aruto250の日記: 究極の定型発達 2
人馬一体、という言葉がある。乗馬において、馬と人の息がぴったり合うことによって、まるで一つの生き物のように乗りこなす境地を表す言葉だ。
Webに「内側から見た自閉症」という記事があり、大変興味深く読んだのだけど、そこから得られた印象としては、自閉圏にいる人々は自分の認知や思考の特性に振り回され、自分をいわば「乗りこなす」のに苦労しているのだな、というものだった。これは苦労の多い生き方にならざるを得ないだろうと思うけれども、その反面、暴れ馬のような自分の特性を乗りこなすため、メタ認知が弱いと言われる自閉圏の人々も、一旦メタ認知に目覚めると、限界までメタ認知能力が開発される(というかせざるを得ない)だろうなとも考えた。
ここで翻って、究極の定型発達、あらゆる特性がボリューム・ゾーンの中央に位置する人達、生まれつき人馬一体の境地にいる人達(・・・いやまあ定型ってことがそういう特性を意味するかというと別だろうけども)を考えると、彼らは認知のままに感じた事、考えたことを表出しても、およそ他人から共感を得られないということが少ない(というか、意識的にやらない限り、他人から共感を得られないようなことを感じたり考えたりできない)だろう。そのような生き様にあってはメタ認知能力の必要性は低く、よって多分に感覚的な意見、感じるままの意見を持つことが多くなり、またその意見が他人から受け入れられて当然と感じる(そして実際にも多くの人に同意される)のではなかろうか。ネットでよく見る、倫理や道徳と感情の区別が付けられない(「○×が許されるべきでないのは自明のことだしそんな当たり前のことが分からないあなたは異常だから対話する価値もない」などと言ってしまう)タイプの人というのは、案外究極の定型発達者なのかもしれない。
「定型発達症候群」 (スコア:1)
人馬一体というのは「メタ認知」がよくできる、という意味なのでしょうか。「内側から見た自閉症」のページは私も多くの記事を読んだことがありますが、全部読んではいないし、全体としての印象というのはあまりはっきりつかめませんでした。「メタ認知」がどのようなことで、自閉症などの基本的な特徴だというのが、まだ実感できません。
「定形発達症候群」とか「定形発達障害」みたいな言葉があって、発達障害者からみた、定型発達(つまり普通の人)の特徴のようなことが認められているらしい。例えばアスペルガーから見たおかしな定型発達症候群 [susumu-akashi.com]。こういうのみていると、定型発達者は、人馬一体というよりは、統計の中央値、あるいは、メタというのが集団、つまり、他人の目で考えている、みたいな感じもいたします。
興味深い視点をありがとうございました。
Re:「定型発達症候群」 (スコア:1)
人馬一体は、何と言うのか…認知能力、表出能力、言語能力、理解能力などにおいて、自己イメージと実際の能力(そして周囲が本人に期待する水準)のギャップか少ないことを言いたかったものです。そして定型発達の人は、メタ認知ができなくても困らないよね、と言いたかった。
どうも独りよがりの表現で済みません(汗)推敲を重ねているうちに、逆に意味不明にしてしまったようで…。
定型発達症候群、みたいなことは自分もよく考えていました。数が多いという以外の正当性なんて無いじゃないか、と。まあそれこそが、現時点の地球上で人間が生きるための最も重要な要素ではあるので、軽々しく相対化できるものではないかなとは思いますが…。