、「と考えることもできないわけではなく」と相対的な表現を使ったつもりなんですが、残念ながらあなたには伝わらなかったようですね。
演者・当事者の自己認識でのジャンルと他者評価のジャンルが同一とは限らない。
それは関係ありません。
ジャンル外のものを取り込みたがる人は「既存のジャンルではない何か」「新しい××」を自称したがるが
取り込むと考える時点で、ジャンルの枠から出てないと解釈できるからですね。「新しい××」なんてのは、「××」ってジャンルから一歩もはみ出していないと思われても仕方ない。
「既存のジャンルではない何か」なら話は別です。しかしそれは、「ジャンル外のものを取り込」む程度のことでは認められないでしょう。
しかし「既存のジャンルではない何か」を定義した時点で「ジャンル化」つまり死の始まりと捉えることができるってわけです。
新ジャンルを名乗ってないからと言って新たな取り込みに消極的とも限らない。
その程度じゃ、「そのジャンルの外のまったく新しいものを足すこと」にはならんと思われるじゃないですかね。
しかしながら、「そのジャンルの外のまったく新しいものを足すこと」ってのは、ジャンルの破壊とも言える訳で、しかも破壊されたジャンルに定義を与えれば…
足すことばかりを論じてきましたけど、除くことも同じように論じられるかもしれませんね。中島敦の『名人伝 [aozora.gr.jp]』とかを思い出しちゃいますね。
ぱんつないもん (スコア:0)
アレは下がスッピンですし、ハレンチ学園(1968)と云おうか
十兵衛(柳生みつ子)系の流れ(走召糸色木亥火暴)
"castigat ridendo mores" "Saxum volutum non obducitur musco"
「いま」だけを追う必要があるでしょうか (スコア:1)
浄瑠璃・歌舞伎の「平家女護島」だって、オワコンの域にあった平家物語を近松門左衛門が大胆アレンジしたものですし、作品はそうやって生き続けるもののような気がします。
自覚して発言 (スコア:0)
古びたものは面白くなくなるとか、最近の若い者はとか言い出したら加齢の証拠ですので自分がどの立ち位置なのかを自覚しましょう。